「中部読売新聞」創刊
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「読売新聞中部支社」の記事における「「中部読売新聞」創刊」の解説
1974年7月31日、東京の株式会社読売新聞社(現:読売新聞グループ本社・読売新聞東京本社)は、大阪讀賣新聞社(現:読売新聞大阪本社)の設立に関わった竹井博友が経営する印刷会社「名古屋高速印刷株式会社」と業務提携(広義のフランチャイズ契約と同じ)を結び、名古屋高速印刷は商号を「株式会社中部読売新聞社」に変更した。 1975年3月25日に、読売新聞の東海3県に於いての発行としての形で、愛知県・岐阜県・三重県を対象地域とする『中部読売新聞』(題号:中部讀賣新聞、読み:ちゅうぶよみうりしんぶん)が創刊された。紙面は、東京で製作された紙面を一部共用し、読売本社と中部読売は編集・工務・販売・広告などの部門で互いに協力し合った。創刊号は、一般的な読売新聞の横並びの題字ではなく、中部読売独自による縦並びの題字が使われた。創刊号一面には、「三県民の目となり耳となって」と題した、竹井博友社長の発刊の辞が掲載された。 中部読売時代は読売新聞本体とは別法人・別組織であったが、記事内容は一部を除いて読売東京本社版の紙面を共用していた。1面下段のコラムと社説は中部独自の物を掲載した(コラムのタイトルは『東海風』)。ただし、東京本社も東海3県向けに発行した「中京版」(番組表は静岡県遠州地域版=西部地方向けと同じものを使用。地方版も3県合同の「中京読売」として発行。読売新聞名古屋総局の所在住所も中部読売新聞社と同じながら、電話番号が異なったり、支局(豊橋・岐阜・津)・通信部も3県のものを全て掲載していた)を出していたので、東海3県では東京本社版、中部読売版の2つの読売が併売されたことになる。
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