「メロコア」前夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/01 06:17 UTC 版)
ラモーンズのコピーバンドから出発したパペッツがスラッシュ的な方向に向かう中、「もっとポップでキャッチーで、もっとノリノリのアメリカ寄りのロックンロールパンク」をやりたかった谷口と中村が結成したビヨンズは、まもなくテイチクが当時UKメロディックパンクとして売り出したスナッフの1991年来日公演のオープニングに起用される。ラウド志向でファッション面を含め近寄り難い独特な雰囲気のバンドも多かった東京のハードコアシーンでは、ハスカー・ドゥの影響を公言するスナッフのカジュアルなUSスタイルはまだ異色であった。スナッフはこの来日公演で解散を表明するが、ビヨンズは1992年にはさらにテイチクがプッシュしたレザーフェイスらのUKメロディックバンドとのコンピレーションアルバムに参加し、引き続きUKプロジェクト内のレーベル、ワンダー・リリースからのアルバム・デビューとなる。インディー・ギターロックを取り込んだイギリスのクラブブームが一段落した時期である。テイチクを出た栄森陽一が自主レーベルSnuffy Smileを立ち上げてリリースしたスナッフのトリビュート盤には、高杉がNukey PikesのメンバーらとNot Enoughを組んで参加した。このレーベルは引き続き、UKバンドのほか、Hi-STANDARD、HUSKING BEEといった後の「メロコア」の中心となるバンドの作品をリリースする。1993年にはUSスタイルのライブもパンクシーンの一部として定着し、スケーターナイトのようなイヴェントも開かれるようになった。1994年2月にリリースされたGreen Dayのメジャーデビューアルバムが世界的な大ヒットとなり、クラブシーンを出たヒップホップとともにメロコアはアメリカ発のストリートカルチャーの象徴として全国の青少年に浸透していった。一方、アンダーグラウンドではアメリカの多様なインディーシーンとの直接の交流が加速する。
※この「「メロコア」前夜」の解説は、「BEYONDS」の解説の一部です。
「「メロコア」前夜」を含む「BEYONDS」の記事については、「BEYONDS」の概要を参照ください。
- 「メロコア」前夜のページへのリンク