浜松城記 浜松市の対応および浜松まつりとの関連について

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浜松城記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/08 02:38 UTC 版)

浜松市の対応および浜松まつりとの関連について

浜松まつりを統括する「浜松まつり構成4団体」のうち、浜松市・および浜松観光コンベンションビューローでは、これら『城記』否定派の指摘に対して「『城記』にはロマンがあり、否定されるほどのものではない」と反論してきたが、小和田の検証の後より、起源の説明には『城記』の説明を「確かなことは分からない」と表記するようになり、現存する最古の資料として、国学者高林方朗の日記を挙げるようになった。しかし依然として「飯尾豊前守説話」が偽伝であることについては言及されないまま現在に至っており、『城記』による起源を信じている市民もいまだに多い[要出典]

なお、『城記』は浜松まつりの起源・根拠文書として信じられてきた経緯はあるが、この文書が登場した時期には「浜松まつり」という名称そのものがまだなかった時期で、また一般的に浜松城記が観光パンフレットなどに引用されるようになったのも戦後の話であり、浜松まつりの権威付けのためにでっち上げられた文書と言うわけではない(「浜松まつり」という表現の初出は昭和25年)。「濱松凧揚起源考」には飯尾豊前守を「飯尾学兄の先祖なりと思考す」と書かれていることから、「起源考」の筆者である鈴木肇は「土のいろ」編集長の飯尾哲爾に事寄せて「起源考」を発表したようである[要出典]。上掲の通り、昭和40年代にはすでに『城記』が信頼に値する史料ではないことが考えられていたにもかかわらず、『城記』の疑問点が一般に知られなかったことに関して、昭和40年代以降の浜松まつりの変容(昭和42年の会場の移転・昭和49年以降の規模の拡大)との関連性も指摘されている[誰によって?]




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