5セント硬貨 (アメリカ合衆国)
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ジェファーソン・ニッケル(1938年〜2004年)
造幣局主催のコンテストで選ばれたフェリックス・シュラーグのデザインによるジェファーソン・ニッケルは、1938年より製造され始めた。この硬貨の表側にはトマス・ジェファーソンの肖像が描かれており、裏側は彼のバージニア州の邸宅であるモンティチェロがデザインされている。1954年まで、3箇所の造幣局はジェファーソン・ニッケルを大量に製造した。サンフランシスコの造幣所は、1954年以降14年間の製造を停止し、1968年から1970年までの2年間のみ製造を再開した。その後は1970年からは世に出回る5セント硬貨の製造がすべてフィラデルフィアとデンバーで行われるようになった。1938年から1964年までの5セント硬貨裏側、モンティチェロの立つ地面と縁の間には、製造された造幣局のミントマークが見られる。1965年から1967年までこのミントマークは使用されなかったが、1968年より今日まで、ミントマークが表側の製造年の表示の下へと移動された。また、硬貨をデザインしたフェリックスのイニシャルは1966年より、ジェファーソンの肩の下部へ刻印されるようになった。このデザインが表れている硬貨は、現在流通している最も一般的なものである。
ウォータイム・ニッケル
1942年中頃から1945年にかけ、いわゆる「ウォータイム(戦時)」・ニッケル硬貨が創り出された。この硬貨の構成は56パーセントの銅、35パーセントの銀、そして9パーセントのマンガンである。マンガンを使用したアメリカ合衆国の硬貨は他に、サカガウィアまたは大統領の肖像が描かれた1ドル硬貨のみである。この戦時中の硬貨はそれ以外の通常の5セント硬貨よりもややくすんでおり、これは1920年から1947年まで製造された多くのイギリスの硬貨と同じく、マンガンが含まれているためだといわれている。しかし、収集向けに販売される貨幣セット版の硬貨は、こうしたくすみが通常の硬貨と比べても目立たない。くすんで見える尤もらしい理由には、このウォータイム・ニッケルが戦争中に流通する中で、硫黄にさらされることがあったために、緩やかな腐食が起こったからではないかという指摘がある。
ウォータイム・ニッケルには裏側のモンティチェロのドーム真上に、合衆国の硬貨史上最も大きな造幣局のマークが刻まれている。このマークは製造された場所であるデンバーの「D」かもしくはサンフランシスコの「S」、フィラデルフィアの「P」の刻印である。1960年代に銀の値段が上昇した際、流通していたウォータイム・ニッケルは消えていった。
ニュージャージー州エリアル出身の人物、フランシス・リロイ・ヘニングが1954年、「1944年」の製造年を付けて違法にウォータイム・ニッケル硬貨の偽造を行った。彼はそれ以前にも5ドル紙幣を偽造した罪で逮捕されている。この偽造された1944年の硬貨は、製造場所のマークを硬貨に加えられていなかったため、すぐに偽造硬貨であると発覚した。また、彼は硬貨に1939年、1946年、1947年、1953年の製造年を刻印して、同様の5セント硬貨偽造を行っている。ヘニングの偽造5セント硬貨は、10万枚以上が一般に出回ったものとみられており、いまだに人々の財布の中に入っている場合もあるという。偽造硬貨を所持することは正式には違法であるにもかかわらず、この硬貨は収集家による市場での取引が行われている。更に、ヘニングはニュージャージー州のコパー・クリークでも20万枚の偽造硬貨を捨てたとされ、およそ1万4千枚しか回収されていない。もう20万枚の偽造硬貨をペンシルベニア州のスクールキル川にも捨てたと考えられている。逮捕された後、ヘニングは5千ドルの罰金と3年の禁固刑が言い渡された。
収集品として
ジェファーソン・ニッケルは一般に流通している通貨の中でも、収集が比較的容易な硬貨である。中には日常に出回っている5セント硬貨の中に1940年代のものを偶然見つける人もいる。多くのジェファーソン・ニッケル収集家は、裏側のモンティチェロのデザインに描かれている、階段部分が出来るだけ完全に打ち抜かれているものを求めている。プレミアがつくのはこの階段部分が5段、または完全な数である6段がはっきり確認できる硬貨である。これらはかなり希少なもので、現在発行されているものでもそう簡単に見つからない。貨幣セットや1965年から1967年の特別硬貨セットやマッテ仕様(matte proof)の5セント硬貨も存在し、これらは一般に流通しているものよりも価値がある。専門家はモンティチェロの建物前面にデザインされている識別可能な階段の数をもとめ、摩耗がない硬貨は「フル・ステップ(全階段)」ジェファーソン・ニッケルとして知られる。ジェファーソン・ニッケルシリーズ全般においてカギとなる重要な種類は、「1950-D」版の5セント硬貨である。これはシリーズ全体の中でも最も製造量の少ない種類であった。しかし、この種類は最初から製造量が少ないために貯蔵されていたことが世間一般に知られており、高品質のものを見つけるのは難しい話ではない。一般に出回っていない状態では、「1939-D」、「1939-S」、「1942-D」の種類が1950-D硬貨よりはるかに希少で、シリーズ内における他のどの種類の5セント硬貨よりも高値が付けられている。
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- ^ Coin Community | You're not where you thought you were going.
- ^ NBS E-Sylum: Volume 03, Number 19, May 7, 2000
- ^ U.S. Mint Coin and Medal Programs | U.S. Mint
- ^ News | U.S. Mint
- ^ http://www.coinresource.com/pr_mint/pr_2006/historic_nickel.htm
- ^ New rules outlaw melting pennies, nickels for profit - USATODAY.com
- ^ copper 及び nickel の一部
- ^ December 14, 2006 press release by United States Mint concerning new rules outlawing the melting of pennies and nickels
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