フローレンス・ナイチンゲール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 07:34 UTC 版)
親族
- 父 ウィリアム・エドワード・ショア(Shore)(1794年 - 1874年)後にウィリアム・エドワード・ナイチンゲール(en:William Nightingale)。
- 母 フランシス・スミス (Frances Smith 1789年- 1880年)フランシス・ナイチンゲール、ファニー(Frances "Fanny" Smith)ともいわれる。
- 姉 パーセノピー( en:Frances Parthenope Verney 1819年4月19日 - 1890年5月12日)、両シチリア王国の首都ナポリで誕生。名前の由来はナポリ(古名:ネアポリス=新しい町)付近にあった旧植民都市パルテーノペ(ギリシャ神話にでてくるニンフの名前に由来。のちネアポリスに対してパレオポリス=古い町とも呼ばれた)による。 旧10ポンド券の裏面はフローレンス・ナイチンゲールが描かれていたが、表面の女王の左に使用されていたユリの花はパーセノピーの描いたものであった。
主な業績
- 専門教育を施した看護婦の養成の必要性を説き、ナイチンゲール看護学校を創設した。
- クリミア戦争に従軍し、兵舎病院の衛生改善に努力した。
- 陸軍の衛生改善に協力した。
- イギリスにおける統計学の基礎を築いた[要出典]。
- 看護にはじめて統計学を持ち込んだ(さらに専門家でない女王が見やすいようにデータの視覚化を行った)。
- 著書『 Notes On Nursing(看護覚え書)』は、広く看護教育の場では古典として読み継がれている。
ナイチンゲール誓詞
ナイチンゲール誓詞(Nightingale Pledge)は、1893年アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市にあるハーパー病院(Harper Hospital)のファーランド看護学校 (Farrand Training School for Nurses) の校長リストラ・グレッター夫人を委員長とする委員会で、ナイチンゲールの偉業を讃え作成されたものである。
ナイチンゲール病棟
ナイチンゲールが考案した病院建築。『病院覚え書』(Notes on Hospitals)に図面入りで記されている。
- 病室は間仕切りなしのワンルーム。
- 患者のベッド1つにつき、1つの窓がセットされる。
- ベッドは病室の左右にそれぞれに15ずつ並んでいる。
- 窓は高い天井まで延びた3層の窓。
- 一番高い3層目の窓を常時開放しておくことで、病室の換気を行う。
また、『病院覚え書』には、患者一人の療養空間として相応しい面積、ベッドの高さやベッドとベッドの間の距離についても、理想的な計算値が述べられている。
ナイチンゲール病棟は、当時の聖トーマス病院をはじめとして、世界中の病院建築に取り込まれ、実際の建物として現実的に機能した。
- ^ 「人間と社会を変えた9つの確率・統計学物語」p.162 松原望 SBクリエイティブ 2015年4月24日初版発行
- ^ a b “ナイチンゲールと統計”. 総務省 統計局. 2018年8月12日閲覧。
- ^ Florence Nightingale イギリス国立公文書館
- ^ BLUE PLAQUES イングリッシュ・ヘリテッジ
- ^ Coronavirus: Nightingale Hospital opens at London's ExCel centre BBC
- ^ Florence Nightingale : greetings to the dear old comrades of Balaclava. Wellcome Collection
- ^ Rare Nightingale photo sold off BBC
- フローレンス・ナイチンゲールのページへのリンク