ニコール=レイヌ・ルポート ニコール=レイヌ・ルポートの概要

ニコール=レイヌ・ルポート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 04:23 UTC 版)

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Nicole-Reine Lepaute

生涯

パリのリュクサンブール宮殿で働く従者(valet)のジャン・エタブルの娘として生まれた[2]。1749年に時計職人のジャン・アンドレ・ルポートと結婚した[2]。夫とともに天文観測用の時計を組み立てた。1753年に、時計はフランス科学アカデミーに納入され、天文学者のジェローム・ラランドによって、評価された[3]。ラランドの推薦によって木星と土星の摂動を考慮したハレー彗星の回帰時期を計算していたアレクシス・クレローのもとで働くことになった。クレローのチームは1758年11月に、ハレー彗星の回帰は1759年4月13日と予想した結果を発表し、実際の回帰は5月13日であったが予測に近いと評価された。ルポートの功績をクレローは示さなかったが、ラランドがルポートの功績を示す記事を書いた。

1759年にラランドのチームに再び加わり、金星の日面通過の計算に参加した[2]。この業績の彼女の貢献も明文化されなかったが、ルポートはベジエ科学アカデミーの名誉会員に選ばれた。

1762年に、1764年4月1日の日食の予測時間の計算を行い、ヨーロッパの各地での食の時間を15分きざみで示した図を示す記事を「時の知識」"Connaissance des temps""に発表した[2]。星表を作成するグループを作り、1774年から1784年の間の天体暦を計算した。

1767年から10年間、重病となった夫の看護を行い、この看護によって自らの健康をそこねた。

脚注

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参考文献

  • マルヨ・T・ヌルミネン、日暮雅通訳 『才女の歴史 古代から啓蒙時代までの諸学のミューズたち』 東洋書林、2016年。ISBN 9784887218239 

  1. ^ (7720) Lepaute = 1978 WN17 = 4559 P-L = PLS4559”. MPC. 2021年9月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e ヌルミネン 2016, pp. 440–441.
  3. ^ Osen, Lynn M. (1975). Women in Mathematics. MIT Press. pp. 7. ISBN 9780262650090


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