ACDトレヴィーゾ2013
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 19:43 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ACDトレヴィーゾ2013 | ||||
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原語表記 | Associazione Calcio Dilettanti Treviso 2013 | |||
愛称 | Biancocelesti(白と空色) | |||
クラブカラー | 白と空色 | |||
創設年 | 1909年 | |||
所属リーグ |
エッチェッレンツァ ヴェネト・ジローネB | |||
所属ディビジョン | 5部 | |||
ホームタウン | トレヴィーゾ | |||
ホームスタジアム | スタディオ・オモボーノ・テンニ | |||
収容人数 | 10,000 | |||
代表者 | パオロ・ピーニ | |||
監督 | クラウディオ・オットーニ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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目次
歴史
1909年に創立されたクラブで、ACトレヴィーゾ(Associazione Calcio Treviso)を名乗っていた1946-1947シーズンに、初めてセリエBへ参加。しかしその後チームは低迷し、アマチュアリーグに参加していた時期もあった。1993年に破産し、トレヴィーゾFC 1993(Treviso Foot Ball Club 1993)と名前を変更し、セリエDからの再スタートを切った。
2002-03シーズン頃からクラブは上昇し始め、セリエC1、セリエBと復帰を果たす。そして2004-05シーズンにセリエBで5位の成績を修め、プレーオフ進出。1度はACペルージャとのプレーオフに敗れたものの、ジェノアCFCのセリエC1降格(八百長に対する制裁措置)、トリノ・カルチョの昇格見送り、ペルージャのセリエC1降格によって史上初のセリエA昇格を果たす。しかし、結局は1シーズンで降格することとなった。
セリエB降格後も不安定な成績が続き、2008-09シーズンは22位に終わりレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネへ降格する予定だったが、財政難の影響もありクラブは2度目の解散。2009-10シーズンからはASDトレヴィーゾ2009(Associazione Sportiva Dilettantistica Treviso 2009)として、地域リーグのエッチェッレンツァから再出発した。レガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネ復帰が決まった2011年夏に、FCトレヴィーゾ(Football Club Treviso S.r.l.)へクラブ名を変更した。2012-13シーズンを終えクラブはまたも財政上の問題に陥り、ACDトレヴィーゾ2013(Associazione Calcio Dilettanti Treviso 2013)として再建された[1]。
タイトル
国内タイトル
- セリエC : 1回
- 1949-50
- セリエC1 : 2回
- 1996-97、2002-03
- セリエC2 : 1回
- 1995-96
- レガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネ : 1回
- 2011-12
- セリエD : 2回
- 1974-75、2010-11
- 1994-95
- コッパ・イタリア・ディレッタンティ : 1回
- 1992-93
- 2002-03
国際タイトル
なし
- ^ “La Società”. A.C.D. Treviso. 2016年2月11日閲覧。
- ^ “PRIMA SQUADRA”. A.C.D. Treviso. 2016年2月11日閲覧。
- 1 ACDトレヴィーゾ2013とは
- 2 ACDトレヴィーゾ2013の概要
- 3 過去の成績
- 4 歴代所属選手
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