リーガ・エスパニョーラ1930-1931 リーガ・エスパニョーラ1930-1931の概要

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リーガ・エスパニョーラ1930-1931

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 09:43 UTC 版)

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リーガ・エスパニョーラ
シーズン 1930-1931
優勝 アスレティック・ビルバオ(2回目)
昇格 バレンシアCF
降格 CDエウロパ
試合数 90
ゴール数 384 (1試合平均4.27)
1試合平均
ゴール数
4.27
得点王 19点 バタ
最大差勝利ホーム試合
アスレティック・ビルバオ 12-1 FCバルセロナ
最大差勝利アウェー試合
レアル・マドリード 0-6 アスレティック・ビルバオ
最多得点試合
アスレティック・ビルバオ 12-1 FCバルセロナ
最多連勝記録
6連勝
レアル・ソシエダ
最多連続負け無し記録
7試合
FCバルセロナ
最多連続勝ち無し記録
7試合
レアル・ウニオン
最多連敗記録
5試合
CDエウロパ

リーガ・エスパニョーラ1930-1931スペインのプロサッカーリーグ、リーガ・エスパニョーラの3回目のシーズンである。

1930年12月7日に開幕し、1931年4月5日に閉幕した。アスレティック・ビルバオが最終節で2位・3位との当該対戦得失点差により1位を確定し、リーグを2連覇した[1]

1930-1931年シーズンの昇降格

セグンダ・ディビシオンへ降格 プリメーラ・ディビシオンへ昇格
アトレティコ・マドリード(初)
(プリメーラ・ディビシオン1929-1930最下位)[2]
デポルティーボ・アラベス(初)
(セグンダ・ディビシオン1929-1930優勝)

リーガ・エスパニョーラ1930-31年シーズンのチーム

1930-1931年シーズンの王者アスレティック・ビルバオ。後列左からムゲルサ、チッリ2世、ウルキス、ラフエンテ、ブラスコ、イスピスア、ウリベ、ウナムーノ、カステリャノス。前列左からバタ、エチェバリア、ゴロスティサ

デポルティーボ・アラベスが昇格し、全体の半分をバスク州のクラブチームが占める顔ぶれとなった。

クラブ ホームタウン スタジアム 収容人数 監督
デポルティーボ・アラベス ビトリア=ガステイス メンディソロツァ 8,000 ホセ・バオンサ
アレナス・デ・ゲチョ ゲチョ イバイオンド 18,000
アスレティック・ビルバオ ビルバオ サン・マメス 18,000 フレッド・ペントランド
FCバルセロナ バルセロナ ラス・コルツ 23,000 ジェイムズ・ベラミー
RCDエスパニョール バルセロナ エスタディ・デ・サリア 18,000 パトリシオ・カイセド
CDエウロパ バルセロナ カンプ・ダル・ギナルドー 18,000 ジュアン・ブルドゥイ
ラシン・サンタンデール サンタンデール エル・サルディネーロ 12,000 ロバート・ファース
レアル・マドリード マドリード チャマルティン 16,500 リッポ・ヘルツカ
レアル・ソシエダ サン・セバスティアン アトーチャ 12,000 ハリー・ロウ
レアル・ウニオン イルン スタジアム・ガル 12,000

シーズンの流れ

王者アスレティック・ビルバオはスタートダッシュに失敗。昇格組のデポルティーボ・アラベスが一時首位に立ち、レアル・マドリードが好調な滑り出し。2シーズン連続で残留争いをしていたラシン・サンタンデールがファース新監督の下で終盤まで上位を争うなど、先の見えない展開が続いた。

中盤戦はハリー・ロウ新監督を迎えたレアル・ソシエダが7連勝などで首位を走っていたが、第13節終了後ついに首位に立ったビルバオが常時勝ち点2差で肉薄されながらも最終節まで首位をキープ。

そして最終節、優勝の可能性を残すソシエダとラシンが勝利する一方、ビルバオは本拠地でレアル・ウニオンに敗れてしまう。結果3チームが勝ち点22・当該対戦での勝ち点でも並んだが、当該対戦の得失点差で「+7」と大きくリードしていたビルバオが辛くも優勝と連覇を決めた。

前年度より勝ち点が8減り失点も増加した。だがチーム全体で73得点、3人の選手が二桁得点を記録するなど、力押しで競り勝った感のある2回目の優勝だった。

残留争いは、序盤こそFCバルセロナが第5節終了時に最下位になるなど多少の波乱はあったが、前年度に最終節で薄氷の残留を決めたCDエウロパが第5節から5連敗を喫し、以後最下位に定着。エウロパとレアル・ウニオン、RCDエスパニョールらの争いに絞られていった。エウロパは第11節にバルサを敵地で倒し、第16節に本拠地でエスパニョールを破るなど、残留のかかったダービーを制して意地を見せた。

だが後半戦は9位との勝ち点差が「3」に開く節が増え始め、第17節にアレナス・クルブ・デ・ゲチョに敗れた後、ついにウニオン・アラベス・エスパニョールとの勝ち点差が再度「3」に開いたため、最終節を待たずにエウロパの最下位と自動降格が決まった。

なお最終戦はホームでアラベスに1-0で勝利したが、時すでに遅かった。


  1. ^ a b c アスレティック・ビルバオは2位ラシン・サンタンデールと3位レアル・ソシエダに対し当該対戦結果がそれぞれ1勝1敗のため勝ち点4-4だが、合計得失点差が「+7」でラシンの「-3」とソシエダの「-4」より優るため順位が上回った。
  2. ^ a b アレナス・クルブ・デ・ゲチョはレアル・マドリードとの当該対戦で4-1、2-1と得失点差で優るため順位が上回った。
  3. ^ a b デポルティーボ・アラベスはRCDエスパニョールとの当該対戦で4-1、0-2と得失点差で優るため順位が上回った。
  1. ^ Spain 1930/31”. www.rsssf.com. 2019年1月8日閲覧。
  2. ^ Spain 1929/30”. www.rsssf.com. 2019年1月8日閲覧。
  3. ^ Bata y Kubala tienen el récord con siete goles en un partido”. アス. 2019年1月8日閲覧。


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