第17回スーパーボウル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 07:34 UTC 版)
放送
全米ではNBCがテレビ中継を担当、実況をディック・エンバーグ、解説をマーリン・オルセンが担当した。また試合開始前、ハーフタイム、試合後の放送にアーマド・ラシャドが出演した。ニールセンによる視聴率は48.6%となり、それまでのスーパーボウルの視聴率としては第16回の49.1%に次いで2番目に高い数字となった。
NBCラジオでは実況をジャック・バック、解説をハンク・ストラムが担当した。試合開始前、ハーフタイム、試合後の放送にアーブ・クロスが出演した。また両チームの地元ラジオ局でサム・ハフ、ソニー・ジャーゲンセン(いずれもワシントン)、ハンク・ゴールドバーグ(マイアミ)が出演した。試合終了後、NBCは特攻野郎Aチームを放送するスケジュールとなっており、同番組に出演するミスター・Tはスタジアムで試合を観戦した。
イギリスでは1982年11月2日に開局したばかりのチャンネル4によって初めて生放送で放送された。カナダでもCTVによって生放送が行われた。
エンターテインメント
試合開始前、1983年1月26日に亡くなったアラバマ大学の偉大なヘッドコーチ、ベア・ブライアントへの黙祷が行われた。ドルフィンズのスティーブンソン、バウムハウワー、マクニールはアラバマ大学時代にオールアメリカンに選ばれており、レッドスキンズのウィルバー・ジャクソンはアフリカ系アメリカ人選手として初めてアラバマ大学で奨学金をもらった選手であった。
地元ブラスバンドの演奏後、レスリー・イースターブルックがアメリカ国歌を斉唱した。
コイントスはプロフットボール殿堂入りしているレシーバーエルロイ・ハーシュによって行われた。ドルフィンズのキャプテン、キューヘンバーグはテイルズを選択し、コインはテイルズとなったが、表裏が似たコインであったためレフェリーのジェリー・マークブライトはコールをミスした。ヘッドラインズマンのデイル・ハマーも含めた協議が行われた結果、レフェリーはキックオフ前にコールミスを認めて、ドルフィンズに選択権を与えた。
ハーフタイムショーは、ボブ・ジャニによってプロデュースされ、地元のドリルチームが出演した。
試合経過
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ドルフィンズのデビッド・ウッドリーは当時スーパーボウル史上最年少で先発出場したQBとなった。第1Q開始早々、ウッドリーはジミー・セファーロに76ヤードのTDパスを決めて7-0と先制した。その後、マーク・モーズリーとウーヴェ・フォン・シャーマンが共にFGを成功させた[7]。第2Q終盤にジョー・サイズマンからアルビン・ギャレットへの4ヤードのタッチダウンパスが決まったが、その直後のキックオフリターンでドルフィンズのフルトン・ウォーカーが98ヤードのキックオフリターンタッチダウンを決めて、前半は17-10とドルフィンズがリードしてハーフタイムを迎えた[7]。過去16回のスーパーボウルでハーフタイムでリードされていたチームが逆転した試合はわずか3回であった[8]。
第3Qに、モーズリーの20ヤードのFGでレッドスキンズは17-13と4点差に迫った[7]。第4Q残り10分、第4ダウン残り1ヤードで、サイズマンがリギンズにボールをハンドオフ、ハーフバックのジョン・ウォンズリーとホグスの2人、ジョー・ジャコビー、ラス・グリムによって出来た左サイドの大きなホールに6フィート2インチ、240ポンドのリギンズが突進、リギンズの前に塞がったのは、5フィート11インチ、185ポンドと小柄なCBドン・マクニールだけであった。ディーゼルと呼ばれたリギンズはマクニールのタックルを寄せ付けず、43ヤードを走りタッチダウン、レッドスキンズが20-17と逆転した[7][2]。43ヤードのタッチダウンランは、その時点でのスーパーボウル最長記録であった[3]。その後レッドスキンズはチャーリー・ブラウンへの6ヤードのタッチダウンパスで追加点をあげて27-17で勝利した[7]。
レッドスキンズがチャンピオンとなったのは、1942年以来のことであった[7]。
サイズマンはパス23回中15回成功、143ヤードを獲得、2タッチダウンをあげた。チャーリー・ブラウンがチームトップの6回のレシーブで60ヤードを獲得した[7]。リギンズはNFLトップの守備を誇るドルフィンズに対して、この試合で共にスーパーボウル記録となる38回のランで166ヤード[9]を走るなど[3]、スーパーボウルも含めてポストシーズン4試合で136回走り610ヤードを獲得した[7]。プレーオフ4試合で全て100ヤード以上走ったのは、彼が初めてであった[3]。パワーではなくクイックネスが持ち味のドルフィンズの守備陣はホグスに圧倒された[3]。
デイブ・バッツ、ダリル・グラント、デクスター・マンリー、ニール・オルケウィック、マーク・マーフィーらレッドスキンズのディフェンスはドルフィンズのオフェンスを合計176ヤード、ファーストダウン9回と抑えた[7]。ドルフィンズは後半11本のパスを1本も通せず、合計34ヤードに抑えられた[3]。ウッドリーはジミー・セファーロに76ヤードのTDパスを決めたがその後10本連続でパスを失敗[3]、交代出場したドン・ストロックも1本もパスを決めることができなかった。
試合終了後、ジョー・ギブスヘッドコーチはロッカールームでロナルド・レーガン大統領から祝福の電話を受けた[7]。
- ^ AFL統合前の旧NFLで2度優勝している
- ^ a b Don Smith (1994年). “JOHN RIGGINS DIESEL” (PDF). THE COFFIN CORNER:Vol. 16, No.2. 2012年1月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Paul Attner (1983年1月30日). “Riggins, Redskins Run to Super Bowl Title, 27-17”. ワシントン・ポスト. 2020年2月5日閲覧。
- ^ “1982 Washington Redskins”. Pro Football Reference. 2012年10月11日閲覧。
- ^ “1982 Miami Dolphins”. Pro Football Reference. 2012年10月11日閲覧。
- ^ Paul Attner (2011年6月13日). “Redskins Championships: 1982 Playoffs vs. Detroit”. ワシントン・ポスト. 2020年5月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “SUPER BOWL XVII”. ワシントン・レッドスキンズ. 2020年2月5日閲覧。
- ^ “Flashback: Petitbon A Master of Adjustments”. ワシントン・レッドスキンズ (2015年7月13日). 2023年2月26日閲覧。
- ^ (それまでのスーパーボウル記録は、第9回スーパーボウルでフランコ・ハリスが走った158ヤード)
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