ハールーン・アッ=ラシード ハールーン・アッ=ラシードの概要

ハールーン・アッ=ラシード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 04:07 UTC 版)

ハールーン・アッ=ラシード
هارون الرشيد
アッバース朝カリフ
在位 786年 - 809年

出生 763年3月17日
死去 809年3月24日(46歳没)
配偶者 ズバイダ
  マラージル
  マーリダ
子女 アミーン
マームーン
ムウタスィム
家名 アッバース家
王朝 アッバース朝
父親 マフディー
母親 ハイズラーン
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ハールーン・アッ=ラシードがカール大帝の派遣団と会う場面
ハールーン・アッ=ラシードの治世中に、バグダードの街は繁栄の道を進み始めた

クンヤ(「○○の父」形式の通称・尊称)は当初アブー・ムーサーで、その後アブー・ジャアファルになったとされている。なお正妃ズバイダのクンヤは実子の名前を用いたウンム・アル=アミーン(アル=アミーンの母)よりも祖父の名前にちなんだウンム・ジャファル(ジャアファルの母)の方が広く知られている。

即位にあたっての名はアッ=ラシード・ビッラー・アブー・ジャアファル・ハールーン(al-Rashīd bi-llāh Abū Jaʻfar Hārūn)で、意味は「アッラーにより正しき道に導かれし者 ジャファルの父 ハールーン」である。しかしながら古くからこのビッラー・ハールーン・アッ=ラシードの通称で親しまれてきた。

その治世はアッバース朝の最盛期にあたり、『千夜一夜物語』などで全盛期のアッバース朝に君臨した偉大なる帝王として語り継がれている。




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