ノアイユ賞 概要

ノアイユ賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 14:02 UTC 版)

概要

長い間、ノアイユ賞はジョッキークラブ賞(フランスダービー)のための重要なトライアル競走の一つだった。出走資格については2013年までは繁殖可能な牡馬牝馬に限られ、去勢された騸馬にはなかったが、2014年より騸馬にも出走資格が得られるようになった。

これらの一連の競走は、フランスのサラブレッドの資質向上のために編成されており、出生の条件によって出走の資格が定められていた。また、出走するためには、その馬が生まれる前から出走登録をして登録料を支払っておかなければならなかった(クラシック登録)。詳しくは後述する。

過去の優勝馬には、アジャックス(1904年)、ファリス(1939年)、ヴァルドロワール(1962年)、ルファビュリュー(1964年)、ベーリング(1986年)などのフランスの名競走馬・名種牡馬がいる。日本との関連では、種牡馬として輸入されて成功したものとしてヴィミー(1955年)、ダイアトム(1965年)、サンシー(1972年)などがいる。

プール・デ・プロデュイ

長い間、ノアイユ賞は「プール・デ・プロデュイ(Poules des Produits)」と呼ばれる5競走の1つだった[2]

プール・デ・プロデュイはフランス馬種改良奨励協会(Société d'Encouragement)が、フランスダービー(ジョッキークラブ賞)の前哨戦として設立したもので、ノアイユ賞、ダリュー賞リュパン賞オカール賞グレフュール賞がこれに当たる[2]

リュパン賞を除いては、出走できる馬には父馬や母馬の産地に制限があった。ノアイユ賞は「フランス国外産の父馬による産駒」に限定されていて、ノアイユ賞に出走するためには出走馬が生まれるより前の母馬の胎内にいる間に登録しなければならなかった。ノアイユ賞の賞金はこの登録料で賄われていた[2]

歴史

沿革

  • 1878年 - ナボブ賞として創設。距離2500メートル。
  • 1896年 - ノアイユ賞に改称。
  • 1902年 - 2400メートルに変更。
  • 1915年 - 第一次世界大戦のため、1920年まで中止。
  • 1921年 - 再開。
  • 1940年 - 第二次世界大戦のため中止。
  • 1941年 - 再開。
  • 1943年 - トランブレー競馬場フランス語版で2150メートルで開催。
  • 1944年 - メゾンラフィット競馬場で2100メートルのダリュー・ノアイユ賞として開催。
  • 1945年 - メゾンラフィット競馬場で2100メートルのダリュー・ノアイユ賞として開催。
  • 1946年 - パリロンシャン競馬場で2100メートルのダリュー・ノアイユ賞として開催。
  • 1947年 - 2200メートルで再開。
  • 1971年 - グループ制導入。
  • 2005年 - クラシック再編に伴い2100メートルに変更。
  • 2011年 - 2000メートルに変更。
  • 2012年 - 2100メートルに変更。
  • 2014年 - 騸馬の出走資格を開放。
  • 2016年 - シャンティイ競馬場で代替開催。
  • 2017年 - シャンティイ競馬場で代替開催。

ナボブ賞

ノアイユ賞は1878年に創設された。創設当時の名称はナボブ賞(Prix du Nabob)で、これは当時のフランスの名種牡馬ザナボブ(The Nabob)に由来する。創設時の施行距離は2500メートルだった[2]

ノアイユ賞

1896年に、フランス馬種改良奨励協会(Société d'Encouragement)のメンバーであったアルフレド・ド・ノアイユ伯爵(1823-1895)を記念するために、競走の名称がノアイユ賞に改められた。ノアイユ伯はパリロンシャン競馬場の創設に重要な役割を果たした人物である[2]

第一次世界大戦の影響

1914年の夏に第一次世界大戦が始まると、ドイツ軍はすぐさまフランスに向かって進軍してきた。ベルギーが2週間で攻め落とされ、ドイツ軍はパリへ砲撃するところまで攻め込んできた。

フランス国内では競馬を開催することは難しくなった。軍部は国内の馬を徴発して軍馬にしようとしたが、これを嫌った大勢の馬主や生産者は、馬をフランス国外に退避させることにした。このため、ノアイユ賞は1915年から中断することになった。この間、戦争の影響が少ないフランス南部や、中立国のスペインで代替競馬が行われた。

1919年の1月にパリ講和会議が開かれ、6月にヴェルサイユ条約が締結された。ノアイユ賞は1920年から再開された[2]

第二次世界大戦の影響

1939年の秋にドイツがポーランドに進攻し、第二次世界大戦が始まった。フランス国内では秋競馬が中止になった。開戦当初、ドイツとの間ではにらみ合いが続いただけで実際の戦闘はほとんど行われなかったので、1940年の春には規模を縮小しつつ競馬が開催できる見通しがたった。

しかし5月になるとドイツ軍が一斉にフランス国内へ進攻してきた。一ヶ月ほどでパリも陥落した。前の大戦同様、多くの競走馬がドイツ軍に差し押さえられて連行された。その中には1939年のノアイユ賞の勝ち馬、ファリスもいた。1940年のノアイユ賞は中止となった。

占領軍は、パリ市民の平穏を保つためには、競馬を含めて日常生活を今までどおり開催させるほうがよいと考え、競馬の開催を許可した。結局1940年のクラシック競走は秋にまとめて行われた。

1941年からはパリロンシャン競馬場が使えることになり、1941年、1942年のノアイユ賞は一応例年通り行われた。この時期は飼料も不足して競走馬の頭数は大きく制限されたが、馬券の売り上げは大きく伸びた。1942年の勝ち馬アーコット(Arcot)はこの年無敗の活躍をした。

1943年になると、ドイツ軍はロシアや北アフリカで劣勢になってきた。連合軍はフランス国内へ空爆を行なっていたが、競馬場にはドイツ軍が高射砲を持ち込んでいたため、競馬場も空爆の対象になった。アーコットも出走する春の大レース、サブロン賞(現在のガネー賞)の当日にパリロンシャン競馬場がアメリカ軍機の爆撃を受け、観客に死者も出た。パリロンシャン競馬場での開催許可はドイツ軍によって取り消された。このため競馬はトランブレー競馬場で代替されるようになった。この年のノアイユ賞は、ダリュー賞と併せて、「ダリュー・ノアイユ賞(Prix Daru-Noailles)」としてトランブレー競馬場で2150メートルの競走として行われた[2]

1944年の夏に、連合軍によってパリが解放されたが、パリロンシャン競馬場はアメリカ軍の駐屯地になった。このため1944年と1945年にはメゾンラフィット競馬場で距離2100メートルの「ダリュー・ノアイユ賞」が行われた。1945年の秋にはパリロンシャン競馬場が使えるようになり、1946年にはパリロンシャン競馬場でダリュー・ノアイユ賞が行われた[2]

ノアイユ賞が単独で開催されたのは1947年になってからだが、戦前の2400メートルから、2200メートルに短縮して行われることになった。この距離は2005年にクラシック戦線の見直しが行われるまで維持された[2]


注釈

  1. ^ 出典によって「Velmouth」、「Velmout」と綴りが2通り見受けられる。語源はアルコールのベルモットである。ここでは「Velmouth」を採った。サラブレッド・ヘリテイジ ヴェルムート2013年3月13日閲覧。
  2. ^ 英文では「executive member」で、直訳すると「執行社員、執行会員」のようになる。原語(フランス語)は不明。

出典

  1. ^ ICSC 2014 France2014年12月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ノアイユ賞の歴史” (英語). フランスギャロ. 2013年3月9日閲覧。
  3. ^ 2014年レース結果 - racingpost、2014年4月22日閲覧
  4. ^ Gailo Chop競走成績 - racingpost、2014年4月23日閲覧
  5. ^ 2015年レース結果 - racingpost、2015年4月22日閲覧
  6. ^ 2016年成績 - racingpost、2016年4月21日閲覧
  7. ^ 2017年成績 - racingpost、2017年4月17日閲覧
  8. ^ 2018年結果 - racingpost、2018年4月17日閲覧
  9. ^ 2019年ノアイユ賞”. レーシングポスト (2019年4月14日). 2019年4月16日閲覧。
  10. ^ Full Result 3.45 Longchamp (FR) | 11 April 2021” (英語). racingpost.com. Racing Post. 2023年4月9日閲覧。
  11. ^ 2022年ノアイユ賞”. レーシングポスト (2022年4月17日). 2022年4月18日閲覧。
  12. ^ 2023年ノアイユ賞レーシングポスト、2023年4月16日配信・閲覧
  13. ^ 2024年ノアイユ賞レーシングポスト、2024年4月14日配信・閲覧
  14. ^ グラウコス” (英語). サラブレッド・ヘリテイジ. 2013年3月13日閲覧。
  15. ^ a b c ヴェルムート” (英語). サラブレッド・ヘリテイジ. 2013年3月9日閲覧。





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