国民協議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 08:06 UTC 版)
院内勢力
国民議会に議席を多く有する順に表記する。
- インドネシア闘争民主党(PDI-P):かつての体制内野党・インドネシア民主党のメガワティ派などが、政党自由化に伴って設立した党。パンチャシラを掲げる中道左派[4](もっとも、パンチャシラはインドネシアのほとんどの有力政党が掲げている)[5]。現大統領ジョコ・ウィドドが所属する。
- ゴルカル(Golkar):スハルト時代の万年与党。その歴史から安定した党機構と支持層をもち、現在もマルク諸島など東部で投票者が多い[5]。自由主義保守派。党名は“Golongan Karya”の略(詳細は当該項目参照)。
- グリンドラ党(Gerindra):小政党が合併して勢力を拡大した党。ナショナリズムとポピュリズムの傾向がある。党名は“Gerakan Indonesia Raya”の略で、和訳例は「大インドネシア運動党」[6]。2007年結成の農民漁民党を前身とする[6]。
- ナスデム党(NasDem):世俗主義新党[4]。党名は“Nasional Demokrat”の略で、和訳例は「国民民主党」[6]「全国民主党」[7]など。元ゴルカル党政治家でテレビ局MetroTVなどを所有するスルヤ・パロが2011年7月に設立した政党[6]。
- 民族覚醒党(PKB):イスラム系団体「ナフダトゥル・ウラマー」を支持母体とする政党。イスラム系だが国民政党をめざし、一時は改革派と目されたが内紛で党勢が低下していたが、2014年総選挙では分裂状態を解消して党勢を回復し、連立与党の一角を占めている[4][6]。
- 民主主義者党[注釈 1](Demokrat):ユドヨノ前大統領を支援すべく設立された党。穏健なイスラムを掲げる中道政党だった[4]が、幹部の相次ぐ汚職発覚で党勢が半減した。また、既存の大政党に比較して党組織は脆弱でとりわけ地方の人材が不足しているといわれる[6]。
- 福祉正義党(PKS):エジプトのムスリム同胞団をモデルに造られた大学組織発祥の政党。現在はイスラム復興色は薄い[4][5]。
- 国民信託党(PAN):「国民」を前面に押し出し、都市部で安定的な支持を受ける政党[6]。
- 開発統一党(PPP):スハルト時代にイスラム系各党が合流して発足した政党。イスラム的傾向を明確にしている。しかし、結党以来の派閥争いは解消されず、2019年総選挙直前に党首が逮捕された影響で、党勢は風前の灯である[6]。
注釈
- ^ 党名は本来「民主党」と訳すべきであるが、上記インドネシア民主党とは起源も性格も異なるため、あえて民主主義者党と訳出した
出典
- ^ a b 安中章夫・三平則夫編『現代インドネシアの政治と経済 - スハルト政権の30年 -』、アジア経済研究所、1995年
- ^ a b c 総務省大臣官房企画課 (2008-10). インドネシアの行政 (PDF) (Report). 2015-01-21閲覧。
{{cite report}}
:|date=
の日付が不正です。 (説明) - ^ 増原綾子 (2007-10-25) (日本語). スハルト体制下における与党ゴルカルの変容とインドネシアの政治変動 : 翼賛型個人支配とその政治的移行. 東京大学総合文化研究科国際社会科学専攻. pp. 1-202. doi:10.15083/00002269. NAID 500000459247 2015年4月27日閲覧。.
- ^ a b c d e “Indonesia’s Political Parties”. 2015年1月21日閲覧。
- ^ a b c “インドネシア政党”. 2015年1月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 見市建 (2019年11月18日). “インドネシア/政党”. 中東・イスラーム諸国の政治変動. NIHUプログラム現代中東研究・政治変動研究会. 2019年11月25日閲覧。
- ^ “インドネシア総選挙最終結果、最大野党・闘争民主党が第1党” (日本語). ロイター通信. (2014年5月10日) 2015年1月21日閲覧。
- 1 国民協議会とは
- 2 国民協議会の概要
- 3 院内勢力
- 4 脚注
- 国民協議会のページへのリンク