石谷清定 (豊前守) 石谷清定 (豊前守)の概要

石谷清定 (豊前守)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/09 09:47 UTC 版)

石谷清定
時代 江戸時代中期
生誕 延享3年(1746年
死没 不明
別名 清貞、左門、次郎左衛門、左衛門
官位 従五位下豊前
幕府 江戸幕府
氏族 石谷氏
父母 父:石谷清昌、母:新見正言の娘
兄弟 多門、磯野政典の妻、石谷清定石谷因清の妻、義妹:菅沼正虎の娘
新見正則の娘、後妻:高井綽房の養女
娘(石谷清豊の妻)、娘(阿部正簡の妻)、石谷清常、娘
養子:石谷清豊田沼意誠の子)、養女:亀井清絹の妻(亀井清亮の娘)

生涯

宝暦10年(1760年)4月28日、15歳の時、はじめて徳川家重に拝謁する。宝暦12年(1762年)9月28日御小姓組に列し、同年12月15日から西城に勤仕する。明和3年(1766年)2月27日御小納戸となり、同年3月27日から西城に勤務し、同年12月19日布衣の着用を許される。安永8年(1779年)徳川家基が薨去したため、同年4月18日寄合に列する。天明元年(1781年)4月21日御小納戸に復帰し、同年5月28日から西城に仕える。天明2年(1782年)12月24日、家督を継ぐ。天明6年(1786年)閏10月7日より本城に仕える。寛政4年(1792年)12月24日、徳川家治の養女種姫の用人となり、寛政6年(1794年)種姫逝去により3月末日に勤めを解かれた。寛政7年(1795年)6月8日、西城の御小納戸となり、寛政9年(1797年)11月18日、従五位下豊前守に叙任された。

石谷清定の後は、田沼意次の弟である田沼意誠の子、石谷清豊が石谷清定の娘を妻として継いだ。

参考文献




「石谷清定 (豊前守)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石谷清定 (豊前守)」の関連用語

石谷清定 (豊前守)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石谷清定 (豊前守)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石谷清定 (豊前守) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS