神奈川県議会 歴史

神奈川県議会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 07:49 UTC 版)

歴史

神奈川県議会は、1878年(明治11年)7月22日に公布された府県会規則(明治11年太政官布告第18号)に基づいて設置された[1]。最初の県議会議員選挙では、神奈川県下の1区15郡[2] から、記名投票により47名の議員が選出された。任期は4年(2年ごとに半数改選)。選挙人の資格は5円以上の地租納税者、被選挙人の資格は10円以上の地租納税者などの要件を定めた制限選挙で、県内の有権者数は3万1千余人であった[3]。第1回通常会は、翌1879年(明治12年)3月25日、横浜に招集された。地方議会の権限は少なく、地方自治は名目的なものに過ぎなかった。

1928年(昭和3年)11月から1966年(昭和41年)5月まで、県議会議場が置かれた県庁本庁舎。旧議場は県庁大会議場となり、現在も県議会予算委員会の会場として使用される。

その後、議会内では組織の改編が進められ、議会外では府県制の改正などもあって、選挙区の統廃合が行われた。当初47名であった定数は、1899年(明治32年)には38人(任期はすべて4年、有権者数は3万3千余人)となり、県内人口の増加に伴って定数は増やされ、1919年(大正8年)には定数40人、1928年(昭和3年)には定数41人となった。また、1916年(大正15年)の普通選挙断行のときには、従来の有権者数は8万9千余人(大正13年)であったのが、28万2千余人(昭和3年)に急増し、1940年(昭和15年)には定数47人、有権者数37万余人にまで増加した。

第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)には日本国憲法が施行されて、住民自治と団体自治を柱とする地方自治制度が定められ、同年には地方自治法が施行された。同法により、地方議会は権限が大幅に広げられ、定数も60人に増えた。この後も県内人口の増加に従って定数は増やされ、1951年(昭和26年)には67人、1959年(昭和34年)には73人、1963年(昭和38年)には80人、1967年(昭和42年)には95人、1975年(昭和50年)には109人、1979年(昭和54年)には115人となった。

1997年(平成9年)10月、神奈川県議会議員定数等検討協議会を設置して、県議会議員の定数等について検討を行った結果、翌1998年(平成10年)3月に「神奈川県議会議員の定数、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数に関する条例の一部を改正する条例」を可決し、県議会議員の定数は115人から107人へ8人削減され、1999年(平成11年)4月の統一地方選挙から施行された[4]。なお、2015年5月現在、定数は105人、選挙区数は49である。

また、2006年(平成18年)3月にはインターネットによる本会議録等の公開を始め、2008年(平成20年)12月には「神奈川県議会基本条例」を制定するなど、県民に開かれた県議会を実現するための施策も採られている。

共産党会派への猛省決議

2016年(平成28年)5月に共産党会派の議員による議会での不手際や問題発言が相次いだのを受け、共産党会派の代表質問を制限する案が自民党から出され、大きな問題となった[5][6]。発端となったのは2015年7月に県民企業常任委員会で、共産党議員が委員会で行なう水ビジネスに関しての海外調査を「県民福祉の向上につながらない」と反対したことに他会派が反発し、その他の調査も共産党と別々のグループで行なう方式にしたところ、共産党県議団が広報誌でこれを批判し、溝が深まった。そんな中、九月定例会本会議で、別の共産党議員が代表質問に立った際に数分間沈黙し、一般質問でもさらに別の議員が答弁者の指名を間違える事態が発生した。その後も議事上のミスを繰り返すなど共産党会派による不手際が相次いだ。その後、共産党県議団がこの事態に対しての不手際を謝罪し、総括したことによって問題が収束しかけたが、その後も討論で採決の賛否表明を間違えるなどの問題が発生し、共産党会派に対する代表質問を制限する案が議会運営委員会に提出された。しかし、議会事務局の法制調査での進言による議長提案により代表質問の制限は見送られ、代わりに共産党会派に対する猛省を施す決議が提案された。これに対して共産党や県民からの反発もあったが、5月16日の本会議にて自民党、民進党、公明党などの賛成多数により決議案は可決された[7][8]


  1. ^ 以下、「議会の概要 2012」(神奈川県議会)を参照。[リンク切れ]
  2. ^ 1区15郡とは、横浜区と、久良岐郡橘樹郡都筑郡西多摩郡南多摩郡北多摩郡三浦郡鎌倉郡高座郡足柄上郡足柄下郡大住郡淘綾郡愛甲郡津久井郡の15郡。
  3. ^ 1884年(明治17年)の神奈川県の人口は823,200人(参照:明治期と現在の都道府県別人口一覧、総務庁統計局「日本長期統計総覧」、1987年。)。
  4. ^ 県議会定数見直し、12年ぶり検討委設置へ”. 神奈川新聞 (2010年9月16日). 2012年11月25日閲覧。
  5. ^ 神奈川県議会、共産に代表質問させない? 不手際で混乱 朝日新聞 2016年5月12日
  6. ^ ツイッターで「神奈川県議会」、1日で2.8万件 なぜ 朝日新聞 2016年5月28日
  7. ^ 神奈川県議会5会派、共産に猛省求める決議案 「議会運営に混乱」本会議提案へ 産経ニュース 2016年5月14日
  8. ^ 県議会 共産猛省決議問題 相次ぐミスで批判誘発 東京新聞 2016年5月24日
  9. ^ 神奈川県. “神奈川県議会 議員の紹介 委員会でさがす”. 神奈川県. 2022年5月27日閲覧。
  10. ^ 神奈川県. “神奈川県議会 議員の紹介 選挙区でさがす”. 神奈川県. 2020年6月19日閲覧。
  11. ^ a b c 「県議会議員の議員報酬、費用弁償及び期末手当に関する条例第2条」 を参照。
  12. ^ 「神奈川県議会政務活動費の交付等に関する条例第4条」 を参照。
  13. ^ a b c d 「県議会議員の議員報酬、費用弁償及び期末手当に関する条例別表」 を参照。
  14. ^ 「県議会議員の議員報酬、費用弁償及び期末手当に関する条例第6条」 を参照。






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