ピルコマヨ (砲艦)とは? わかりやすく解説

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ピルコマヨ (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/07 21:24 UTC 版)

「ピルコマヨ」

ピルコマヨ (Pilcomayo) はペルー海軍の砲艦[1]。艦名は進水時に誤ってペルーを流れない川の名前が付けられたもので、本来はペルーの川の名前にちなむ「Putumayo」の予定であった[2]

イギリスのMoney Wigram and Sons社で建造[3]。1875年就役[1]。1865年にカヤオに到着[3]とも。

常備排水量600トン、垂線間長55.4m、最大幅7.5m、速力10ノット[4](10から11ノット[5]や11ノット[3]とも)。兵装は16口径63mm前装施条砲2門、16口径120mm前装施条砲4門[4]、または70ポンド砲2門、40ポンド砲4門、12ポンド砲4門[5]

1877年5月6日に装甲艦「ワスカル」がNicolás de Piérolaの支持者に乗っ取られると、同艦の奪還部隊が装甲艦「インデペンデンシア」艦長Mooreを指揮官として編成される[6]。「インデペンデンシア」はコルベット「Union」、モニター「アタワルパ」とともにイキケ向かい、5月22日に到着[7]。それに「ピルコマヨ」も加わった[7]。5月28日、パシフィック汽船会社の船「John Elder」から「ワスカル」の目撃情報を得てMooreは「インデペンデンシア」と「Union」率いてPisaguaへ向かい、「ピルコマヨ」は別の船からの情報入手に向かわされた[8]。同日、Punta Pichalo沖で「インデペンデンシア」は「ワスカル」を発見し、「Union」と「ピルコマヨ」も加わってに交戦したが、暗くなると戦闘は終わり、「ワスカル」は逃走した[9]。この戦闘で「ピルコマヨ」に被害はなかった[9]

1879年、太平洋戦争が勃発する。4月12日、チリ輸送船「Copiapó」が北へ向かうとの情報により出撃していた「ピルコマヨ」とコルベット「Unión」はチリ砲艦「マガジャネス」と遭遇し追撃したが、速度の速い「Unión」が被弾ないしボイラーに問題を起こしたことで戦闘は終了した[10]

7月6日、輸送船「Oroya」護衛後の「ピルコマヨ」はTocopillaでチリのバーク「Matilde de Ramos」を沈めるなどした[11]。その後、チリ装甲艦「ブランコ・エンカラダ」、コルベット「チャカブコ」が現れ追跡されるも逃げきった[12]。7月16日には「アルミランテ・コクレーン」と遭遇するが、この時も捕まらなかった[13]

1879年11月18日、アリカへの増援部隊や補給品輸送を終えた後の「ピルコマヨ」、「Unión」、「Chalaco」はMollendo付近でチリ装甲艦「ブランコ・エンカラダ」と遭遇した[14]。チリ側は「Unión」は優速であり、また「Chalaco」は価値が低いとして「ピルコマヨ」を目標に選択したため「Unión」、「Chalaco」は逃れ、「ブランコ・エンカラダ」が「Unión」を追う形となる[15]。両者の距離が約5kmとなったところで「ピルコマヨ」は砲撃を開始し、2発の命中弾を与えたが装甲にはじかれた[15]。「ブランコ・エンカラダ」は距離4.2kmで発砲[16]。1発が「ピルコマヨ」のマストに命中、別の1発が近くの海面に着弾して爆発した[16]。それにより、逃走を続けて無用の被害を出さないようにするため、海水コックを開く、火を放つ、ポンプを破壊するなどといった鹵獲防止措置をとったうえで「ピルコマヨ」乗員は救命艇に移った[17]。「ピルコマヨ」の軍艦旗は降ろされなかったため「ブランコ・エンカラダ」はしばらく砲撃を継続[16]。それから、救命艇に降伏の印を見つけると「ピルコマヨ」に乗り込み、消火をし、「ブランコ・エンカラダ」のポンプを使って沈没を防いで「ピルコマヨ」をPisaguaへ曳航していった[17]。その後、「ピルコマヨ」はチリ海軍に加わることとなる[18]

1880年5月10日、「ブランコ・エンカラダ」などとともにカヤオ砲撃に参加[19]。5月29日から30日の夜、沈没していた水雷艇「Janequeo」の爆破作業が行われたが、それに対してペルーのランチ3隻が出てきたため、「ピルコマヨ」は支援に向かい、埠頭などに対する攻撃を開始[20]。その後他艦も攻撃に加わった[20]。9月22日、「ピルコマヨ」はChancayを砲撃した[21]。12月11日にペルーのモニター「アタワルパ」がカヤオから出てきた際には、「ワスカル」などと共に戦闘に加わった[22]

1881年1月、チリ軍はリマに迫る。1月13日にペルーの第1防衛線に対する攻撃が開始され、「ピルコマヨ」は「ブランコ・エンカラダ」などと共に攻撃を支援[23]。15日に開始された第2防衛線に対する攻撃でも支援を行った[23]。1月16日、リマは降伏した[24]

1891年1月の内戦発生時は「ピルコマヨ」はマゼラン海峡にあった[25]。イギリスからチリへ向かっていた水雷砲艦2隻の内、先行していた「アルミランテ・リンチ」がプンタ・アレーナスに到着し、そこで「ピルコマヨ」と会うと、両艦の艦長は議会派を支持することで合意した[26]。しかし「アルミランテ・リンチ」の次席士官によって両者は陸にあげられてしまい、その後ブエノスアイレスをへてモンテビデオへ向かった「ピルコマヨ」は、そこで内戦中係船された[27]。内戦時、「ピルコマヨ」はブエノスアイレスにあった[3]とも。

1909年に退役し、その後タルカワノハルクにされた[3]

脚注

  1. ^ a b The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 18
  2. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 18, Cañonera "Pilcomayo" 1º - Armada de Chile
  3. ^ a b c d e Cañonera "Pilcomayo" 1º - Armada de Chile
  4. ^ a b The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 148
  5. ^ a b Andean Tragedy, p. 114
  6. ^ Ironclads at War, p. 282-283
  7. ^ a b Ironclads at War, p. 283
  8. ^ Ironclads at War, pp. 282, 285-286
  9. ^ a b Ironclads at War, p. 286
  10. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, pp. 35-36, Ironclads at War, p. 286, p. 302, Andean Tragedy, p. 121
  11. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 56, Andean Tragedy, p. 143
  12. ^ Andean Tragedy, p. 143
  13. ^ Andean Tragedy, pp. 144-145
  14. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 85, Andean Tragedy, p. 159
  15. ^ a b The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 85
  16. ^ a b c The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 86
  17. ^ a b The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 86, Andean Tragedy, p. 160
  18. ^ Andean Tragedy, p. 160
  19. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 112
  20. ^ a b The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 116
  21. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 118
  22. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 119, Ironclads at War, p. 286, p. 318
  23. ^ a b The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 131
  24. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 132
  25. ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 137
  26. ^ Four Modern Naval Campaigns, pp. 137, 144
  27. ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 145

参考文献

  • Piotr Olender, The Naval War of Pacific 1879-1884: Saltpeter War, MMPBooks, 2020, ISBN 978-83-65958-77-8
  • Jack Greene, Alessandro Massignani, Ironclads at War: The Origin and Development of the Armored Warship, 1854-1891, Combined Publishing, 1998, ISBN 0-938289-58-6
  • William F. Sater, Andean Tragedy: Fighting the War of the Pacific, 1879-1884, University of Nebraska Press, 2007
  • Cañonera "Pilcomayo" 1º - Armada de Chile(2023年1月24日閲覧)
  • William Laird Clowes, Four Modern Naval Campaigns: Historical, Strategical, and Tactical with Maps and Plans, Unit Library, 1902



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