埼玉県 歴史

埼玉県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:37 UTC 版)

歴史

先史・古代

県内で旧石器時代の遺跡は、大宮、武蔵野、江南下総の各台地、秩父盆地の各河川流域に約500が確認されている。この時代の遺跡・遺構は3万年前以降の立川ローム層・大黒ローム層から発見されている[11][12]

県域は隆起海退によって形成された。縄文時代において海面は現在よりも高く、東京都東部から県域南東部を中心とした海抜の低い地域は、古東京湾の入り江が大きく入り込んでいたため、海底だったと推定される。その証拠に、川口市の旧鳩ヶ谷市域等に貝塚が至る所に発見されており、海岸に近かったことが伺える。縄文時代末期には県域南東部で陸地化が進み、弥生時代には埼玉県全土がほぼ陸地化した(三郷市では弥生時代の土器片が見つかっている)[13]

古代の国撰史書である『日本書紀』の安閑天皇元年(534年?)の記載に、「十二月…(中略)…是の月に武蔵国造笠原直使主と同族小杵と国造を相争いて年経るに定めがたし」云々とあり、現在の鴻巣市笠原地区付近に居を構えていたとされる豪族、笠原直使主と同族の小杵による武蔵国造の勢力争いが起き、朝廷の力を借りた使主が勝利し、国造となった使主は朝廷に横渟多摩郡または横見郡)・橘花(神奈川県橘樹郡)・多氷(多摩)・倉樔(神奈川県久良郡)の四箇所を屯倉として差し出したと記述されていることや、6世紀に突如現れたこの地の巨大古墳群、および後述の鉄剣などから大和朝廷の直接支配まで、長らく武蔵国における中心だったと考えられる。なお現在の埼玉県にあたる地域には、上述の武蔵国造(无邪志国造)のほかに、のちの秩父郡を本拠とする知々夫国造も存在していた。本域は、律令制以前は、毛野国と呼ばれ、筑紫国吉備国に比肩する大国であったとされ、大和朝廷との関係において高い地位にあり、現在の東京地域よりも繁栄していた。

和銅元年(708年)に、現在の埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から、和銅(ニギアカガネ、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出したことを記念して、「和銅」に改元するとともに、日本最初の流通貨幣となる和同開珎が発行される。

1968年(昭和43年)に行田市埼玉にある、さきたま風土記の丘(現:さきたま古墳公園)の稲荷山古墳から出土した鉄剣(金錯銘鉄剣)は、1978年に奈良市にある元興寺文化財研究所で保存処理を行った際、表裏に金象嵌で115文字の銘文があることが分かり注目を浴びた。その文中にある「獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)」は『記紀』に登場する雄略天皇であり、『宋書』倭国伝に見える倭王武であって、冒頭の「辛亥の年」は(471年)であるとする学説が主流である。古代史ブームの巻き起こる中で、鉄剣の解釈をめぐりさまざまな議論がある[14][15]

埼玉県域の郡は、足立・新座・入間・高麗・比企・横見・埼玉・大里・男衾幡羅榛沢那珂・児玉・賀美・秩父郡である。また郷の数は県域で75郷である(『和名類聚抄』)。県域内の郡衙所在地は不明なところが多い。神護景雲3年(769年)9月17日に正倉4倉が焼失し、穀類や人に死傷者が出ている。雷火による天災か神火(じんか)[注釈 2] による人災か不明である[16]

中世

中世には武蔵国で人口の特に多かった北武蔵の丘陵地や台地に武蔵武士が出現し、河越氏や畠山氏ら諸氏を分出した秩父氏の一族が活躍した。また同族集団として形成された武蔵七党など中小規模の在地土豪も出た。平治の乱を経て武蔵国が平氏の知行国になると武蔵守には平氏一門が任じられると武蔵武士は被官化し、新恩地を得て西国へも進出した。治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵後に服従した豪族には、県域に勢力を持っていた秩父一族が主に頼朝に味方し、治承・寿永の乱における合戦に参戦した。河越氏や畠山氏、比企氏らは鎌倉幕府の創設期に重用されて政務に参画するが、幕府権力の確立課程では河越氏を除き没落し、武蔵武士の地位は低下した。

中世には鎌倉幕府の成立を契機に街道が整備され、西武蔵には南北に鎌倉街道の上道や中道が通じて奥州方面と結ばれ、物資の流通路となったほか軍事的にも重視され、沿道には城館が分布する。幹線道の整備に伴い脇道や水上交通も発達し、多くの市や宿が成立した。

河越氏が武蔵平一揆で没落すると戦国期の武蔵は鎌倉公方足利氏関東管領上杉氏との対立などの影響を受けて乱国状態となった。県域は北武蔵(前線拠点は五十戸(今の本庄市))を地盤とし堀越公方方の山内上杉氏、南武蔵(拠点は川越城)に本拠をおいた扇谷上杉氏などが勢力を争った。下総国方面には古河公方が勢力を張った。

戦国後期には相模国後北条氏が台頭する。天文10年(1541年)には最重要拠点の川越城を巡り、川越を後北条氏に奪われた扇谷上杉氏の上杉朝定は関東管領の上杉憲政と古河公方と結び、城の救援に向かった北条氏康との間で川越夜戦が行われた。敗北した扇谷上杉氏は滅亡し、後北条氏の勢力圏となった武蔵には多くの支城が築かれ、氏康は上杉憲政を圧迫する。

憲政は越後国守護代の長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼り、関東管領職と上杉家家督を譲り受けた景虎は関東出兵を行い氏康と争った。後北条氏は甲斐国武田氏駿河国今川氏三国同盟を結び景虎と争っていたが、同盟破綻後の永禄12年(1569年)には越後と和睦して越相同盟を結び、武田氏の秩父方面への侵攻を招いており、こうした複雑な外交情勢のなか北関東の国衆は翻弄された。

後北条氏は天正年間には関東の大半を支配し、豊臣羽柴)家に次ぐ全国第二位の勢力となる。

近世

天正18年(1590年)には豊臣秀吉天下統一における小田原征伐において後北条氏は没落する。後北条氏の没落に際して東海五カ国を支配していた徳川家康が関東へ転封され、武蔵を含む関東地域には徳川氏の家臣団が配置された。関ヶ原の合戦を経て江戸幕府による支配が確立すると、埼玉県域には「武蔵三藩」と呼ばれる川越藩や忍藩岩槻藩(それに武蔵国には知行地をほとんど持たなかった岡部藩など)が立藩。江戸に近く親藩譜代の重臣が配されたが、川越藩を除き城下町の形成は小規模であった。川越は江戸北方の防衛拠点として、また武蔵国の商工業の中心地として「小江戸」と呼ばれ繁栄した。

江戸幕府により江戸を起点とした五街道の整備が進められ、埼玉県内には中山道に9つの宿場蕨宿、浦和宿、大宮宿上尾宿桶川宿鴻巣宿熊谷宿深谷宿本庄宿)、日光街道奥州街道)に6つの宿場(草加宿越ヶ谷宿粕壁宿杉戸宿幸手宿栗橋宿)が置かれた。五街道に準ずる脇往還は、県内では川越児玉往還(川越街道)、日光脇往還日光御成街道、関宿往還、秩父往還、秩父甲州往還が整備された。

明暦年間には野火止用水が、享保年間から見沼代用水が開鑿され、元禄年間に三富新田の開発が行われ米麦栽培が増大したほか、養蚕織物木綿の栽培や野菜など地域特産物の生産も盛んになり、定期市で販売されたほか、利根川・荒川・新河岸川の舟運を通じて江戸へも移出された。

明和元年(1764年)には大規模な百姓一揆である中山道伝馬騒動が発生している。

近世後期には幕領と旗本領の錯綜する関東一円で無宿人・浪人が増加したため社会不穏が増大し、幕府では文政の改革に伴い文化2年(1805年)に関東取締出役を設置して警察力の強化が行われ、村々では組合村を形成して対応している。

幕末には異国船が日本近海に出没し、嘉永6年6月3日(1853年7月8日)にはアメリカペリー艦隊が来航し幕府に通商を求めるが、江戸湾の海防は川越藩、忍藩が彦根藩会津藩を加えた四藩で担当し、藩士の現地派遣や遠見番所の設置などを行った。ペリー艦隊の来航に際しては海防策が修正され、品川台場の防衛を川越藩・忍藩・会津藩が担当した。海防強化は村々へも負担が生じるが、一方で日本が開国し本格的な貿易を開始すると積極的に対外交易を試みる投機商も出現した。

近世後期の社会変動、開港前後の諸役負担や経済変動は農村社会に影響を与え没落農民層も発生していたが、慶応2年6月13日(1866年7月24日)には入間郡を中心に中山道以西地域に波及した武州一揆が発生し、関東取締出役の出向により鎮圧される。

明治

昭和戦前

昭和戦後

  • 1946年(昭和21年) - 進駐軍によって埼玉会館に埼玉軍政部が設置された。
  • 1949年(昭和24年) - 新制大学として埼玉大学が発足。
  • 1965年(昭和40年) - 県人口が300万人を突破。
  • 1971年(昭和46年)
  • 県人口が400万人を突破。
    • 11月14日 - 明治4年の廃藩置県で埼玉県が誕生して100年後にあたるこの年、県が「埼玉県民の日」を制定。毎年この日を中心とした10月 - 12月、様々なイベントが開催される[17]
  • 1973年(昭和48年)
  • 1977年(昭和52年) - 県人口が500万人を突破。
  • 1982年(昭和57年)
  • 1983年(昭和58年)12月22日 - 埼玉新都市交通伊奈線が開通。
  • 1985年(昭和60年)9月30日 - 埼京線が開通。
  • 1987年(昭和62年) - 県人口が600万人を突破。
  • 1988年(昭和63年) - さいたま博覧会が開催。

平成

令和


注釈

  1. ^ 武蔵国北多摩郡が神奈川県だった1872 - 1893年においては同県にも隣接していた。
  2. ^ 郡司は有力地方豪族の終身制であったので、郡衙で一番重要な正倉に放火し郡司を失脚を狙う手段で、東国では8世紀後半から9世紀に集中して発生している。
  3. ^ 「日本一のけやき並木」と題した解説板が北浦和駅入口交差点付近、下大久保交差点(さいたま市桜区)付近、及び熊野神社東交差点(所沢市)付近に設置されている。

出典

  1. ^ 平成27年度地方公共団体の主要財政指標一覧(都を除く)
  2. ^ 「都道府県別面積」(平成19年度面積)、国土地理院。
  3. ^ (2015年2月15日). “絵地図で見る豊かな河川 県立文書館で企画展”. 東京新聞(中日新聞社)
  4. ^ a b 谷川彰英 2017, pp. 35–37.
  5. ^ 埼玉県. “01土地・気象” (日本語). 2020年8月8日閲覧。
  6. ^ 埼玉・熊谷で41.1度、観測史上最高 東京・青梅40.8度”. 日本経済新聞 (2018年7月23日). 2019年2月10日閲覧。
  7. ^ 日本で猛暑 気温41.1度で観測史上最高”. BBC NEWS JAPAN. BBC (2018年7月24日). 2019年2月10日閲覧。
  8. ^ 地域別計画 埼玉県ホームページ、2010年11月閲覧
  9. ^ 地域保健医療計画 埼玉県ホームページ、2010年11月閲覧。
  10. ^ 気象警報・注意報や天気予報の発表区域(埼玉県)(気象庁、2021年12月12日閲覧)
  11. ^ 田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』山川出版社 1999年6月
  12. ^ 塩野博「狩猟・採集の時代と農耕の時代」前掲県史12ページ
  13. ^ 三郷市の概要 (PDF) www.city.misato.lg.jp 2021年10月19日閲覧。
  14. ^ 「古墳の時代」行田市教育委員会サイト(2016年12月11日閲覧)
  15. ^ 「沿革」元興寺文化財研究所サイト(2016年12月11日閲覧)
  16. ^ 塩野博「辛亥銘剣と武蔵国の隆盛」前掲県史56ページ
  17. ^ 埼玉県民の日:埼玉県ホームページ
  18. ^ “週刊首都圏 -飛び地、線上のドラマ-”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年5月28日) 
  19. ^ “首都圏中央連絡自動車道(圏央道)等の事業許可について” (PDF) (プレスリリース), NEXCO東日本, (2018年3月30日), http://www.e-nexco.co.jp/pressroom/press_release/head_office/h30/0330/pdfs/pdf.pdf 2018年4月5日閲覧。 
  20. ^ 埼玉県インターネット放送
  21. ^ 埼玉県県民経済計算
  22. ^ 内閣府による県民経済計算 Archived 2010年2月10日, at the Wayback Machine.
  23. ^ World Economic Outlook Database
  24. ^ 最新版日本の地理5『関東地方』39頁
  25. ^ 受信エリアのめやす(東京メトロポリタンテレビジョン)
  26. ^ チバテレ 受信ガイド
  27. ^ 放送エリアのめやす(前橋局)(A-PAB)
  28. ^ FM NACK5営業部からのご案内”. FM NACK5. 2019年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月3日閲覧。
  29. ^ 放送普及基本計画第2の2の(1)のウの規定による一般放送事業者の行う超短波放送のうちの外国語放送を行う放送局の放送対象地域(総務省)
  30. ^ About InterFM(2014年6月4日閲覧)
  31. ^ TOKYO FM レジュメ”. 国土交通省 水管理・国土保全局河川計画課. 2020年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月6日閲覧。
  32. ^ TOKYO FMが東京西部でもっとクリアに! 埼玉県:南西部
  33. ^ TOKYO FM × 東京タワー頂上新アンテナ送信記念 TOWER OF LOVE(2018年11月19日閲覧)
  34. ^ FMぐんま 営業部 聴取エリア
  35. ^ JーWAVE概要(2014年6月4日閲覧)
  36. ^ 超短波放送の電界強度の目安(総務省 2011年3月1日現在のアーカイブ) (PDF)
  37. ^ 会社情報(横浜エフエム放送)
  38. ^ bayfmカバーエリア (PDF)
  39. ^ ラジオCMのご案内 電波はどこまで届いているの?
  40. ^ 地上デジタル放送開局済一覧 - 一般社団法人デジタル放送推進協会
  41. ^ 『昭和45年度運輸白書』第1節 旅客輸送/3 通勤通学輸送 - 国土交通省(2019年12月21日閲覧)
  42. ^ 有楽町線と副都心線の始発で終点の駅で東武東上線との直通の境目となる和光市駅があるが、和光市駅は東武鉄道の管轄駅のため埼玉県内に東京メトロの管轄する駅は存在しない。
  43. ^ a b 埼玉県の自慢話 - 埼玉県(2015年7月23日)、2016年5月28日閲覧。
  44. ^ “利根川自転車道:日本一!170キロ 1日に全線開通”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年5月31日). オリジナルの2011年6月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110604045237/http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110601k0000m040152000c.html 2011年6月2日閲覧。 
  45. ^ 第1回埼玉県アニメの聖地化プロジェクト会議を開催!〜埼玉まるごと聖地化大作戦〜 埼玉県産業労働部、2014年4月24日






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