安養寺 (多治見市) 歴史

安養寺 (多治見市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 06:31 UTC 版)

歴史

承応2年(1653年)、多治見市田代町にあったという真言宗の古刹を現在地に移転して中興されたのが始まりである。開山は名古屋龍興寺9世国豊秀鷲、開基は応山源公と伝わる。前身の真言宗寺院については多治見市池田町にあった明円寺末であったことや、本土神社の文安6年(1449年)の記録に安養寺の名が現れることなど、断片的な情報が残されている。

3世燃岩一灯の頃に松坂屋の一族、伊藤道貞により本尊の阿弥陀如来と法華経2部、金剛経2巻の寄進を受けている。昭和20年(1945年)の多治見空襲においては被害者の安置場所となった。

参考文献

  • 多治見市 『多治見市史 通史編 上』 1980年 p757,758



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