仙台市立上杉山中学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/15 14:29 UTC 版)
概要
仙台市中心部(一番町、官公署街など)に位置する為、[2]、他校に比べて転入・転校する生徒が多い。
北海道白老町立白翔中とは、姉妹校調印をしており、交互に記念品の交換をしたり、修学旅行で白翔中を訪問したり、といった積極的な交流活動を行っている。(詳しくは下記「姉妹校・分校」欄を参考。)
また、現在の校舎は、1972年第一期竣工(完成)されたものであり、2022年で築50年となる。
校風
校風としては、伝統を重んじる風潮が強く、伝統ある学校で学んでいるという誇りと自信を育てる活動を展開している[2]。(年季の入った校舎も伝統の一つである)最たる例である「上中魂」という言葉は、上中生が持つべき志や態度として示され、各学年が全校行事において目指す象徴だ。そのため、学校行事に対して意識が高く、活気がある。
校歌
昭和22年4月1日の仙台市立第四中学校の学校設置以来、昭和24年10月の上杉山中学校への校名変更に至るまでに、あらゆる障害を凌いで生徒たちが力強く歩む、そのような校風を作りたいと、東北大学の教授から初代校長に着任した千葉胤成は校歌制定を熱望し、作詞者として決定した巽聖歌と数人の職員とともに上杉山通から台原付近を散策した。 その際、千葉校長は、上杉山の地名は聳え立つ杉の木を連想させ、杉の若木がすくすくと伸びてやがて大きな大木となることから、その姿に生徒の姿を重ね合わせたという。 その後作曲の段となり、仙台出身の演奏家であり作曲家であった福井文彦により、流麗かつ荘厳な曲調が付されることとなった。各節にある「上杉山~われらの中学」の繰り返しは福井の創造によるものとされている。 校歌発表会は昭和24年12月に校舎で盛大に行われ、管弦楽演奏に乗せて、齋藤克子が華麗に歌い上げた。この時の演奏は誠に堂々たるもので、上杉山の生徒が心の糧として、永く歌い継ぐに相応しいものだったと言い伝えられる[3]。
1番 | 見よ大空にそびえ立つ 杉の大樹のその蒼さ
これぞ母校の象徴と 讃えん常に高らかに 上杉山上杉山われら われら われら われらの中学 |
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2番 | 大仙台の北にして 養賢堂の跡ちかく
享くるは永き伝統の 学びの道のそのこころ 上杉山上杉山われら われら われら われらの中学 |
3番 | 泉が岳に湧く雲の 悠々たるを眺めては
わが若き日の幸福の 涯なき行手おもうかな 上杉山上杉山われら われら われら われらの中学 |
学区
- 仙台市立上杉山通小学校(一部地域を除く全学区)
- 仙台市立通町小学校(堤通雨宮町の一部)
- 仙台市立北六番丁小学校(上杉、宮町、台原南東部の一部)
- 仙台市立台原中学校(台原南部の一部)
上杉山中学区は以下4小学区から構成されている[4]が、中学区全体の90%以上が上杉山通小学区であり、入学生のほとんどは同小学校の卒業生である。それ以外の小学区からの進学者は学区が極めて狭いことから例年数名程度となっている。また、中学入学時に他地域から転入する入学生が多いことも特徴である。
固有名詞の分類
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