日産・スカイライン スカイラインのモータースポーツ活動

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 乗り物 > > 日産の車種 > 日産・スカイラインの解説 > スカイラインのモータースポーツ活動 

日産・スカイライン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/19 14:28 UTC 版)

スカイラインのモータースポーツ活動

スカイラインは初代モデルからモータースポーツに参戦しているが、本格的に参戦したのはS54型による第二回日本グランプリが最初。ホモロゲーションモデルであるGT、そしてGTのレーシング・バージョンの量産モデル2000GT(改称後は2000GT-B)から「スカG」の歴史が始まった。

3代目PGC10型/KPGC10型GT-R は国内レースで、マツダロータリー勢に苦しめられながらもクラス50勝を達成したほか、数々の伝説を残す。

その後、R30シルエット・フォーミュラ、R31・GTS-RでのグループA全日本ツーリングカー選手権参戦を経て、 グループAの頂点を目指すべく、GT-R(BNR32型)が復活、デビューからレース終焉まで29連勝の新たな伝説を築く。

全日本GT選手権では、1993年の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてタイトルを獲得している。

※5代目(C210型)については排ガス規制の対策に追われたため、特にモータースポーツ活動はない。

初代 (L型/20系)

1959年7月第1回「日本アルペンラリー」にスカイラインが参戦。

1963年5月 第1回日本グランプリB-IIクラスに「スカイライン・スポーツ」、C-IVクラスに「スカイライン」がそれぞれ参戦。「スカイライン・スポーツ」は7位、10位。「スカイライン」は8位。

2代目(50系/S5型)

スカイラインGT(S54A-1型)

1964年5月 第2回日本グランプリGT-IIクラスにスカイラインGT(S54A-1型)出場。T-Vクラスにスカイライン1500(S50D-1型)出場。GT-IIクラスでの決勝では1周だけ優勝候補であったポルシェ・904の前を走り、結局2 - 6位独占[41]。ツーリングカーT-Vクラスのスカイライン1500は1 - 8位独占[42]、およびツーリングカーT-VIクラスのグロリア・スーパー6(S41D-1型)も1、2位独占で優勝を飾っている[43]。GT-IIクラス優勝のポルシェ・904は、プリンスの日本グランプリ3冠を阻止するべくトヨタが取り寄せた、との噂が出回った。ポルシェ・904のドライバーは式場壮吉であり、式場は前年度トヨタのワークスドライバーとして日本グランプリに参加しているからである。当時、東京新聞の記者だった三本和彦が「羊の皮をかぶった狼」と記事のタイトルにしたが、当時のプリンス自工の広報部からクレームがついたらしい。

3代目(C10型)

スカイライン2000GT-R ’71日本グランプリレース大会出場車両のレプリカ

1969年5月 「’69JAFグランプリレース大会」クラブマンレース・特殊ツーリングカークラスでGT-R(PGC10型)がデビュー。デビューウィンを飾る。詳細は日産・スカイラインGT-Rを参照のこと。

同月 「JAF公認700キロ ノンストップラリー」にて「スポーティデラックス」が優勝を飾る。

1969年8月 「第5回モーターファン&AUTO SPORTラリー」にてGT-Rが総合3位を獲得。

1969年10月 「’69日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースにてGT-Rが1-3位を独占。

1970年3月 「JMCマウンテン・サファリラリー」に1800が参戦。1970年5月 「’70JAFグランプリレース大会」特殊ツーリングカーレースにてGT-Rが1位、2位、4位を獲得する。このときの優勝車(58号車)をエブロが1/43ミニカーとしてモデル化している。

1970年6月 「ツール・ド・ニッポン」に2000GTが出場。同月 「全日本富士300マイル」100マイルBレースにて、長谷見昌弘のドライブするGT-Rが優勝。長谷見はスペアカーで決勝に臨み、最後尾スタートであった。

1971年5月 「’71日本グランプリレース大会」ツーリングカーbレースにてGT-Rが1-3位、5位を獲得する。

1971年9月 マイナーチェンジ。1500、および1800の出力を向上。1500シリーズにハードトップ、およびGTシリーズ「ハードトップ2000GT-X」を追加された。

1971年12月「第6回富士ツーリスト・トロフィーレース」で50勝をかけたレースで、GT-R勢にトラブルが相次ぎサバンナとの戦いに敗れる。

1972年3月 「’72富士GCシリーズNo1 富士300キロスピードレース」スーパーツーリングレースにて、GT-Rが豪雨の中、高橋国光が全車を周回遅れにして1位、プライベートの久保田洋史が2位、同じくプライベートの河原伸光が6位を獲得し、通算50勝を達成する。

1972年5月 「’72日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースbにGT-Rが出場。表彰台をマツダロータリーサバンナカペラに独占され、GT-R勢は4-6位。

1972年9月 「’72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースにてサバンナとこれまでに無いほどの熾烈な戦いを制し、北野元が駆ったGT-Rが1位、プライベートの久保田洋史が3位、同じくプライベートの正谷栄邦が6位を獲得し、通算52勝目を飾る。

1972年10月 「’72GCシリーズ第4戦 富士マスターズ250キロレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースに黒沢元治長谷見昌弘の駆るGT-Rが出場。サバンナとすさまじいトップ争いを演じていたが、ラップ14で周回遅れのサバンナとともにクラッシュし、優勝を逃す。GT-Rの最高順位は4位。9月にC110型にモデルチェンジしたこともあり、徐々にKPGC10型GT-Rのレースへの出場は減っていった。

海外に於いても1972年、スパ・フランコルシャン24時間レースに地元ベルギーのディーラーによる支援を受けたシャルル・バン・ストールが4ドア2000GT(GC10)の輸出仕様「ニッサン2000GT」を3台ディビジョン2に出場させ、ガスケットトラブルによりリタイヤした61号車以外の2台が完走、60号車が総合20位、62号車が同じく28位に入るという健闘を見せた。なお、GT-Rは生産台数が少なく、国際公認はツーリングカー(連続12月間内に1,000台製造)の取得はできず、GTカー(連続12月間内に500台製造)の取得も困難であり、取得できるとすればスポーツカー(連続12月間内に25台)しかなかった。よって、国際公認は取得しておらず、国際レースに使うことができない機材であった。当時国内では公認に必要な製造台数を国際基準から大幅に緩和していたため、GT-Rも国内公認は取得できた。なお、同じレースの同クラスにはマツダスイスレーシングの手により2台のサバンナRX-3も出場しており、予選ではサバンナのほうが速かったものの決勝では65号車の25位という結果に終わった。

4代目(C110型)

ケンメリとなったGT-Rは大きく重くなり、ロータリーに勝てる見込みがなくなりサーキットから去った。 しかし4気筒登載車はノーズも短く頭も軽く回頭性がよく、ラリーで活躍した。

1973年6月 「JAF公認・JMC主催 第10回北海道周回ノンストップラリー」にて、「セダン1800(PC110型)ラリーバージョン」が総合優勝を飾る。

1975年6月 「北海道周回ラリー」にて「セダン1800」が総合優勝を飾る。

1975年7月 「第3回JMCオーバーナイトラリー」にて「セダン1800」が優勝を飾る。

1976年11月 「JMC中部ラリー」にて「セダン1800GL」が優勝を飾る。

この年、「オーストラリア トタル エコノミーラン」にオーストラリア向けスカイライン「ダットサン240K」が出場。優勝を飾っている。

6代目(R30型)

 
KDR30スカイライン(トミカスカイライン)

1982年5月 当時のグループ5規定に合わせたレーシングカー「スカイライン スーパーシルエット」が登場。「ハードトップ2000RS(KDR30型)」をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバエンジニアリング製のシャシーに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーンクラフト製のカウルをまとい、「RS」のイメージカラーである赤/黒の2トーンカラーが特徴。ドライバーはかつてPGC10型GT-Rを操った長谷見昌弘。エンジンはサファリラリー等で使用された「バイオレット」に搭載されていた直列4気筒DOHC LZ20B型に、エアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせ、 570PS/7,600rpm、55kgm/6,400rpmというパワーを誇った。トミーがメインスポンサーを務め、トミカのバリエーションとして玩具化もされたが、日本各地の日産プリンス販売会社からのカンパに大きく支えられた面もある。

1983年シーズンではR30型のマイナーチェンジに伴い、フロントマスクおよびテールランプが変更され、1984年度まで国内外のレースに参戦した。また、スプリント用とは別に1982年8月に耐久用マシンも追浜ワークスで製作され、南アフリカでのキャラミ9時間レースに参加した。翌年グループC規定にあわせたマシンに改造され(日産・スカイラインターボC)、富士ロングディスタンスシリーズ、および全日本耐久選手権に参戦した。

7代目(R31型)

1987年インターTECにGTS-Rがデビュー。

1988年度全日本ツーリングカー選手権にGTS-Rが参戦。主な戦績は以下の通り。

  • 1月 第1戦「新春NRC鈴鹿300km自動車レース」 優勝
  • 3月 第3戦 「西日本300kmレース」優勝

1989年度全日本ツーリングカー選手権にGTS-Rが参戦。主な戦績は以下の通り。

  • 5月 「89ハイランドグループA300kmレース」 優勝
  • 8月 「89レース・ド・ニッポン」 優勝
  • 9月 「SUGOグループA 300kmレース」 優勝
  • 9月 「グレード20ドライバーズレース」 優勝Template:B-list

8代目(R32型)

1990 カルソニック スカイラインニスモのエキシビションにて)

1990年全日本ツーリングカー選手権(JTC)第1戦西日本サーキットにてGT-R(グループA仕様)はレースデビュー。星野/鈴木組のカルソニックスカイラインがポール・トゥ・ウィンを飾るだけでなく、予選ではコースレコードを2秒近く短縮、決勝では全てのマシンを周回遅れとするなど、圧倒的な力の差を見せつけた。その後もシリーズ全戦でポールポジション獲得・優勝。翌年度より徐々に参戦車数が増え、最終シーズン1993年には7台のGT-Rが参戦、事実上のワンメイク状態とまで化した。結局、1990年の初戦からJTCというカテゴリーが終了する1993年まで無敗を誇り、最終的に29連勝という偉業を成し遂げる。なおN1耐久シリーズ(現・スーパー耐久)にもGT-Rで参戦。

また国内だけでなく、海外のレースにも積極的に参戦し、世界3大耐久レースの一つ、スパ・フランコルシャン24時間レースには1990年 - 1992年に出場。91年にはGr.Aクラスで日産ワークスから送り込まれたZEXELスカイラインが総合優勝を果たしている。しかし、あまりにも速過ぎたためテレビ映りが悪く、局から苦情を受けた。同じく1990年には、マカオギヤレースに参戦。圧倒的な速さで予選トップを獲得、決勝でもその力を見せつけ、1度もトップを譲らずに優勝した。なお、他にもプライベートチームよりヨーロッパや北米のレースにも数多く参戦し、ほとんど優勝を飾っている。これらの結果を受けて、ル・マン24時間レースを主催するACOからは4WDシステムの完成度の高さから4WD自体の禁止という事態となった。

まさにGT-Rの復活を裏付けるこれらの結果やエピソードからも、いまだにBNR32は歴代GT-Rの中でもファンが多いことで知られる。

1990年に一度だけ世界ラリー選手権(WRC)に出場したことがある(ドライバー西山寛、コドライバー永山政寛でツール・ド・コルスGr.Nクラスで出場した[44]。)。国内外で活躍したBNR32であるが、元々ラリー用に設計されている車種ではないので、これに関しては流石に結果を挙げることはできなかった。

なお、Gr.A終了後はJTCCと同時に始まった全日本GT選手権に転用される車両もあった。

9代目(R33型)

ル・マン24時間レース参戦車両
1995年
ル・マン24時間レースに参戦。総合10位。
全日本GT選手権シリーズタイトル獲得。
1996年
ル・マン24時間レースに参戦。総合15位。翌年はGT-Rで参戦せず、R390で参戦している。ル・マン24時間レースの車輌規定上、「同一車種に4ドア車が存在する車種のエントリーは認めない」とする規定が存在するため、日産NISMO GT-R LMという独立した車種を製作、ナンバーを取得して規定に合わせるという作業が行われた。「公認を得た"ロードカー"を最低一台製作すること。ただし、販売の義務はない」という条項を利用した。後のR390もこれを利用した形となっている。
1998年
パイクスピークに「ニスモ400R」で参戦。チャンピオン獲得。
全日本GT選手権シリーズタイトル獲得。

1994年より始まったJTCCにも4ドアセダンが近藤レーシングガレージにより参戦していた。当初はR32型で参戦を予定していたが日産がホモロゲーション申請していたのがBNR32、つまりGT-Rのみであったのだが何とかR32で出場したいとの願いから関係各所を回ってみたものの「旧型車にはホモロゲーションを与えられない」との一点張りで渋々諦めた所、日産がR33セダンのホモロゲーション申請を行い、車両を提供されて参戦を果たした。ちなみにR32型で参戦予定していたレーシングカーはFRと4WDの2台製作され、ほぼ完成状態まで来ていたが先述のホモロゲーション問題により参戦が不可能となった時点で解体され産業廃棄物として処理されたという。

10代目(R34型)

2003 ザナヴィ・ニスモGT-R

1999年

  • JGTCに参戦。GT500クラスに1月に発売されたBNR34型が3台、前年度モデルであるBCNR33型が2台。「ペンズオイル・ニスモGTR」(エリック・コマス)が2年連続のシリーズチャンピオンを獲得。
  • スーパー耐久シリーズに参戦。JGTC同様BNR34型が参戦し、「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」がシリーズチャンピオンを獲得した。

2000年

  • 全日本GT選手権に参戦。GT500クラスにBNR34型が4台参戦。
  • スーパー耐久シリーズに参戦。「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」がシリーズチャンピオンを獲得。

2001年

  • JGTC参戦。GT500クラスにBNR34型が3台参戦し、「ニスモ」が2001年JGTCチームチャンピオンを獲得。
  • スーパー耐久シリーズに参戦。「FALKEN GT-R」が5年連続となるシリーズチャンピオンを獲得。

2002年

全日本GT選手権に参戦。GT500クラスにBNR34型が3台参戦した。第3戦にはRB26DETT型に替わり、V型6気筒のVQ30DETT型を搭載するGT-Rが登場。第5戦以降は全てVQエンジン搭載となる。
スーパー耐久シリーズに参戦。「エンドレスアドバンGT-R」がシリーズチャンピオンを獲得。

2003年

2003 モチュール・ピットワークGT-R
  • JGTC GT500クラスに参戦。RB26DETT型ではなくV型6気筒DOHCツインターボ VQ30DETT型エンジンに積み替えたことにより戦闘力を向上し、GT500クラスドライバーズチャンピオンおよびチームチャンピオンを獲得した。
  • スーパー耐久シリーズに参戦。

注釈

  1. ^ 1960年代初頭までの自動車は、ほこりや砂などでエンジン内が磨耗を起こしがちであったため、ライナーを打ち込んで内部を研削し磨耗代を復元するためのヘッド開閉は頻繁で、これを長期不要としたのは画期的であった。長く用いられた在来エンジンの設計を踏襲してはいるが、「封印エンジン」が実現したのは、材質の改良や、内部の表面加工改良のたまものである。
  2. ^ トヨタ・セリカのターボモデルの設定はA60型にモデルチェンジされた1年2ヵ月後の1982年9月である。A60型セリカの姉妹車種で、同年10月にターボモデルを設定したトヨタ・コロナ(T140型)も、日産・ブルーバード(910型)と、CMキャラクターやキャッチコピーで対抗しあっていた。
  3. ^ 開発主管の伊藤修令は、自身の初見での印象が芳しくなかったことと、周囲の反応から、発表前の時点で危機感を抱いていたことを証言している[14]
  4. ^ ワゴンは1990年発売のアベニールと1996年発売のステージアが後継車となる。
  5. ^ 1991年にはV6エンジン(VG20E)を搭載するグロリアが採用されたが、その後同じRB20Eを積むクルーを投入。
  6. ^ ランサーエボリューションも限定販売→増産というパターンはよくとられているが、即日で完売した例は最近ではNür以外にはない。
  7. ^ 型式認定を受けない改造車のため、書類上持ち込み登録の販売となる。
  8. ^ 神奈川県警察もR32、R33と導入しているが、R34型は導入していない。
  9. ^ HRは高回転型(High Revolving)の略。
  10. ^ バルブ作動角・リフト量連続可変システム。
  11. ^ 最初にゴジラとして紹介したのはオーストラリアのWheels magazineである。

出典

  1. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第30号3ページより。
  2. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第86号1ページ。
  3. ^ 第45回:『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)(その4) 【これっきりですカー】 - webCG
  4. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第99号11ページより。
  5. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第4号7ページより。
  6. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第11号3ページより。
  7. ^ 美瑛町観光協会 - 観光名所ケンとメリーの木”. 2021年9月24日閲覧。
  8. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第13号7ページより。
  9. ^ a b 【昭和クルマ列伝】セリカの挑発で始まった馬力競争 スカイラインもターボで逆襲 産経WEST 2015年10月24日
  10. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第4号9ページより。
  11. ^ a b c d 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p87
  12. ^ 『NISSANスカイラインRSのすべて』三栄書房、2017年3月1日。 
  13. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第56号7ページより。
  14. ^ 「R31の父、語る。」 『R30&R31 Magazine オレたちのスカイライン』三栄書房〈サンエイムック Domestic Tuning & Racing Car Series〉、2018年、140頁。ISBN 978-4-7796-3476-5 
  15. ^ 『これが幻のV6エンジン搭載R31スカイラインだ!』生産台数5台、櫻井眞一郎氏の魂が込められた超レアモデルの真実 - WebOption・2021年8月12日
  16. ^ a b 「GT-R」の称号が16年ぶりに復活! R31での悔しさを晴らしたかったR32商品主管・伊藤修令氏の想いとは - CarView・2022年7月25日
  17. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第71号5ページより。
  18. ^ 今だから話せるスカイライン秘話『無謀と言われたR32』【水野和敏が斬る】ベストカーweb2017年5月31日配信記事。2022年1月30日確認
  19. ^ スカイラインオーテックバージョンR32 公式サイト
  20. ^ 当摩節夫「カタログでたどる歴代スカイライン-R32、R33、R34型を中心として-」 『スカイライン R32、R33、R34型を中心として』三樹書房、2017年、59頁。ISBN 978-4-89522-684-4 
  21. ^ スカイライン(日産)1989年5月〜1993年7月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
  22. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第87号3ページより。
  23. ^ スカイラインGT-R 40th ANNIVERSARY AUTECH VERSION 公式サイト
  24. ^ スカイライン(日産)1993年8月〜1998年4月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
  25. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第31号7ページより。
  26. ^ スカイライン(日産)1998年5月〜2001年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
  27. ^ ニスモの技術を結集した"世界最強のロードゴーイングカー"「NISMO R34GT-R Z-tune」20台限定発売”. NISMO (2004年12月20日). 2022年7月4日閲覧。
  28. ^ 【期待が外れた】日産 スカイライン V35型…こんなカタチで自ら終わらせなくても
  29. ^ スカイライン(日産)2001年6月〜2006年10月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
  30. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第38号7ページより。
  31. ^ スカイラインクーペ(日産)2003年1月〜2007年9月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
  32. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第48号7ページより。
  33. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第92号9ページより。
  34. ^ 新型スカイラインの受注状況について 日産自動車プレスリリース
  35. ^ 新型「スカイライン」を発表 - 日産自動車 ニュースリリース 2013年11月11日(2013年11月12日閲覧)
  36. ^ 日産が7年ぶり新型スカイライン 13代目は初のHV msn産経ニュース
  37. ^ 「新型スカイライン」の想定顧客 実は600人位しか実在しない? – ガジェット通信
  38. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第100号(最終号)17ページより。
  39. ^ 日産 / TECHNOLOGY / TOP / 車両搭載技術 / プロパイロット 2.0 (インテリジェント高速道路ルート走行)”. 2019年12月11日閲覧。
  40. ^ 週刊文春,2017年1月26日号pp.132-133『史上最強助っ人ラミレスは日産GT-Rの走り屋だった』
  41. ^ JAF公式サイト 第二回日本グランプリレース GT-IIクラス結果
  42. ^ JAF公式サイト 第二回日本グランプリレース T-Vクラス結果
  43. ^ JAF公式サイト 第二回日本グランプリレース T-VIクラス結果
  44. ^ ラリーインフォドットコム


「日産・スカイライン」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日産・スカイライン」の関連用語

日産・スカイラインのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日産・スカイラインのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日産・スカイライン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2022 GRAS Group, Inc.RSS