ミラード・フィルモア 副大統領として

ミラード・フィルモア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 00:28 UTC 版)

副大統領として

1848年のホイッグ党全国大会でザカリー・テイラー将軍が大統領候補に選出され、ヘンリー・クレイ支持者と米墨戦争で得た領土における奴隷制度の反対者たちの怒りを買うこととなった。ホイッグ党の現実的な政治家グループは副大統領候補としてフィルモアを指名した。フィルモアは非奴隷制度州出身であり、人口最多州であるニューヨークの支持を得られると考えられた。

フィルモアはまた、ニューヨーク州のマシーンのボスであるサーロウ・ウィード、そして彼の代理ともいえるウィリアム・スワードが副大統領候補に指名されるのを妨げることとなった。結局スワードは上院議員に当選した。スワードとフィルモアの争いは、後にテイラー内閣における閣議にも引き継がれ、フィルモアのアドバイスに対するものとして隠然たる力を発揮した。この争いはテイラーの死後も続いた。

テイラーとフィルモアは、米墨戦争でアメリカ合衆国がメキシコから得た新領土における奴隷制度問題について意見が異なった。テイラーは新しい州には自由州になって欲しいと考えたが、フィルモアは南部を静めるため、それらの州における奴隷制度を支持した。彼は「神は私が奴隷制度を唾棄することを知っているが、しかしそれは既存の弊害であり ... 私たちはそれに耐えて、憲法によって保証されるような保護をそれに与えなければならない。」と語っている。

フィルモアは数か月間に及んだ1850年協定に関する討論の間、その議長を務めた。討論の間に、ミシシッピ州選出のヘンリー・S・フートはミズーリ州選出のトーマス・H・ベントンに対して拳銃を突きつけた。フィルモアは協定の長所に関するコメントを公表しなかった。しかしながら、テイラー大統領の死の数日前にフィルモアは北部を支持してヘンリー・クレイの提案が成立するように投票すると示唆した。


注釈

  1. ^ オリジナルの丸太小屋は1852年に壊されたが、同様のキャビンからの材料を使用して1965年にミラード・フィルモアメモリアル協会がモラヴィアにレプリカを建設した。現在フィルモア・グレン州立公園の一部として公開されている。"Millard Fillmore Log Cabin" American Presidents Life Portraits

出典

  1. ^ 合衆国書翰和解(標準画像 2-37) | 史料にみる日本の近代”. 2022年11月9日閲覧。
  2. ^ "Millard Fillmore". Encarta Encyclopedia. 2009年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  3. ^ Smyczynski, Christine A. (2005). “Southern Erie County - "The Southtowns"”. Western New York: From Niagara Falls and Southern Ontario to the Western Edge of the Finger Lakes. The Countryman Press. p. 136 
  4. ^ Deacon, F. Jay (1999). "Transcendentalists, Abolitionism, and the Unitarian Association". UUA Collegium Lectures. Chicago. 2006年12月28日閲覧
  5. ^ Facts on Millard Fillmore
  6. ^ Fillmore, Millard; Severance, Frank H. (1907). Millard Fillmore Papers. Buffalo Historical Society 
  7. ^ Paletta, Lu Ann; Worth, Fred L (1988). The World Almanac of Presidential Facts. World Almanac Books. ISBN 0345348885 






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