浪口修
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来歴
2001年にプロレスリングZERO-ONEに入門し、2年もの間練習生を務め、2003年11月7日、金村キンタローと大流血のデビューを果たした。
スペル・クレイジーを師匠にルチャのムーブを覚える。2004年12月に不動力也から生涯初のピンフォールを奪う。
2005年8月24日、WWA世界ジュニア・ライトヘビー級選手権にてフェロッソよりドリームキャッチにて勝利し、見事チャンピオンとなるも、同月31日、奮闘むなしく中嶋勝彦のジャーマンスープレックスに敗れ王座陥落。その後も高西翔太にフォールを奪われる、プロレスリング・ノア所属の若手・青木篤志に良いところ少なく連敗するなどスランプが続く。
2007年5月6日、日高郁人と組んで出場したディファカップは3位だったが、その3位の盾をヘラクレスオオ千賀に取られてしまい、8月23日に髪の毛をかけた試合に挑んだが敗北し坊主になった。
2009年10月24日、後楽園ホール大会に於いて、デビュー戦の相手である金村キンタローとのハードコアマッチを最後に引退した。
2009年12月27日、地下プロレス団体「EXIT」のメイン、高岩竜一&ジョータ vs 梅沢菊次郎&浪口修で復帰。
2010年8月10日、東京愚連隊自主興行、田島久丸&南野たけし vs 菅原拓也&浪口修戦でプロレスラーに正式復帰し、記者会見では今後フリーとして新日本プロレスやプロレスリング・ノアへの参戦を希望した。
2013年はガンバレ☆プロレスにて大家健代表らと抗争を繰り広げた。今までいじられ役だったのがここでは小笠原和彦と組んでヒールとして活動。またばってん多摩川[1]を仲間に加えた。
2020年現在はプロレスリングHEAT-UPの他、主に首都圏のインディー団体に出場している。
- ^ ここでのリングネームは「バッドテンションTAMAGAWA」。
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