ブライアン・ショウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/22 06:55 UTC 版)
2010年のショウ | |
ロサンゼルス・クリッパーズ AC | |
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ポジション | ガード |
役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1966年3月22日(57歳) |
出身地 | カリフォルニア州オークランド |
身長(現役時) | 198cm (6 ft 6 in) |
体重(現役時) | 86kg (190 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | カリフォルニア大学サンタバーバラ校 |
ドラフト | 1988年 1巡目 24位 |
選手経歴 | |
1988-1989 1989-1990 1990-1992 1992-1994 1994-1997 1997-1998 1998 1999 1999-2003 |
ボストン・セルティックス ヴィルトゥス・ローマ ボストン・セルティックス マイアミ・ヒート オーランド・マジック ゴールデンステート・ウォリアーズ フィラデルフィア・76ers ポートランド・トレイルブレイザーズ ロサンゼルス・レイカーズ |
指導者経歴 | |
2005-2011 2011-2013 2013-2015 2016-2019 2020-2021 2021- |
ロサンゼルス・レイカーズ(AC) インディアナ・ペイサーズ(AC) デンバー・ナゲッツ ロサンゼルス・レイカーズ(AC) NBAGリーグ・イグナイト ロサンゼルス・クリッパーズ(AC) |
受賞歴 | |
選手時代
コーチ時代
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Stats Basketball-Reference.com | |
選手時代
セイントメリー大学とカリフォルニア大学サンタバーバラ校でプレーした後、1985年 1巡目24位でボストン・セルティックスより指名を受けNBAプレーヤーとなった。1シーズンをセルティックスで過ごした後、翌年1年間はイタリアのプロリーグでプレーし、1990年再びセルティックスでプレーした。その後6チームを渡り歩いたが1999年にシーズンにフィル・ジャクソン率いるロサンゼルス・レイカーズに入団すると落ち着き、レイカーズ黄金期の選手として3度の優勝を3連覇で果たした後、2003年に4連覇をサンアントニオ・スパーズに阻まれたシーズンを最後に引退した。更にレイカーズでアシスタントコーチとして2度の優勝を連覇で果たした。NBA通算成績は、943試合に出場し、6,547得点、3,183リバウンド、3,918アシストを記録している。1986年のFIBA世界選手権スペイン大会にナショナルチームの一員として参加し金メダルを獲得している。
コーチ時代
2005年からロサンゼルス・レイカーズのフィル・ジャクソンの下で2011年までアシスタントコーチを務め、2度の優勝を連覇で果たした。2011-2011年から2シーズンをフランク・ヴォーゲルヘッドコーチの下でインディアナ・ペイサーズのアシスタントコーチを務め、2013年デンバー・ナゲッツのヘッドコーチにジョージ・カールの後任として就任した。ヘッドコーチとしての初シーズンは、主要メンバーの故障などに悩まされ、10年間継続していたプレーオフ進出を逃し、2014-2015シーズンも振るわず、2015年3月3日に解任された。
2016年5月21日、ロサンゼルス・レイカーズのアシスタントコーチに復帰した[1]。
2020年6月10日、NBAGリーグ・イグナイトのヘッドコーチに就任した。
2021年9月24日、ロサンゼルス・クリッパーズのアシスタントコーチに就任した。
- 1 ブライアン・ショウとは
- 2 ブライアン・ショウの概要
- 3 評価
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