石川県 歴史

石川県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 15:26 UTC 版)

歴史

原始

御経塚遺跡(野々市市

県内で発見された旧石器時代遺跡能美市の灯台笹遺跡[注釈 6][39]など極めて少ない。

縄文時代の遺跡では草創・早期の遺跡は少なく、中期と晩期にピークがある。

能登町真脇遺跡は縄文時代の前期から晩期まで約4,000年続く長期定住遺跡である[40]

縄文時代後期から晩期の遺跡としては金沢市のチカモリ遺跡[40][41]野々市市御経塚遺跡[40][42] がある。

1980年昭和55年)チカモリ遺跡からクリの巨木を縦に半分に割り円形に並べた環状木柱列が見つかった。

環状木柱列はその後真脇遺跡でも発見されている。環状木柱列の用途・機能は「儀礼の場」や「特殊な建物」など様々な考えがあり不明である[40]羽咋市吉崎・次場遺跡は北陸地方でも規模が大きい弥生時代の遺跡で近畿東北山陰などとの交流が認められる[40]

古代

大伴家持も参詣した気多大社[43](羽咋市)

4世紀には大和王権の支配が及び、能登国には能等国造と羽咋国造が、加賀国には加我国造と江沼国造が設置された。

能美市には60数基の古墳が点在する能美古墳群がある。その中心に位置する和田山・末寺山古墳群からは武器・武具など大量の副葬品が出土している。

また、同じ能美古墳群の一角にある秋常山1号墳は全長約140mの前方後円墳である。

中能登町雨の宮古墳群には北陸最大級の前方後方墳である雨の宮1号墳がある。

また、七尾市の能登島にある須曽蝦夷穴古墳はドーム型の墓室を持ち朝鮮半島古墳にも通じるものとされる[40]

県域は飛鳥時代には越国あるいは三越分割後の越前国に含まれていた。奈良時代に入り、718年に羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立てられた。

能登国は741年越中国に併合され、この頃大伴家持が越中国の国司として赴任している。757年には越中国から分離し、再び能登国が立てられた。

平安時代初期の823年になって越前国から加賀・江沼2郡を割いて加賀国が立てられた。これは令制上最後の立国である。

七尾市にある能登国分寺跡は、能登地方を支配した能登臣(のとのおみ)一族が白鳳時代に建てた寺院を843年国分寺としたものである。法起寺伽藍配置を持ち[44]、約400年にわたり能登の仏教の場として栄えたとされる[40]。奈良時代から平安時代には、能登半島には渤海の使節がたびたび到着し交易が行われていた。

志賀町福浦港では渤海使が船の修理や宿泊をしたと伝えられており、平安時代初めに渤海使接待のため能登国に建てられた能登客院はこの地にあったと考えられている[45]

野々市市の末松廃寺跡は加賀地方北部に本拠を置く有力氏族道君(みちのきみ)が7世紀後半に創ったとされる寺院である。法起寺式伽藍配置をしており、屋根瓦の一部は能美市辰口地区(旧・辰口町)で焼かれたものであることが分かっている[40]

奈良平安時代北陸地方には東大寺西大寺などの荘園が多くあった。

白山市から金沢市に跨る東大寺領横江荘もそうした荘園の一つである[40]。平安時代に修験道が活発になると白山を山岳信仰の対象とする白山信仰が広まり、山頂への登山道(禅定道)の起点の一つとなった白山比咩神社は信仰の拠点となった[46]

平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)では、源義仲(木曾義仲)が倶利伽羅峠の戦い津幡町)で数で圧倒する平家の義仲追討軍を破り[47]、さらに篠原の戦い(加賀市)で逃げる平家を追撃し、京都に進んだとされる。

中世

鎌倉時代、新たに設けられた守護は加賀国、能登国とも比企氏北条氏室町時代に入ると加賀国は斯波氏冨樫氏、能登国は吉見氏畠山氏であった。

加賀一向一揆が抵抗の拠点として築城した鳥越城(白山市)[40]

加賀国では、応仁の乱のころ浄土真宗が広まり、やがて農民らによる加賀一向一揆が守護の富樫政親を破り、武士の支配を脱却した統治が約100年にわたって行われた。これが、加賀地方が「百姓の持ちたる国」と呼ばれた[48] 所以である。本願寺は金沢の台地上に尾山御坊金沢御坊)を作り、ここを拠点にして支配した[49]本願寺と敵対する織田信長は、柴田勝家らを派遣してここを平定し、能登国を前田利家に、加賀国を佐久間盛政に与えた。織田信長の死後、豊臣秀吉が実権を握ると、前田利家は加賀国も領して、尾山御坊跡の尾山城金沢城)に入り城下町の建設を始めた[12]

能登国では、正長年間(1428年 - 1429年)頃に初代当主畠山満慶七尾城を築城し、畠山氏の領国支配の拠点となる。7代目当主畠山義総の時代に最盛期を迎えるが、義総の死後は畠山七人衆が実権を握り、大名権力を傀儡化する。1560年永禄3年)、9代当主畠山義綱が実権を取り戻すが、1566年(永禄9年)に永禄九年の政変能登国から追放される。1577年天正5年)、上杉謙信が能登国へ侵攻し七尾城の戦いが起こり、畠山氏は滅亡する。

近世

金沢城石川門(金沢市)

前田利家長男前田利長関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍につき、戦後越中国を与えられた。

利長は江戸幕府幕藩体制のもと加賀国、能登国、越中国の3国を治める加賀藩の藩主となった。加賀藩前田家は外様大名でありながら大名の中で最大石高である約120万石を領した。

第 2代藩主前田利常は、江戸幕府 2代将軍徳川秀忠の娘・珠姫を娶った徳川の大名として大坂の陣を戦い、戦後の大坂城改修の普請では通常の大名の負担分より多い負担を敢えてするなど、外様大名として取り潰しを避けることに意を用いたとされる[50]

利常は1639年に家督を長男前田光高に譲り、次男の前田利次富山藩を、三男の前田利治大聖寺藩を分封した。

しかし、1645年に光高が急死し、第 4代代藩主となった光高の長男前田綱紀がまだ幼かったため、利常が後見人として藩政を補佐した。

利常が綱紀を後見した時代には、貧農の救済、年貢納入の徹底などを目的とした改作法と呼ばれる農政改革が実施された。

これは、農民の借金を帳消しにした上で、農具、種籾の購入資金や当座の食料を貸し付けて農業生産性を高めるとともに、各地の有力豪農などから選任した十村(とむら)に農民の監督や徴税を委ねるものである。改作法は所期した成果を挙げ、藩政の安定に寄与した[50]

この頃から加賀藩は蔵米日本海から関門海峡瀬戸内海を通り大坂まで運ぶ船輸送を始め、後の西廻海運の基となった[51]

なお、1659年に白山が噴火(最も新しい噴火)。1668年1671年には手取川の洪水で多数の死者が出ている[52]

江戸時代前期の古九谷の銚子

加賀藩は、産業の振興に力を入れ、学問や文芸を奨励したことから、城下町の金沢を中心として今に続く伝統文化が興隆した。

金沢城内に設けた御細工所は初め武器・武具の修理等を行う組織であったが、利常は茶の湯道具や掛幅など美術工芸品の製作・修理をさせ、綱紀は塗物・蒔絵細工、象嵌細工など20を越える職種を扱わせた。

綱紀は学問の奨励のため木下順庵室鳩巣稲生若水といった学者の招聘につとめた。

綱紀が収集した古今東西の図書は尊経閣文庫として受け継がれている。

能楽も盛んで、利家は金春流を好み、その後の藩主達にも受け継がれたが、綱紀が宝生流を取り入れ加賀宝生を成立させると、後者が主流となり栄えた。

兼六園は綱紀による蓮池庭と御殿の建設が始まりとされ、現在の姿が完成するのは江戸時代後期である[12][53]

輪島塗江戸時代に輪島で下地塗りの漆に混ぜる珪藻土が見つかったことで堅牢な漆器となり、日用食器として盛んに生産されるようになった。

北前船が寄港する輪島港の海運の利を活かして全国に販路を広げた。

また江戸時代後期には沈金や蒔絵の技法が加わり美術工芸品としても発展した[54][55]

大聖寺藩では江戸時代初めに殖産興業の一環として鉱山開発に取り組み九谷村(現・加賀市)で磁鉱が発見されたことから窯を築き色絵磁器(九谷焼)の製造が始まった。

一旦廃窯されるが九谷焼は加賀藩により再興され、明治期には海外への輸出品となった[56]

江戸時代後期、加賀藩は1792年藩校の文学校明倫堂と武学校経武館を文武ごとに別けて設立した[53]

明倫堂では儒学のほか易学、医学、本草学暦学算学などを、経武館では馬術剣術などを教えた。

また幕末には洋式兵学校の壮猶館や航海、測量の実習のための軍艦所を作り、ヨーロッパから洋式艦船を購入するなど海防に力を注いだ[53][57]

近代

大正時代に竣工した旧・石川県庁(現・石川県政記念しいのき迎賓館)(金沢市)

1869年(明治2年)版籍奉還で加賀藩は金沢藩となり、14代藩主前田慶寧は金沢藩知事に任命された[53]。しかし、1871年(明治4年)7月14日には廃藩置県が行われ、金沢藩域は金沢県(第1次)、大聖寺藩域は大聖寺県となった。同年11月20日に両県を廃止し、旧・金沢県より射水郡以外の越中国新川郡婦負郡礪波郡を分けて新川県(当時は新川郡魚津が県庁所在地)を設置、能登国と越中国射水郡七尾県を、加賀地方に金沢県(第2次)を置いた。明けて1872年(明治5年)2月2日、金沢県庁を石川郡美川町(現・白山市美川南町)に移し、この郡名より石川県と改称した。現在の県名はこれに由来する。なお、石川は古くから氾濫を繰り返し、石ころ河原だった手取川の別名という説がある。県庁の移設は、旧加賀藩の影響力を弱めるための時の政府の方策等諸説あるが、公式には金沢では県域の北に寄りすぎであるためという理由であった。なお、金沢市も市制施行前は石川郡に属していた。同年9月25日に射水郡を除く七尾県を石川県に併合(射水郡は新川県に併合)、11月に足羽県より白山麓18か村を併合し、現在の石川県と同じ県域となった。これにより、先の県庁移転の根拠が消滅し、翌1873年(明治6年)に再び県庁は金沢に移転したが、県名はその後も石川県のままとされた。その後、1876年(明治9年)、当時の新川県(現在の富山県域にほぼ相当)と敦賀県(現在の福井県域にほぼ相当)の嶺北地域を編入し、富山と福井に支庁を置いた(現在の石川県と区別する意味で「大石川県」と呼ぶことがある)。

しかし、1878年(明治11年)に紀尾井坂の変が発生したのを切っ掛けに、大石川県は政府から「大県および不平士族の多い故の難治県」と警戒されるようになり、政府は大石川県の力を弱めるためおよび政府が軍備補完のために設立した「共同運輸会社」に伏木港の海運業者・藤井能三が有力出資者であることに考慮し、大石川県の分県を承認[58]1881年(明治14年)に福井県が、1883年(明治16年)に富山県がそれぞれ分離して現在の県域となる。特に富山県については、加賀側と能登側が「越中は藩政期に加賀藩の庇護を受け、さんざん迷惑をかけやっかいになり続けたのに今更分県などけしからん」と強く反発し阻止に暗躍していたが、最終的に越中側の熱意と政府による金沢市族への弾圧や自由民権運動の北陸ブロック形成の阻止という意図により独立する結果となった[59][60]

1874年(明治7年)、旧・金沢藩士長谷川準也(後の金沢市長)らにより金沢製糸場が創設された。官営模範工場富岡製糸場に倣ったもので、県下の殖産興業の先駆けとなった[61]1887年(明治20年)4月、金沢に旧制第四高等中学校(現・金沢大学の前身)が設置された[62][63]。また1898年(明治31年)10月、金沢城内に旧陸軍第九師団司令部が設けられた[12]。これにより金沢は北陸地域での学問的、軍事的な拠点として発展していく。

明治期の金沢駅舎および駅前広場(金沢市)

鉄道は、1897年(明治30年)9月、北陸線福井駅から小松駅まで延伸。翌1898年(明治31年)4月に金沢駅まで、同年11月に高岡駅まで延伸された。また同年4月には七尾鉄道が津幡仮停車場(現・本津幡駅付近)から矢田新駅(後の七尾港駅)まで開通し、1907年(明治40年)国有化された。1925年(大正14年)和倉駅まで延伸し、1935年(昭和10年)までに輪島駅まで開業した。

金沢製糸場の施工にあたった津田吉之助の子津田米次郎は織機の機械化に取り組み、1900年(明治33年)日本初の力織機を発明した。当時、羽二重生産で出遅れていた金沢はこの力織機による工場制大量生産で大正期にかけて生産量を伸ばした[64]。同年、金沢では電気の送電が開始され、翌1901年(明治34年)に市内電話が開通。1908年(明治41年)にはガスの供給が始まっている[65]

1918年(大正7年)富山県魚津町で発生した米騒動は石川県でも高浜町堀松村(いずれも現・志賀町)から金沢市、宇出津町(現・能登町)、松任町(現・白山市)、穴水町へと波及した[66]。翌1919年(大正8年)に金沢で市内電車が運転を始める[65] とこれを契機に都市化が進み、カフェ・映画などの大衆文化が広がった。1925年(大正14年)内灘村(現・内灘町)に開園した粟崎遊園にも人気が集まった[67]。金沢では1930年(昭和5年)に犀川を水源とする末浄水場が完成して水道が通水し[68]、同年ラジオ放送が始まった[69]

1896年(明治29年)および1934年(昭和9年)には手取川で大洪水があり、多数の死者が発生した[52]。特に1934年(昭和9年)の災害は上流で大規模な土砂崩れ(別当崩れ)が発生するなど上流から河口まで流域の全域にわたって被害が発生し、死者97人、行方不明者15人に上る未曾有の大災害であった[70]

現代

自衛隊と民間航空の共用空港である通称「小松空港」(小松飛行場小松市

石川県は戦争中空襲などによって焦土となることを免れたため(全国で唯一、太平洋戦争での空襲が無かった県である[14])、戦後も様々な社会資本を引き続き使用することができた。1947年(昭和22年)の第2回国民体育大会が石川県を中心として開催されたのは一つの例である。これは各都道府県持ち回りとなる最初の大会となった[71]

戦後、アメリカ軍が内灘村(現・内灘町)で接収した砲弾試射場に対する反対運動(内灘闘争)が起こり、1952年(昭和27年)から翌年にかけて激しさを増した[71]。その後1957年(昭和32年)に撤収されたため事態は次第に収束していった[72]旧海軍小松飛行場は戦後アメリカ軍に接収されていたが、1955年(昭和30年)に不定期の大阪便が就航した。1958年(昭和33年)にアメリカ軍の接収が解除されると航空自衛隊が駐屯。1961年(昭和36年)に航空自衛隊小松基地が開庁し、正式に自衛隊と民間航空との共用飛行場となった[73][74]

1957年(昭和32年)NHK がテレビ放送を開始[69]。翌年、民間放送北陸放送もテレビ放送を始めた[75]1962年(昭和37年)からはテレビカラー放送が始まった[69]。同年12月末から翌1963年(昭和38年)2月初めにかけて北陸地方を中心に広い範囲で降雪が続いた。最深積雪は金沢で181cmを記録。交通障害、通信障害、停電のほか家屋の倒壊も相次いだ(三八豪雪[76]

1963年(昭和38年)北陸本線福井駅・金沢駅間が電化[77]。翌年金沢駅・富山駅間も電化される[78]国鉄能登線1959年(昭和34年)に穴水駅から鵜川駅まで開業し、1964年(昭和39年)までに蛸島駅まで全線開通した[77]。一方、1967年(昭和42年)金沢の市内電車が廃止された[79]

1972年(昭和47年)県内初の高速道路となる北陸自動車道金沢西IC小松IC間が開通[80]。その後1978年(昭和53年)までに県内の北陸自動車道は全線が開通した[81]。能登方面は、1973年(昭和48年)能登海浜道路高松IC柳田IC間が開通し[82]1982年(昭和57年)までに粟崎IC此木IC(現・穴水IC)間の能登有料道路全線が開通している[83]。なお1977年(昭和52年)に尾口村(現・白山市)と岐阜県白川村を結ぶ白山スーパー林道(現:白山白川郷ホワイトロード)が開通した[81]

1980年(昭和55年)には治水、都市用水の供給、発電を目的とした手取川ダムが完成。水道用水として北は七尾市能登島から南は加賀市まで県内給水人口の7割以上を賄う[84]。また1993年(平成5年)志賀町で 志賀原子力発電所北陸電力)が営業運転を開始した[85]。一方で2003年(平成15年)には珠洲市で建設計画のあった珠洲原子力発電所(北陸電力・中部電力関西電力)の計画凍結が発表された[86]

白米千枚田(輪島市)。能登の里山里海は世界農業遺産に認定された。

昭和末期以降、能登地方の交通体系は鉄道中心から道路・空港に大きく変わった。1988年(昭和63年)JR能登線が廃止され、第三セクター鉄道のと鉄道に引き継がれた(のと鉄道能登線[87]1991年(平成3年)にはJR七尾線津幡駅・和倉温泉駅間が電化される一方、和倉温泉駅・輪島駅間がのと鉄道に経営移管された(のと鉄道七尾線[88]2001年(平成13年)のと鉄道七尾線穴水駅・輪島駅間[89] が、2005年(平成17年)のと鉄道能登線が廃止された[90]

2003年(平成15年)石川県で2番目となる能登空港が開港。能登空港には石川県の出先機関が入るほか、隣接地に日本航空学園が誘致された。また道の駅としても登録されている[91][92]能越自動車道は能登有料道路と共用する徳田大津JCT・穴水IC間に続き、1998年(平成10年)田鶴浜IC・徳田大津JCT間が供用を開始[93]2006年(平成18年)(平成19年)に穴水IC・能登空港IC(現・のと里山空港IC)間(穴水道路)が開通した[94]

2007年(平成19年)3月25日 能登半島沖を震源とするマグニチュード6.9の地震(能登半島地震)が発生。最大震度は輪島市七尾市穴水町で震度 6強。死者1人、重軽傷者338人のほか、2,426棟の住家が全半壊し、能登有料道路の一部が大規模に崩落するなどの被害が出た[95]2008年(平成20年)7月28日 未明からの降雨により浅野川が55年ぶりに氾濫し、金沢市内で2,000棟を超える家屋の被害が出た。浅野川流域の最大3時間雨量は金沢地方気象台の過去最大雨量を記録し、約200年に一度の豪雨となった[96]

2009年(平成21年) 金沢市がユネスコ創造都市ネットワークのクラフト分野に登録された[97]。また同年能登地方北部の伝統的な祭礼奥能登のあえのことがユネスコの無形文化遺産代表一覧表に記載され[98]2011年(平成23年)には能登の里山里海が佐渡島と同時に日本で初めて国連食糧農業機関 (FAO) の世界農業遺産に認定された[99][100]

2015年(平成28年)3月14日、県民が待望していた北陸新幹線が金沢駅まで開業したほか、輪島市を舞台にしたNHK連続テレビ小説まれの放送などで県内が沸いた。

2020年令和2年)4月14日、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからず、知事は県独自の緊急事態宣言を出した。記者会見で知事は「地域医療が危機的な状況に陥りかねない」と危機感を表明した[101]


注釈

  1. ^ 石川県では他の都道府県と異なり県章を定める告示が無いため、県旗のデザイン部分を「県旗標章」として代用している。標章として使用する際の配色は特に定められていないが、慣例的にセルリアンブルーや金色が使用される。
  2. ^ 「県の花」でなく「郷土の花」の呼称を使用している。
  3. ^ 各市町村内の町名には「ちょう」と読むものもある。例:金沢市南町(みなみちょう)
  4. ^ 南加賀土木総合事務所の所管区域は、能美郡および能美市のうち手取川河川区域が除かれ、石川土木総合事務所の所管区域とされている。
  5. ^ なお、鳳至郡2町(穴水町、門前町)を鳳町とする合併協議は白紙撤回されている。
  6. ^ 発見したのは、土器石器を集めるのが趣味だった高校生。 彼が住む灯台笹(とだしの)の丘陵で土器や石器約20点を採取した中に打製の旧石器が含まれていた。 その石器は木の葉状に整形された槍先に用いる尖頭器1点とナイフ形石器5点であった。 これを旧石器と見分けたのは当時の高校教諭。 その後この遺跡が発掘され、片刃石器や掻器が発掘されている。
  7. ^ かつては一部のCATVで行っていたが2011年7月24日の地デジ完全移行までにすべて終了した。

出典

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