高昌
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参考文献
- 『周書』(列伝第四十二 異域下)
- 『隋書』(列伝第四十八 西域)
- 『北史』(列伝第八十五 西域)
- 『旧唐書』(列伝第一百四十八 西戎)
- 『新唐書』(列伝第一百四十六上 西域上)
- 『咸賓録』 (明)羅日褧選 余思黎校注 中華書局 ISBN 7-101-02058-5/K
- 陳誠著『西域番国志』
- 『大唐西域記』(水谷真成訳、平凡社、1999年)
- 小松久男『世界各国史4 中央ユーラシア史』山川出版社、2000年。ISBN 978-4634413405。
- ^ 『周書』列伝第四十二 異域下、『隋書』列伝第四十八 西域、『北史』列伝第八十五 西域、『旧唐書』列伝第一百四十八 西戎
- ^ 『晋書』
- ^ 北涼出身で匈奴系。小松 2000, p. 126
- ^ 小松 2000, p. 126
- ^ 『周書』列伝第四十二 異域下「無諱死,茹茹殺其弟安周,以闞伯周為高昌王。高昌之稱王,自此始也。」、『北史』列伝第八十五 西域「蠕蠕以闞伯周為高昌王,其稱王自此始也。」
- ^ 柔然を後ろ盾とした漢人傀儡政権が成立する。こうして新たな漢人系のトゥルファン王国が成立する。小松 2000, p. 126
- ^ 高車やエフタルの介入をうけて491年に闞氏政権は崩壊する。小松 2000, p. 126
- ^ 柔然を破った突厥は麴宝茂に可汗の娘を降嫁し、イルテベル(俟利発)の称号を与えた。小松 2000, pp. 126–127
- ^ 遊牧騎馬民族に古くからある結婚スタイルで、夫に先立たれた妻が夫の兄弟もしくは息子に嫁ぐこと。
- ^ 麴伯雅の時代には、隋に接近したことで、高昌国の漢化が進んだ。小松 2000, p. 127
- ^ 小松 2000, p. 127
- ^ 藤枝晃『高昌回鶻と亀茲回鶻』
- ^ 安部1955,92頁
- ^ 劉2006,268頁
- ^ 安部1955,95-97頁
- ^ 安部1955,115-116頁
- ^ a b 『隋書』列伝第四十八 西域
- ^ 『大唐西域記』
- ^ 『地球の歩き方、西安とシルクロード』(ダイヤモンド・ビッグ社、2001年)
- ^ 現代では便宜的に在位中の年号を取って「和平王」と呼ぶことがある。
- ^ 現代では便宜的に在位中の年号を取って「義和王」と呼ぶことがある。
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