ステファニー・ブラウン・トラフトン 経歴

ステファニー・ブラウン・トラフトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 04:46 UTC 版)

経歴

ブラウン=トラフトンは、4歳のときに見たロサンゼルスオリンピックの体操女子個人総合で金メダルを獲得したメアリー・ルー・レットンの演技に感化されたと話している。子どもの頃からいくつものスポーツを経験。最終的には陸上競技とバスケットボールの2競技の選手となる。

高校時代には、円盤投砲丸投の選手として活躍。1996年には、砲丸投でカリフォルニア州の高校チャンピオンに輝いている。1997年は2位となったものの、1998年には円盤投で優勝を果たす。陸上に加え、バスケットボールでも優秀な選手であったため、両競技で奨学金を得て、カリフォルニア州立ポリテクニック大学に進学。しかし、大学進学後、ひざのけがのためバスケットボールをあきらめ、陸上競技にのみ集中することとなる。1999年から2003年までの間、砲丸投と円盤投で6度NCAAオールアメリカンに輝いている。

2004年アテネオリンピックの代表選考には、砲丸投と円盤投の2種目にエントリー。円盤投で自己ベストを3m近く更新する61m34でA標準記録を突破し、オリンピック代表の座を射止めた。しかし、アテネでは予選で自己ベストの61m90に程遠い58m54で全体の22位となり決勝に進むことはできなかった。

ブラウン=トラフトンは、2004年以降ベスト記録が更新できないでいたが、2008年3月以降数度にわたりベストを更新。北京オリンピックまでに66m17まで自己ベストを伸ばしていた。北京では、今シーズン世界2位であること、今シーズンで4mも自己ベストを伸ばしていることからメダル獲得の期待が高まっていた。8月18日の決勝では、1投目で64m74をマーク。2投目、3投目はネットに引っ掛け、4投目以降も記録は伸びなかったものの、ほかの選手の記録も伸びてこず、結局1投目の記録が決勝の記録となり、世界選手権ほか大きな大会でも優勝したことのないまま、オリンピックチャンピオンに輝いた。








固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ステファニー・ブラウン・トラフトン」の関連用語

ステファニー・ブラウン・トラフトンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ステファニー・ブラウン・トラフトンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのステファニー・ブラウン・トラフトン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS