国鉄165系電車 系列別概説

国鉄165系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/13 03:15 UTC 版)

系列別概説

本項では基幹となった165系のほか派生系列である163・167・169系の順で解説する。

165系

国鉄初の直流急行形新性能電車として開発された153系電車の構造を踏襲し、勾配・寒冷路線向けとして開発され、1963年3月から営業運転に投入された。

主電動機は出力120 kWのMT54形を、主制御器は抑速ブレーキとノッチ戻し制御が使用可能なCS15A形を搭載する[11]。国鉄直流急行形電車の標準系列として1963年から1970年にかけて701両が製造されたほか、153系からの編入車13両を加えた総数は714両となる[11]。また、投入線区の事情により、設計変更を施したグループも製造された。

編成

153系では両端を制御車とし中間電動車ユニットを併結する形態で最小編成組成は4両とされたが、165系ではクモハ165形+モハ164形によるユニットを基本とし、最小3両での運転を可能とした[12]

  • ただし1963年に製造され新前橋電車区に配置された波動輸送対応編成では、中間電動車ユニットモハ165形+モハ164形800番台ユニットの両端にクハ165形を組成した4両編成で落成して営業運転に充当されており[12]、その後も波動運用対応車は1965年に宮原電車区へ配置された4両編成x8本と1966年に岡山電車区へ配置された4両編成x4本が同様の組成で落成。また1969年には山陽急行増発用としてモハ164-81 - 84と組成するユニット相手方をモハ165-18 - 21としたことから、最終的にモハ165形は21両が製造された。

クモハ165形+モハ164形ユニットは原則的に奇数(東海道本線基準の上り)向きでの運用を前提として片渡り構造とされたが、例外的に逆向きとした以下のケースが存在する。

  • 信越本線横川 - 軽井沢間で運用される横軽対策を施工した169系を含む新前橋電車区ならびに長野運転所配置車
  • 1963年 - 1966年9月に田町電車区へ配置された3両編成x8本
  • 1966年 - 1968年に小山電車区へ配置された波動輸送運用対応車
  • 宮原電車区が担当した東海道本線・山陽本線準急編成増結用クモハ165形+モハ164形500番台ユニット
  • 山陽本線瀬野-八本松間の急勾配区間で運用を担当した下関運転所配置車

なお松本運転所所属車は、中央東線基準で偶数向き(新宿方面)にクモハ165形が組成されるが、東京駅基準では山手貨物線経由で新宿へ入線するため正規向きという解釈になる。また、1982年に移転する前の塩尻駅では中央西線⇔篠ノ井線の直通列車はスイッチバックが必要で、逆編成となるため中央西線では正規向きとなる。

クハ165形は方向転換が可能な両渡り構造とされたが[13]、冷房装置搭載後は三相交流電源引通用KE9形ジャンパ連結器が装着されたことにより方向が固定された。

低屋根車(モハ164形800番台)


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レール面からのパンタグラフ折畳高さが4,000 mmの制約が設定された中央本線・身延線の狭小トンネル建築限界対策として、モハ164形ではPS16形パンタグラフ搭載部分のみ低屋根構造とし折畳高を4,140 mmから180 mm下げとした設計変更を行った番台区分で、801-864の64両が製造された[5]。また派生系列のモハ166形ならびにEF63形と協調運転試作車である900番台[14]も同様の低屋根構造を有する。

低屋根化による設計変更は、801-845の非冷房車ならびに846-848の冷房準備車では部室内天井には扇風機の代わりにファンデリアを搭載し、低屋根肩部パンタグラフ脇に換気用ルーバー風道を設置するが、849-864の新造冷房車は当初から未設置であり、非冷房車および準備車も冷房化改造により撤去された。グリーン車、ビュフェ合造車[15]の細幅扉車輌と、低屋根構造を持つモハ164形800番台車の低屋根の部分には、ドアエンジンは通常のTK4E形を使用できないため151系で採用された直動式のTK100B形となった[16][12]

1968年までに落成した801-848までは中央東線での定期運用を担当する三鷹電車区・松本運転所向けならびに波動運用対応名目では小山電車区(現・小山車両センター)向けはクモハ165形とユニットを組成して新製配置されたほか、新前橋電車区・宮原電車区・岡山電車区へ波動運用対応名目で新製配置された801 - 805・828 - 839はモハ165形とユニットを組成する。

  • 1965年に松本運転所へ配置された車両の一部は、同所開設前に一旦三鷹電車区・浦和電車区(現・さいたま車両センター)・新潟運転所に暫定新製配置されてから転入での配置となった経歴がある。

新造冷房車で落成した1969年製造の房総西線電化用として津田沼電車区配置となった849 - 861[注 4]、1970年製造の呉線電化用として下関運転所配置となった862ならびに「よねやま」電車化用として新潟運転所配置となった863・864は、汎用性の観点から本番台区分で製造された[注 5]

モハ164形800番台車両番号別分類
車両番号 新製配置 製造年 ユニット 冷房 名目
801 - 805 新前橋 1963 モハ165 関東地区波動運用対応
806 - 808 三鷹 1964 クモハ165 中央東線上諏訪電化
809 - 827 松本(新潟・三鷹・浦和) 1964 - 1965 中央東線松本電化
828 - 835 宮原 1965 モハ165 関西地区波動運用対応
836 - 839 岡山 1966 中国地区波動運用対応
840 松本 1966 クモハ165 中央東線急行増発
841 - 845 小山 1967 関東地区波動運用対応
846 - 848 松本 1968 「かわぐち」電車化
849 - 861 津田沼 1969 房総西線電化
862 下関 1970 呉線電化
863・864 新潟 「よねやま」電車化
備考
  • ()内の車両基地は暫定配置
  • 非:非冷房車
  • 準:冷房準備工事車
  • 冷:新造冷房車

当所狭小トンネル区間での運用充当や車両転配は本番台区分に限定されていたが、1973年にPS16形パンタグラフを基本に集電舟小型化・イコライザー台枠外移設などの改良を行い、最小折畳高を縮小したPS23形が開発された。このため0・500番台車もPS23形へ換装することにより当該区間へ入線可能となり限定が解除された。

回送運転台付き電動車(モハ164形500番台)

大阪 - 宇野間準急鷲羽」が1963年に12両編成化された際に、当時は宇野線変電所容量がMM'ユニット2組4両までに制限されていたことから10両編成への分割が必要となった[5]。その際に岡山駅で行われる分割併合作業省力化の観点からクモハ165形と組成する増結2両ユニットモハ164形は、0・800番台から設計変更し後位デッキ部とトイレの配置を入れ替えてサロ165形同様な回送運転台のほか、妻面には小窓・後部標識灯・デッキ屋根上部前照灯・大型通風器を装備したことから500番台に区分された。

1963年6月-7月に501-509が川崎車輌で、510-514が近畿車輌で計14両製造され、クモハ165-42~55とユニットを組成する。このうち501 - 511の11両は本来の山陽準急充当用として宮原電車区に、512 - 514の3両は波動輸送対応時に編成組成変更を容易にする目的から新前橋区配置とされた。

宮原配置車は1965年に下関運転所へ転出したほか、新前橋区配置車は1966-1968年には揃って長野運転所へ転出し信越急行で運用されるなど転配経歴が多い区分番台であるが、全車AU72形集中式で冷房化改造されたほか、狭小トンネル区間が介在する中央本線・身延線・飯田線での運用に充当されたことからPS23A形パンタグラフへの換装を施工。

1987年の分割民営化時には501・506・513がJR東日本に、その他の車両はJR東海に承継。1989年から1991年にかけて13両が廃車となったが、最後まで車籍を有していた神領車両区配置の504が1999年9月6日付で廃車となり区分消滅した。

モハ164形500番台経歴一覧
車番 製造 配置 廃車日
501 川車 宮原
1963.06.07
下関
1965.09.06
新潟
1972.02.01
上沼垂
1986.11.01
  1991.02.25
502 下関
1965.08.22
岡山
1972,02.27
神領
1973.06.21
松本
1975.01.01
豊橋
1982.11.14
静岡
1988.03.13
  1989.06.02
503 下関
1965.09.06
松本
1975.01.02
大垣
1988.03.11
神領
1989.03.11
1989.06.27
504 宮原
1963.06.14
下関
1965.09.04
岡山
1972.02.29
神領
1973.06.14
松本
1975.01.18
大垣
1983.02.03
神領
1989.03.11
  1999.09.06
505 下関
1965.08.26
神領
1973.06.21
大垣
1982.11.29
神領
1989.03.11
静岡
1990.03.19
  1990.11.14
506 下関
1965.09.24
新潟
1972.02.16
上沼垂
1986.11.01
  1990.12.15
507 宮原
1963.07.02
宮原
1971.12.02
神領
1973.05.11
大垣
1982.11.15
神領
1989.03.11
  1989.05.19
508 大垣
1972.02.16
田町
1973.11.02
幕張
1981.09.25
豊橋
1982.11.20
静岡
1988.03.13
神領
1989.03.11
1989.05.15
509 下関
1965.09.08
大垣
1972.01.31
神領
1989.03.11
  1991.12.04
510 近車 宮原
1963.06.28
下関
1965.08.25
宮原
1971.11.18
神領
1973.05.15
大垣
1982.11.15
神領
1989.03.11
  1989.06.12
511 下関
1965.09.24
宮原
1972.01.30
神領
1973.05.11
大垣
1982.11.13
  1989.06.07
512 新前橋
1963.07.12
長野
1966.10.01
新前橋
1968.10.01
幕張
1975.05.25
松本
1978.08.21
大垣
1983.02.03
神領
1989.03.11
  1991.12.04
513 新潟
1977.08.02
新前橋
1986.10.29
  1989.07.05
514 田町
1973.10.01
幕張
1981.09.19
豊橋
1982.11.20
静岡
1988.03.13
  1989.05.19

売店車(サハ164形)

詳細は#165系の形式サハ164形を参照のこと。

横軽協調運転試作車(900番台)

信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠区間は1963年にアプト式から粘着運転に切り替えられたが、引き続き最大勾配66.7‰区間が残存したためEF63形補助機関車の連結が必要となった。165系は無動力の推進・牽引運転でとされたが、安全上の問題から最大8両編成に制限[注 6]されたため輸送力増強の抜本的改善を目的に電気機関車+電車の協調運転により最大12両編成まで組成可能とした試作車で、1967年12月にクモハ165形+モハ164形+クハ165形の3両編成x4本計12両が日本車輌で製造され新前橋電車区に配置された[17]

最大の相違点は、165系在来車・167系との混結運転を前提に主制御器を165系搭載のCS15C形からCS15D形とするなど協調運転に対応させた機器類に変更した点にあり[18]、モハ164形900番台はパンタグラフ搭載部を800番台に準じた低屋根構造としたほか、モハ164形も含めてAU12S形搭載を前提とした冷房準備工事が施工された。

  • 機器類の詳細は#169系を参照。

本試験結果を基に1968年に169系量産車が落成した。165系900番台は同年11月 - 12月に長野工場で主幹制御器交換など量産化改造ならびに改番を施工され169系900番台に編入された[19]。その後も新前橋電車区配置のままS901-S904の編成番号を付番し、同区所属165系と共通運用されたが、1984年 - 1985年にクモハ169形・クハ169形はクハ455形へ、モハ168形はサハ165形100番台へ改造され900番台は区分消滅した。

新前橋電車区165系900番台→169系900番台車歴一覧(全車日本車輌製造)
 
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S901編成 1967.12.04落成
車両番号 クモハ165-901 モハ164-901 クハ165-901
量産化改造・改番
施工日・担当工場
クモハ169-901 モハ168-901 クハ169-901
1968.12.11 長野工場
冷房化改造 1971.04.24 大井工場
他形式改造・改番
施工日・担当工場
クハ455-402 サハ165-102 クハ455-321
1984.11.16 大宮工場 1984.10.12 大宮工場 1984.12.11 大宮工場
廃車・最終配置 2008.01.08 仙台 1987.02.02 松本 1993.04.02 仙台
S902編成 1967.12.04落成
車両番号 クモハ165-902 モハ164-902 クハ165-902
量産化改造・改番
施工日・担当工場
クモハ169-902 モハ168-902 クハ169-902
1968.12.17 長野工場
冷房化改造 1971.06.15 大井工場
他形式改造・改番
施工日・担当工場
クハ455-403 サハ165-103 クハ455-322
1984.12.04 小倉工場 1984.10.06 幡生工場 1984.11.06 小倉工場
廃車・最終配置 2010.03.08 鹿児島 1987.02.02 松本 1999.10.22 鹿児島
S903編成 1967.12.08落成
車両番号 クモハ165-903 モハ164-903 クハ165-903
量産化改造・改番
施工日・担当工場
クモハ169-903 モハ168-903 クハ169-903
1968.11.30 長野工場
冷房化改造 1971.07.05 大井工場
他形式改造・改番
施工日・担当工場
クハ455-404 サハ165-104 クハ455-323
1985.03.20 小倉工場 1985.02.21 幡生工場 1985.03.20 小倉工場
廃車・最終配置 2004.07.16 鹿児島 1987.02.02 松本 2005.01.28 鹿児島
S904編成 1967.12.08落成
車両番号 クモハ165-904 モハ164-904 クハ165-904
量産化改造・改番
施工日・担当工場
クモハ169-904 モハ168-904 クハ169-904
1968.12.02 長野工場
冷房化改造 1971.07.15 大井工場
他形式改造・改番
施工日・担当工場
クハ455-405 サハ165-105 クハ455-324
1985.04.23 大宮工場 1985.03.27 大宮工場 1985.04.19 大宮工場
廃車・最終配置 2008.12.11 仙台 1987.02.02 松本 2007.04.02 仙台

163系

平坦かつ温暖線区での急行列車充当用として、153系から主電動機をMT46形からMT54形に変更して出力を100 kw→120kwに増大する一方で165系から耐寒耐雪構造・勾配抑速ブレーキを省略した実質的な153系増備車として当初は平坦線区の東海道本線向けに設計検討ならびに計画された系列である[20][注 7]

東海道新幹線開業後に関西地区で153系充当1等車連結列車の増発ならびにサロ153形に代わるリクライニングシート化と冷房化が推進されたためサロ152形増備が要求されたものの153系はすでに製造終了となっていたことから、1964年12月にサロ163-1 - 7の7両のみが新製された[22]

しかし、その後は運用に適する線区が山陽本線のみとなること。さらに将来の広域転配に対する考慮も含めて運転サイドからは系列統一の声が強く、上述した理由で先行製造となったサロ163形を除き電動車ユニットなどの2等車は製造が見送りとなり[22]、以後の増備は本来165系に標準で装備される耐寒耐雪構造を準備工事とした東海道・山陽本線向けの165系の暖地仕様車161両が新製された[21][23]

167系


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修学旅行列車用電車は1959年に東京・関西地区向けとして155系が落成し「ひので」「きぼう」で運用開始されたのに続き、155系の座席を4人掛けボックスシートとして、押込み通風器に変えた車輌が1961年に中京地区向けとして159系が落成し、大垣電車区に配置され「こまどり」で運転開始[22]。これに続き群馬県栃木県茨城県北関東地区向けとして165系をベースに開発設計されたのが本系列であり[22]、52両全車が汽車製造で製造された。

基本的構造では155・159系同様に乗降頻度が少ないことから客用扉幅を狭め、客席には脱着可能な大型折り畳み式テーブルを装備するほか、形式は155・159系での編成組成を前提にモハ167・166ユニットとクハ167形のみの構成とした。しかし室内設備は季節列車等一般列車にも投入することを想定して原型となった165系との相違点は少なく、低屋根構造はパンタグラフ部のみである。

1965年7月13日付で関東地区対京阪神増発用として4両編成x4本を組成するモハ167・166-1 - 4・クハ167-1 - 8の16両が田町電車区へ、1966年1月 - 2月に山口広島両県からの要請による山陽地方用として6両編成x4本と4両編成x3本を組成するモハ167・166-5 - 15・クハ167-9 - 22の36両が下関運転所へ新製配置された。田町配置車は1974年に修学旅行用列車の東海道新幹線移行に伴い、波動輸送を中心にした運用に転用された。下関配置車は1975年山陽新幹線岡山 - 博多間延伸に伴う修学旅行用列車廃止により、モハ167・166-5 - 9・クハ167-9 - 18の4両編成x5本計20両が田町電車区へ、モハ167・166-10 - 15・クハ167-19 - 22の8両編成x2本計16両が宮原電車区へ転出し、波動輸送中心に運用に転用されたが、1981年10月 - 1985年3月には唯一の定期急行列車運用となる「ごてんば」2往復に田町区配置車が充当された。

塗色は修学旅行色と呼ばれるライトスカーレット(朱色3号)とレモンイエロー(黄5号)とされたが、1978年9月に車両塗装に関する規定改定により修学旅行色が廃止されたため1979年以降は湘南色に変更された。

また1978年初夏から1981年にかけて、モハ167形がAU13EN形分散式6基、クハ167形が同形5基、モハ166形がAU72形集中式を搭載する冷房化改造工事を田町所属車が大井工場で、宮原所属車が吹田工場で施工された。冷房改造と同時に電源用三相引通を設置したことからクハ167形は総括制御回線を片渡り構造に変更。このほか出入台部飲料水タンクならびに洗面台撤去を実施し、宮原所属車はモハ166形を除く各車の物置を洗面所に変更する工事も同時施工した。

  • 湘南色への塗装変更は別施工であったことから1981年中頃までは修学旅行色を施した冷房車も存在した。

1982年にクハ167-2が事故廃車となったため当時神領電車区で廃車前提の休車だったクハ165-3[注 8]を1983年1月29日付で転入させ代車として編成組成した(詳細は後述)。その後は転属・廃車もなく分割民営化時にはJR東日本には35両が、JR西日本には16両が承継された。修学旅行用電車で冷房改造およびJRに継承された唯一の形式である。

167系製造分類
製造会社 落成 クハ167 モハ167・166 配置 JR化時承継先
汽車製造 1965年 1 - 8 1 - 4 田町 JR東日本田町電車区
(クハ167-2は1984年に事故廃車)
1966年 9 - 18 5 - 9 下関→田町
19 - 22 10 - 15 下関→宮原 JR西日本宮原電車区

博物館向けモックアップ

クハ167形モックアップ

2006年5月14日に閉館した交通博物館での展示を目的に、日本車輌製造が実車同様の部品を使用して現地で出張製造を行った。車号はクハ167-1とされ、修学旅行色の車体に「なかよし」のヘッドマーク[注 9]を前面貫通扉に掲出した。

交通博物館閉館後は埼玉県さいたま市大宮区大成町鉄道博物館に移設され、当初はノースウイング(北側別館)に、ノースウイング改装に伴いプロムナードで展示される。製造当時は休憩スペースにも利用されていた客室部分が徐々に短縮化され、現在は運転台部分と客室1区画程度である。

169系

169系湘南色
しなの鉄道リバイバル

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信越本線横川 - 軽井沢間専用補助機関車EF63形との間で最大12両[注 10]までの協調運転を可能とした派生系列。1967年12月に試作車165系900番台12両を日本車輌で新製し新前橋電車区に配置し、試験の結果翌1968年 - 1969年に量産車が169系として日本車輌・東急車輛・近畿車輛で製造された[注 11]

167系に次ぐ系列として169系となったが、これ以降の横軽協調運転対応車は系列数字の末尾を9とする慣例が確立し、後に特急形電車では489系189系が横軽協調運転対応車として落成した[24]

  • ただし末尾9はあくまでも慣例であり、119系など一部横軽協調対応でない系列にも割当てられた[24]

協調運転用機能以外は車体構造・車内設備・性能とも165系と同一であり、主な変更は以下の点にある[18]

  • CS15C形制御装置をベースに協調運転時はEF63形からの指令によりカム軸を途中停止可能にしたCS15D形へ変更。
  • SRB8形界磁接触器を新たに搭載。
  • 抵抗器を協調運転時に抑速ブレーキ使用時の温度上昇を抑制するため容量増大したMR52C形へ変更。
  • 下り軽井沢方先頭車となるクハ169形にEF63形との連絡装置・非常制動時に衝撃を抑える特殊構造の非常弁・主幹制御器への防護回路等を搭載。
クモハ169-1ジャンパ連結器
A:通常総括制御KE64形2基
B:協調総括制御KE70形
C:主回路用高圧電源KE6形
D:冷房用三相交流電源KE9形
クハ169-19ジャンパ栓受
貫通路寄りがKE70形用

ジャンパ連結器はEF63形との協調制御ならびに169系のみで編成を組成する場合には総括制御も可能なKE70形1基のほか[注 12]、冗長性の観点からベースとなった165系・167系との混結運転を可能にするため従来からのKE64形2基による総括制御回線も装備。しかしKE64形2基による制御は、165系・167系との混結はもとより169系のみで編成組成した場合でもEF63形との協調運転は不可である[注 13]

  • 総括制御・協調制御の各回線と逆エンド側には165系・167系と同様に主回路用高圧KE6形ならびに冷房用三相交流KE9形の電源引通系ジャンパ連結器を装備する。
  • 外観から165系との識別点は主として制御系ジャンパ連結器群にあり、クモハ169形では運転席下側に、クハ169形では助手席下側にKE64形2基を、さらにKE64形の貫通路側にKE70形1基を装備するほか、クハ169形にはKE70形用栓受けが装着される。また横軽間では電動車ユニットを麓側に連結を限定する制約ならびに協調制御回線の引通が存在することから、試作車を含め冷房準備車もしくは冷房車として製造されたこともあり総括制御回線は全車片渡り構造である。
  • このほか量産先頭車はクモハ165-123以降・クハ165-188以降と同様にシャッター式タイフォンカバーを採用し、予備笛としてAW-2形ホイッスルを屋根上に搭載する[18]

量産車はクモハ169形+モハ168形ユニット27組54両、クハ169形27両の計81両で、3形式とも1968年製車は冷房準備車。1969年製車は落成時からの冷房車。その他はすべて他形式からの改造車で[注 11]、長野運転所(現・長野総合車両センター)残留のサロ165形から改造されたサロ169形19両、サハシ153形から改造されたサハシ169形10両を加えた110両を長野運転所[注 14]に集中配置し、信越本線急行「信州」「妙高」「志賀」に充当された。このため169系としての総両数は122両となる。

設計時点で中央東線への乗り入れは考慮されず、モハ168形は試作車と異なりパンタグラフ搭載部は低屋根構造ではないが[18]、1978年以降は特急「あさま」への格上げなどにより信越本線急行運用が削減されたことから、余剰車はモハ168形にPS23A形パンタグラフへ換装するなど狭小トンネル対策を施工した上で松本運転所へ転出し中央東線などでも運用された。

試作車は1968年に量産化改造され169系900番台へ改番編入し、引き続き新前橋区配置で同区の165系と共通運用されたが、1984年 - 1985年にかけてクモハ・クハ169形がクハ455形に、モハ168形がサハ165形100番台に改造され区分消滅した。

また1976年のビュフェ営業終了後もサハシ169形は編成に組込まれたままとされたが、1978年8月から9月にかけてへ編成から外され1979年までに、グリーン車も1982年の2両→1両へ削減に続き、1985年3月14日ダイヤ改正で連結中止となりサロ169形は同年中に全車廃車となった。このため分割民営化時には新造量産車のみが残存しており、それぞれ異なる事情で廃車となったクモハ169-9・モハ168-5・クハ169-2を除いた新造量産車クモハ169形+モハ168形ユニット26組52両とクハ169形26両の計78両がJR東日本に承継された。

169系JR東日本承継車一覧
クモハ169
モハ168
承継時配置 廃車 最終配置 クハ169 承継時配置 廃車 最終配置
1 北長野 2013.06.01 戸倉 1 松本 2003.04.15 三鷹
2 松本 1999.01.11 松本 3 北長野 2001.01.12 長野
3 1999.03.10 三鷹 4 松本 1996.08.05 松本
4 5 1999.12.11 三鷹
5+9 幕張 1996.10.08 幕張 6 1999.03.10 三鷹
6 北長野 Mc:2013.07.24 戸倉
M':2013.08.01 戸倉
7 北長野 1998.12.10 松本
7 松本 1996.08.05 松本 8 松本 1999.06.23 三鷹
8 北長野 2000.06.10 長野 9 幕張 1996.10.08 幕張
10 松本 1999.03.10 松本 10 松本 2000.01.14 三鷹
11 1999.02.10 松本 11 1999.03.10 三鷹
12 2001.12.10 長野 12 北長野 2000.06.10 長野
13 北長野 2012.02.15 戸倉 13 北長野 2012.02.15 戸倉
14 松本 2001.12.10 長野 14 松本 2003.04.15 三鷹
15 北長野 2003.04.15 三鷹 15 1999.01.11 松本
16 北長野 2001.01.12 長野 16 1999.06.23 三鷹
17 北長野 1998.12.10 松本 17 1999.02.10 松本
18 松本 2001.01.14 三鷹 18 2003.01.30 三鷹
19 2003.04.15 三鷹 19 北長野 2013.08.01 戸倉
20 1999.12.11 三鷹 20 2013.07.17 戸倉
21 2003.04.15 三鷹 21 松本 2001.12.10 長野
22 1999.06.23 三鷹 22 北長野 2001.01.12 長野
23 北長野 2013.07.17 戸倉 23 2003.04.15 三鷹
24 北長野 2001.01.12 長野 24 松本
25 松本 1999.06.23 三鷹 25 2001.12.10 長野
26 2003.04.15 三鷹 26 1999.03.10 松本
27 2003.01.30 三鷹 27 北長野 2013.06.10 戸倉
備考
  • 車両番号太字:しなの鉄道譲渡車
  • 北長野表記:松本転出後1986年11月1日付で長野に再転入した「かもしか」用アコモ改善車
  • 車両番号斜体:部品取り譲渡車
  • クモハ169-17+モハ168-17+クハ169-7:しなの鉄道部品取り車
  • クモハ169-27+モハ168-27+クハ169-18:富士急行部品取り車
  • 以下の車両は国鉄時代に廃車
  • クモハ169-9:1982年7月27日(車両故障)
  • モハ168-5:1978年3月10日(事故)
  • クハ169-2:1987年2月2日(余剰)
  • 車両基地名称は当時の名称
  • 北長野:北長野運転所[注 14]
  • 長野:長野総合車両所[注 14]
  • 松本:松本運転所
  • 三鷹:三鷹電車区
  • 幕張:幕張電車区
  • 戸倉:しなの鉄道戸倉車両基地
  • 分割民営化時の配置両数
  • 北長野運転所:3両x9本計27両(うち5本はサハ165形組込の「かもしか」編成)
  • 松本運転所:3両x16本計48両
  • 幕張電車区:3両x1本計3両
  • 編成組成ならびに以後の転配は以下を参照のこと

1997年の北陸新幹線長野暫定開業による信越本線横川 - 軽井沢間廃止に伴いEF63形との協調運転を行う区間が消滅したため本系列は存在意義を喪失[25][注 15]。さらに信越本線軽井沢 - 篠ノ井間も経営分離によりしなの鉄道となり、同社に3両編成x4本計12両が譲渡された[25]

JR東日本所属車は1996年から2003年にかけて老朽廃車を実施し消滅。しなの鉄道譲渡車も2013年3月16日ダイヤ改定で定期運用を終了、週末を中心とした臨時列車運用も同年4月29日限りで運用終了し、同年8月1日までに全車廃車となり系列消滅した。


注釈

  1. ^ 1時間定格回転数を比較すると全界磁ではMT46形が1,655 rpm、MT54形が1,630 rpm、弱め界磁ではMT46形は35 %、MT54形は40 %で2,620 rpmとされる。
  2. ^ 運転曲線がノコギリ状になることから、これを「ノコギリ運転」と呼び運転士にとっては取り扱いが煩雑で上り勾配でのスムーズな運転の妨げにもなっていた。
  3. ^ 153系では出力5 kVAのMH81-DM44形MGが搭載されていたが、機器増加で出力が不足気味であったため20 kVAに向上させた[10]
  4. ^ a b c 房総地区での閑散期となる冬期に中央本線経由で富士急行ヘ向かう臨時列車への充当で狭小トンネル区間への入線が考慮されたため800番台で落成。1972年7月に全車幕張電車区へ転出。
  5. ^ a b 1970年に製造された時点で定期運用充当区間に狭小トンネルは存在しないが、後の車両転配を考慮して800番台で落成。
  6. ^ a b c d 碓氷峠区間で粘着運転への切替直前に実施された165系電車9両編成とEF63形による下り勾配での試験運転で、非常ブレーキを作動させたところ機関車次位のクハ165形軽井沢方にあたる車体後部が垂直座屈で浮上し、車体と台車が分離するという現象や上り勾配での客車牽引で縦勾配の変曲点で軽井沢方の台車が脱線する現象が発生したことに由来する[47]
  7. ^ 先頭車の塗り分け案も検討資料が残存する[21]
  8. ^ a b c 1963年3月10日付モハ165形+モハ164形800番台ユニットを組成する波動輸送対応編成の制御車として新前橋電車区へ新製配置。1964年4月に臨時準急「かいじ」充当のため三鷹電車区への転属を経て1964年10月1日付で田町電車区へ転入。1975年1月18日付で神領電車区へ転出した。
  9. ^ 閉館直前は「さよなら交通博物館」に取り替えられた。
  10. ^ ただし8両編成以下の場合は協調運転を実施せずEF63形重連による牽引・推進運転となる。
  11. ^ a b サロ169形はサロ165形として汽車製造・東急車輛・近畿車輌が、サハシ169形はサハシ153形として近畿車輌がそれぞれ製造したことから、169系は試作車・量産車・改造車を含め川崎車輌ならびに製造開始が東急車輛へ吸収合併された後であったことから帝國車輛が製造した車両は存在しない。
  12. ^ 189系・489系ではベースとなった183系1000番台・485系と総括制御回線は共通のKE70形ジャンパ連結器を使用し、協調制御回線は別途敷設されたKE76形ジャンパ連結器を介する方式を採用した。
  13. ^ 信越急行廃止後に波動輸送対応用として松本・三鷹・幕張へクモハ169+モハ168+クハ169の3両編成単位で転出が行われたが、いずれの車両基地も165系と混合配置であったことや横軽区間での協調運転が事実上皆無となったことから、本系列のみの編成もKE70形ジャンパ連結器は使用を停止しKE64形2基による総括制御を行ったほか、本系列のみの編成単位での譲渡となったしなの鉄道でも同様の措置が採られた。
  14. ^ a b c d e 1986年9月1日に長野運転所が長野運転所第二分所を統合し長野第一運転区へ改称。さらに1987年3月1日に北長野運転所へ再改称。JR化後は1991年7月1日に長野工場と統合し長野総合車両所となり、2004年6月1日に現組織の長野総合車両センターへ再改称。
  15. ^ 横軽区間を通過する定期運用は1986年11月ダイヤ改正による「妙高」189系化で終了した。
  16. ^ a b c クモハ165-8・19・27・36・57・91・93・97/クハ165-17・28・33・39・50・93・95・102
  17. ^ a b c d e f 900番台は169系化改造後の1971年に冷房化。
  18. ^ a b c d e 1968年利用債増備車。
  19. ^ a b c d e f g 1968年4次債務負担以降増備車が該当。
  20. ^ 翌1966年から1968年にかけて向日町運転所に一時的な転属を実施。
  21. ^ 分割民営化後にJR東海では一部ユニットの組替を行った。
  22. ^ MH113A-C2000M形は既にモハ102形・モハ114形への搭載実績があり、以後はモハ454・456・474形へも波及する。
  23. ^ 500番台は1963年のみの製造。0番台は1967年で一旦製造が終わっていたこともあり、両番台区分の冷房準備車は存在しない。
  24. ^ a b モハ164-8・19・27・36・43・55・57・61。後に一部車両はAU72形に換装された。
  25. ^ ただし、後年に方向転換改造を施工した車両が存在する。
  26. ^ 稼働させるには自車冷房給電用MGで稼働させるため。
  27. ^ 房総西線電化用最終増備車で全車津田沼電車区へ新製配置。
  28. ^ a b c サハシ165形2両組込とされた新潟運転所最初期編成では1等車サロ165形2両をサハシ165形ビュフェ部で挟み込む組成とされた。これには2等客がビュフェを利用する際に1等車内を通り抜けることを避ける配慮によるもので、本思想は「こだま」運転開始時8両編成を組成した20系特急電車から踏襲されたものであり、同じくビュフェ車2両組込が行われた153系東海道本線急行・451系急行「みやぎの」・471系北陸本線急行でも採用された。
  29. ^ a b c d e f 普通車冷房化時の松本運転所基本編成は、自車給電用MGを搭載するサロ165形2両とサハシ165形もしくはサハ164形を除くとクモハ165+モハ164形ユニット2組とクハ165形1両の8両で組成された。そのため給電容量を確保できなくなることから、同所のサハシ165形もしくはサハ164形は110 kVA MGを搭載する必要に迫られた。なお、同様にビュフェ車を組込む長野運転所基本編成はクハ169形2両組込の9両編成、新潟運転所基本編成はサロ165形2両+サハシ165形の前後に3両ないし4両の普通車で挟み込む形態であるためサハシ165・169形のMG交換は必要ない。
  30. ^ a b c 同車はクモハ165-139+モハ164-862+クハ165-204と共に1970年5月30日に落成したが、呉線電化によるダイヤ改正は同年10月1日であったことから、同年7月1日から9月2日まで夏ダイヤが設定される房総地区用として津田沼電車区へ貸渡的な転属が実施された。
  31. ^ 供食設備であるビュフェでは、当時の列車トイレが垂れ流し式で衛生上の観点から黄害対策も考慮されたことから、サハシ153形以降に採用された空調装置を搭載した上で固定窓とする設計思想を踏襲したものである。
  32. ^ 交直両用車ではクモハ455+モハ454形ユニットで6組12両、クモハ475+モハ474形ユニットで3組6両、クハ455形で7両の計25両が同様のAU12S形冷房準備車で落成。
  33. ^ a b c d e f g h 制御回路引き通しのジャンパ連結器に関しては153系のKE57A形と165系のKE64形では互換性があり混用も可能。付随車では抑速ブレーキを制御するための制御器ならびに動作に必要な機器も搭載されていないこと。制御車も編成中間組込みや最後尾などの制御を行わない場合に限り、混結されていても制御回路が結線されていれば、編成全体で抑速ブレーキの使用は可能である[34]
  34. ^ 宮原区から転入したクモハ165形+モハ164形500番台ユニットは、山陽本線準急増結車運用で分割併合を行う岡山駅の配線構造から本来とは逆になる下り向きに組成されていた。
  35. ^ a b パノラマエクスプレスアルプスへの改造着手は1986年10月からで[42]、種車は1985年3月に三鷹電車区へ配置された波動輸送対応編成からクモハ165-127+モハ164-850+クハ165-192と松本運転所所属で中央東線運用に充当されていたクモハ165-123+モハ164-846+クハ165-148であるが、松本所属の3両は1986年11月2日付で一旦車籍を三鷹電車区へ移してから大井工場で改造施工。1987年3月17日付でクモロ165-4+モロ164-804+クロ165-4として落成。
  36. ^ 名鉄パノラマカー小田急ロマンスカーとは異なり、完全な2階建て構造とはなっていない。
  37. ^ 実際には183系との併結による営業運転は行われていない。
  38. ^ 変わった運用では、2000年に日本テレビクイズ番組『第20回全国高等学校クイズ選手権』全国大会で、"特Qファイアー号"として中央本線・篠ノ井線・信越本線・上越線などで運転された。
  39. ^ 越後湯沢にある「アルプの里」にちなんだ愛称。中央東線の急行「アルプス」とは無関係。
  40. ^ a b サロ165-24は、冷房化改造施工直前に大破事故に遭遇したために非冷房のまま廃車。
  41. ^ a b 新製配置は新前橋電車区で1966年10月に信越急行運用一部移管で長野運転所へ転出。同年12月に田町電車区へ転入。新前橋電車区からの転入車を含み横軽対策施工車である。
  42. ^ a b 中央東線上諏訪電化「たてしな」充当用として1964年に三鷹電車区へ新製配置された車両で1965年7月に松本運転所転出を経て1966年7月に宮原電車区へ転出。田町区へは1967年4月14日付で転入。
  43. ^ a b 1966年に転入するも車両需給調整により1967年に全車新前橋電車区へ再転出。
  44. ^ モハ164形はパンタグラフ搭載によりAU12S形では5基分のスペースしかなく冷房能力が不足することが問題となったこと。全車集中式に統一しなかった理由は、集中式装置が当時高価であり搭載には車体補強改造も必要とされ高コストになるためである。
  45. ^ 日本の鉄道では前部標識という法律的な扱いで正式にも前灯と称し、夜間および長大トンネル区間では点灯が義務付けられる。
  46. ^ 運用は下り6号で夜間は甲府滞留、翌朝立川快速2530Mで戻る形態とされた[54]
  47. ^ モハ168形およびモハ164形横軽対策施工車では◆●モハ168(164)-車両番号表記。
  48. ^ a b c d 1986年11月1日ダイヤ改正まで169系長野配置車は「妙高」運用に充当されていたこと。一方で「かもしか」運用充当車は狭小トンネル対策が必要かつ松本所属のサハ165形も対象に含まれており、改造日程の都合からも運用に余裕のあった松本配置車に施工し長野配置車と車両交換する形態が採用された。
  49. ^ 1986年3月27日落成のクモハ169-6+モハ168-8+サハ165-10+クハ169-19と同年6月4日落成のクモハ169-13+モハ168-13+サハ165-8+クハ169-13
  50. ^ 本系列ならびに12系客車もサービス用電源電圧は三相交流440 Vであり、スハフ12形に搭載されるディーゼル発電機の容量は0番台で180 kVA、100番台で210 kVAであり、自車を含み6両分の供給容量がある。
  51. ^ N31編成の充当は、後にサハ165形を外した3両編成での運転となり、DD16形単機での牽引に変更された[63]
  52. ^ 1963年2月23日夜にクモハ165-1+モハ165-1+クハ165-1のトップナンバー3両が長岡第二機関区に到着した[69]
  53. ^ 「佐渡」が5月15日から、「弥彦」が5月16日から、「ゆきぐに」が5月18日から運用変更との報道がある[72]
  54. ^ K1編成は老朽化により1996年に休車となり、1998年9月30日付で廃車[60]
  55. ^ a b c クハ165-162・166・170は1968年に大垣電車区へ新製配置された冷房準備車で1969年に宮原電車区へ転出。1971年に162・166は鷹取工場で、170は吹田工場で冷房化改造を施工。166・170は1972年に新潟へ転入した経歴を持つ。また162は房総西線での脱線事故で大破廃車となったクハ165-202の代車として冷房化改造施工と同時に津田沼電車区→幕張電車区へ移籍した経歴を持つ。
  56. ^ 中央東線急行電車化用として日本車輌で落成したクモハ165-76+モハ164-823は、クハ165-80と共に1965年4月9日付で浦和電車区へ暫定新製配置。書類上3日後の同月12日付で大垣電車区へ転出。同年7月16日付で松本運転所へ転出した経歴がある。またクハ165-105は汽車製造で落成後の1965年5月18日付で松本運転所へ新製配置された。この3両は1986年11月5日付で上沼垂運転区へ転入。
  57. ^ 当初は6月末で運転終了であったが、好評のため「こころ」放映最終日の翌日である9月28日まで延長された。
  58. ^ 新前橋区では、三鷹電車区で115系による急行運用が発生した際にサロ165-14・15に引通線改造を施工して長期貸渡した実績がある。
  59. ^ 本来上野口で夜間滞留となる編成を間合い運用で充当し、下りは前日の普通列車により白河へ送り込む運用が組まれた。
  60. ^ 157系は伊豆急下田直通特急「あまぎ」に転用された[92]
  61. ^ a b c d 沿線に国際的観光地で日本三大外国人避暑地と知られる国際的観光地である軽井沢が存在していたことから[98][99]、当時の国鉄が1等車最低2両連結は必須と判断したことによる。また横軽区間通過により付随車は極力長野方に連結する方針が採られたことから、1等車2両は長野方6・7号車に組成されたが、これは1966年から運転された181系特急「あさま」でも同じ組成となった。
  62. ^ 田町転入車のうち1両は早期廃車となったほか、幕張転入車のうち1両はAU13E形最終製造車グループのサロ165-130である。
  63. ^ 横川 - 軽井沢間は連絡バス。
  64. ^ 当初は11両編成での投入が計画されたが[97]、保安上かつ事故防止の観点から連結両数を8両までに制限された[注 6][47]
  65. ^ 2002年に通称だった屋代線に改称し、2012年に廃止。
  66. ^ 駅名改称は1969年10月1日付。
  67. ^ a b クモハ169+モハ168-18・19 クハ169-10・13・14 サロ169-12
  68. ^ 大糸線乗入列車用にサロ85形を改造した1等展望車の導入が計画されていたが、諸般の事情で中止となった。
  69. ^ サロ165-117 - 128は1968年2月 - 3月に日本車輌で落成した同年10月1日ダイヤ改正用早期落成車で、大垣電車区に仮配置後の同年117 - 119・127・128が松本運転所へ、120 - 126が新前橋電車区転出した。
  70. ^ 中央東線から身延線に入線する場合、一旦新宿方にスイッチバックするため双方の列車に遅延防止という点から付属編成位置を逆転させた。上り列車では「みのぶ」が甲府に先着後に一旦引き上げ線へ転線後に基本編成と併結作業を行った。
  71. ^ 165系化後の1975年4月24日付で廃車され、同年7月に有田鉄道へ譲渡。
  72. ^ 「アルプス」はキロ58形2両組込5両基本編成+3両付属編成とされ、1往復が松本発着。もう1往復は基本編成が松本転回、付属編成が大糸線糸魚川直通とされたが、165系化で南小谷発着に変更。「こまがね」と富士急行所有のキハ58形[注 71]を充当する「かわぐち」は165系松本所属車付属編成での運用となった[108]
  73. ^ 下りは中込行。上りは小諸始発で中込までは普通列車で運転。
  74. ^ 定期列車では1970年10月1日ダイヤ改正で設定された下り「かいじ6号」は1975年3月10日ダイヤ改正まで三鷹電車区の115系が充当されたほか、臨時列車では「かいじ」「かわぐち」「たてしな」などに1978年10月ダイヤ改正まで充当された。また夏期や冬期スキーシーズンに設定される臨時「アルプス」「たてしな」は、両定期列車が廃止されるまで165系のみならずEF64形牽引の客車列車での運転も行われ、旧型・10系12系14系座席車などが充当された。
  75. ^ 新製時からの冷房車で最終製造ユニットのクモハ165-141+モハ164-864は新潟→大垣→松本で転入。
  76. ^ a b A6編成は部品取りとしてしなの鉄道へ譲渡。
  77. ^ 同改正に伴う転配では松本運転所へ8両、大垣電車区へ5両が転出。
  78. ^ クモハ165-44+モハ165-503+クハ165-4 クモハ165-48+モハ165-507+クハ165-63 クモハ165-49+モハ165-508+クハ165-49 クモハ165-51+モハ165-510+クハ165-22
  79. ^ 本運用では中央西線松本発名古屋行が、6両で名古屋到着後に3両に減車して名古屋発亀山行普通列車に充当[115]
  80. ^ 新製配置が長野運転所のため。
  81. ^ 臨時扱いの運転区間延長で米原浜松発着も設定された[117]
  82. ^ 田城郁JR東労組出身で自身も電車運転士経歴のある元参議院議員)のブログに寄せられた「富士川」乗務経験者の運転士の弁による[119]
  83. ^ 各車両基地の予備車を集めて編成組成を行ったほか、本来はダイヤ改正での増備車両を早期落成させて充当させたケースもある。
  84. ^ 大垣から転入したクハ153形6両全車と田町から転入したMM'ユニット4組8両ならびにクハ153形2両は非冷房車で、1975年夏期の段階では153系基本編成5本中冷房稼働可能は1編成のみであった。このため1976年夏期までに3編成へ冷房工事を施工。残存した非冷房1編成も1977年夏期までに冷房改造が施工された。
  85. ^ 153系は全廃まで約1年の短期間でありながら状態の悪い初期車置換え用に検査期限が長い車両が選出され、下関からの転入車は全廃となった。
  86. ^ 28両中23両が田町配置となり、22 - 26の5両が新前橋配置となった。
  87. ^ サロ153形はリクライニングシート車へ置換えでサロ110形改造種車としての捻出名義。サロ152形はサロ112形改造種車としての捻出名義である。
  88. ^ 1 - 4は1967年に転入。
  89. ^ 伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺乗入対応用5両付属編成に組成されるグリーン車は、CP搭載制約があったことからサロ152形200→100番台が限定されたが、1975年のサロ152形全車置換え時にはサハ153形200番台に組成変更となり付属編成へのグリーン車連結は終了した。
  90. ^ 併結はされるものの「東海」もしくは湘南急行編成と「ごてんば」編成間貫通幌は使用しないため通り抜けは不可。
  91. ^ 東北上越新幹線工事のため1973年10月1日ダイヤ改正で廃止。2015年3月に上野東京ラインとして約42年ぶりに復活。
  92. ^ 車両転配の関係からダイヤ改正前の1980年9月から「ごてんば」には167系が充当された。
  93. ^ 着座定員は165系3両編成の「ごてんば」が236名、3000形SSE車5両編成の「あさぎり」が222名であるが、完全着座かつ全席指定の「あさぎり」は繁忙期や予約状況に応じて2編成併結の10両編成での運転で対応した。
  94. ^ 都内から御殿場線へのアクセスは、新宿発着で小田急電鉄小田原線を経由する特別準急→連絡急行「あさぎり」が4往復運転されており乗客の嗜好もそちらに集中したことも廃止要因の一つである[注 93]
  95. ^ 153系は置換えが絶対条件ではなかったため検査期限に余裕のある車両を中心に1982年11月15日ダイヤ改正後も引き続き使用された。置換え完了後に一部車両は休車扱いとなり、1984年1月までに廃車された。
  96. ^ 完全165系化以前は、MM`ユニットが153系・155系・159系で組成。制御車はクハ164・165形で統一。グリーン車はサロ163・165形とされたほか、2両組成される普通付随車のうち1両は冷房電源確保のためサハ153形200番台もしくは1980年まではサハ164形が組成された。
  97. ^ 共通予備車であったモハ165-1+モハ164-801のトップナンバーMM'ユニットは、廃車まで汚物処理装置を未搭載。
  98. ^ 臨時増発は1987年3月31日に4月1日の国鉄分割民営化を前に殺到した謝恩フリーきっぷの乗客に対応するため神領電車区所属165系8両編成による運転が突発で設定されたことが起源とされており、その後も多客期に東京・品川 - 名古屋間に突発設定された。時刻表に正式掲載されたのは1989年12月からで運転日により下りは東京発大垣行・東京発名古屋行・豊橋発名古屋行の3パターンが存在した[128]
  99. ^ 最繁忙期に8両編成へ3両編成を増結した11両編成での運転実績がある。
  100. ^ 本転配では元豊橋所属のT1編成やAU12S型試作冷房改造車クモハ165-36ならびに前灯が原型白熱灯のクモハ165-61・クハ165-31なども神領区へ転入したほか、同時に汚物処理装置未搭載車はトイレ封鎖と洗面所撤去が行われ、撤去跡は化粧板で塞がれた。
  101. ^ 1988年に大垣区から神領へ転属した3両編成x15本は汚物処理装置未搭載車が多数を占めており、全車未搭載という編成も存在した。このため原則的にクハ165形へ汚物処理装置を搭載しトイレを集中化する策が採られたが、全編成工事完了前の1990年に「東海」編成変更で余剰となったモハ165形とユニットを組む処理装置搭載モハ164形800番台と処理装置未搭載モハ164形を差し替える車両転配を静岡運転所との間で行った結果[注 100]、T11編成とT12編成はそれぞれに組成されるモハ164-832・834のトイレを使用した。
  102. ^ トイレを3ヶ所確保するにはモハ164形のトイレが使用可能なT11・T12編成からクハ165形除外が必須とされたが、回送運転台装備のクモハ165-43+モハ164-504ユニットを組成するT7編成は編成組換などに使い勝手がよいことから、トイレ使用可能なクハ165-176を抜き中間に組み込むケースが多く、同様にT11・T12編成以外の編成からクハ165形をカットして8両を組成した場合も含めてトイレは2ヶ所のみとなる。
  103. ^ ただし恒常的なものではなく、クハ165形を含み「富士川」用F編成との間で度々車両交換も行われたほか、「東海」運用終了直前の1996年3月11日付でK2編成に組成されていたモハ165-18+モハ164-81が廃車されたためF11編成に組成されていたモハ165-7+モハ164-829に組換て対応した。
  104. ^ 特急格上げ後の「東海」は2007年3月18日に廃止、「ムーンライトながら」も2009年3月14日をもって臨時列車化のうえ車両も田町車両センター配置の183・189系電車、後に大宮配置の185系電車に変更されたが、373系は2012年3月ダイヤ改正まで普通列車として東京まで乗り入れた。
  105. ^ 「鷲羽」運用で乗入れる宇野線変電所容量の関係から電動車は4両までの制約があった。
  106. ^ 当時非冷房のクハ153形は両渡り構造であったため逆向きでの連結も可能。
  107. ^ 同ユニットは1965年7月の中央東線松本電化電車急行増発用に日本車輌で製造され1964年12月17日付で三鷹電車区へ暫定新製配置後に広島運転所へ転出した。約4ヶ月の配置を経て本来の配置先である松本運転所へ転出したが、広島所は本系列の定期運用が存在しておらず、編成組成に必要なクハ165形が無配置であったことから、何らかの理由で書類上疎開的配置が生じたと考えられる。また同様に松本配置予定早期落成車のうち浦和電車区へ配置されたクモハ165-75+モハ164-822+クハ165-79が豊橋機関区に、クモハ165-76+モハ164-823+クハ165-80が大垣電車区に約3ヶ月間の一時的配置経歴がある。
  108. ^ MT46系主電動機を搭載する153系は、最大勾配22.6 ‰の瀬野八区間を通過する際にMT比1:1では出力不足により補助機関車の連結が必要であるが、MT比1.5:1以上をクリアすれば自走での通過は可能である。
  109. ^ 塗装変更工事は1971年頃より開始され、一時的に急行運用へも充当された。また検査などで「鷲羽」「比叡」運用にブルーライナー色車が、新快速に湘南色車が組成されたケースがあった。
  110. ^ 過渡期には湘南色で新快速編成へ組成された車両のほか、ブルーライナー塗装のまま転出した車両も確認された。
  111. ^ ただし転入は1986年11月ダイヤ改正前から行われており、名古屋地区の117系電車短編成化に伴う代走で同年7月から10月まで、また紀勢本線新宮 - 御坊間ホーム嵩上げ工事の進捗もあり特急「くろしお」用485系の九州地区・北近畿地区転用改造に伴う代走で同年10月1日 - 31日まで充当された実績がある。
  112. ^ a b 春もしくは秋シーズンに運転。往路の日光行きは東海道本線・横須賀線各駅を出発して品川で方向転換。山手貨物線渋谷・新宿・池袋を経由し東北本線に入り、宇都宮で再度方向転換し日光に向かう。復路は逆経路となる。列車番号は、下りが9882Mまたは9782M - 9583M - 8583M - 8841M上りが8848M - 8584M - 9584M -9885Mまたは9785Mで東海道線発着時は9882M・9885M、横須賀線発着時は9782M・9785M。列車番号は品川・大宮・宇都宮でそれぞれ変更となる。
  113. ^ 東京 - 中野間は1990年3月にATS-P使用開始。
  114. ^ 三鷹電車区には循環式汚物処理装置の抜取地上設備がないことから、パノラマエクスプレスアルプスでは1998年に循環式へ交換される以前はカセット式を採用したほか、一般車では運用充当後の翌日に設備のある田町電車区へ回送し抜取を行っていた。
  115. ^ 松本へ転出した165系4本は、車両交換実施後も運用に就くことなく1993年までに廃車となった。
  116. ^ 管轄支社から八王子とも呼ばれる。
  117. ^ 同日に三鷹区まで回送された際には「急行」の種別幕が表示された。
  118. ^ 長野N31→三鷹M1。長野N33→三鷹M2。長野N35→三鷹M3。
  119. ^ 松本A5→三鷹M4。松本A9→三鷹M5。
  120. ^ 元上沼垂K2編成。三鷹転入は1998年12月1日付であるが、ATS-P搭載ならびに塗装変更は1999年3月6日に大宮工場で施工のため実際の運用開始はそれ以降である。
  121. ^ その後田町区では本系列と入換に波動輸送対応用で配置された183系1000番台・189系にHの記号を使用した。
  122. ^ 1989年に長野工場で車体更新を実施した際に前面強化とシールドビーム化を同時施工したクハ167-1、冷房化・シールドビーム化を同時施工した後に前面強化したクハ167-7、国鉄時代の1980年に長野工場で前面強化とシールドビーム化を同時施工したクハ165-3 クハ167-5・6、白熱灯筐体を利用して簡易シールドビーム化し前面強化時に一般的な小型シールドビーム化したクハ167-3・4・11・12・15・16と施工経緯が4種類に分類される。
  123. ^ アコモ改善車クハ167-8とメルヘン車クハ167-9・10・13・14ならびにH19編成に組成されるもクハ167-9・10が該当。1990年もしくは1991年に角型ヘッドライト化改造を施工し、1993年に前面強化を施工した。
  124. ^ シーズン中には新前橋区や三鷹区などの165・169系も投入された。
  125. ^ H14編成は1990年8月にアコモ改善改造を施工したが、クハ167-7は1978年の冷房化改造時にシールドビーム化されており、本改善で前面強化されたが、クハ167-8は角型ヘッドライト化のみ施工したための差異。
  126. ^ 同列車ではパノラマエクスプレスアルプスがグリーン車。本系列が普通車として運転された。
  127. ^ 内陸県の長野から日本海に面し複数の海水浴場を有する糸魚川市に向けて日帰りで海水浴を目的に1974年から夏期に運転された臨時列車。使用車両は当初は松本運転所所属165系もしくは北長野運転所所属169系が、1990年代に入り189系が充当された。ダイヤ設定は長野鉄道管理局(現・東日本旅客鉄道長野支社)が行い、始発駅は軽井沢・小諸のほか、年次によっては中央東線茅野始発列車も設定。軽井沢 - 長野間しなの鉄道移管後は長野発着となったが、1999年の運転を最後に廃止された。
  128. ^ 3001(最終運用投入編成)・3003編成は、1968年に施工された試作冷房改造車の最終残存車でありデハ3101(元・モハ164-55)はAU71形を搭載した状態で譲渡。移籍後に他車と互換や整備性の観点からAU72形への交換を行った
  129. ^ 換装はモハ168形のみに行われ、115系のモハ114形へは未実施である[147]。また霜対策は特に軽井沢 - 小諸間で必要とされており、冬期は霜切り列車が早朝始発前の小諸 - 軽井沢間で1往復運転された[147]
  130. ^ 被害が大きくなかったことと製造から10年以内で減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和40年3月31日大蔵省令第15号)に定められた鉄道用車両における電車の償却年数である13年に満たない状態であったことが理由である。これには当時の長野鉄道管理局(現・東日本旅客鉄道長野支社)では、1975年にクハ180-1 - 3を製造から9年で廃車解体としたこと。また国鉄全体でも事故・故障が多発したDD54形が最長でも約10年、最短4年10ヶ月で全車廃車になり、1976年に国会で問題として取り上げられ会計検査院からも不適切な処理と指摘されたことも関係する。

出典

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