浄土 概説

浄土

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 00:23 UTC 版)

概説

精神的物質的に何らの潤いを感ずることのない穢土に対して、浄土とは清浄で清涼な世界である。このような清浄の世界は正しく仏の国である。したがって、浄土とは仏国である。

『維摩経』には「その心浄きに随って、すなわち仏土浄し」といい、また『心地観経』には「心清浄なるが故に世界清浄なり、心雑穢(ぞうえ)なるが故に世界雑穢なり」とあるように、世間の清浄であることは心による。すなわち、国土の浄不浄はそこに住む人の心によって決定づけられる。

そこで、真実の浄土は仏の住居する処であり、成仏せんがために精進する菩薩の国土である。この点で、浄土は仏土である。しかし浄土は仏土であるが仏土は必ず浄土ではない。仏の教化対象の世界も仏土であるから、凡夫の世界も仏国でありうる。よって、仏国とは仏の住まいし、また教化する世界のすべてをいうから、浄土は成仏を目標とする菩薩の世界である。

このような浄土について種々に説かれる。それらの中でも阿弥陀仏の西方極楽浄土は有名だが、この外に阿閦仏の東方妙喜世界、薬師仏の東方浄瑠璃世界、釈迦牟尼仏の無勝荘厳国など知られている。その意味で、浄土という語は一般名詞であり、固有名詞ではない。

浄土は何のためにあるのかといえば、仏自らが法楽を受用するためと共に、人々をその国に引接して化益をほどこし、さとりを開かせるためである。雑穢の世界は成仏への修行の妨げである。そこで、諸仏は修行が容易であるように、人々を浄土に引接して化益する。この意味で、浄土とは仏の自利・利他の二利満足の場である。

これらの浄土は、ただちにこの世界ではなく、別の世界において設立されたものである。したがって、人々はこの世界での命が終わってからゆくので、往生浄土という考えがみられる。ことに阿弥陀仏の西方極楽浄土は、往生浄土を立場とする浄土教を形成する。

別世界に浄土の建立を説くのではなく、この世界をそのまま浄土に変現するという考え方がある。すなわち、心浄なれば土も浄とする『維摩経』の趣旨によれば、この世界にありながらこの世界がそのまま清浄の土でありうる。たとえば、『法華経』に、この娑婆世界を変じて瑠璃地の清浄世界と変ずと説くものである(娑婆即寂光)。この考え方に立つのが、釈迦の霊山(りょうぜん)浄土、毘盧舎那仏の蓮華蔵世界である。


  1. ^ a b c d e f g h i j 浄土(じょうど)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年10月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 中村元ほか(編)『岩波 仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、534-535頁。 
  3. ^ 常寂光土(じょうじゃくこうど)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年10月4日閲覧。
  4. ^ a b 穢土(エド)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年10月5日閲覧。






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