スティーブン・オースティン スティーブン・オースティンの概要

スティーブン・オースティン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/28 19:53 UTC 版)

スティーブン・オースティン

若年時代

スティーブン・F・オースティンは米南西部バージニア州リッチモンドの南西250 kmに位置するワイズ郡にある鉛鉱山の町で、父モーゼと母マリアの間に第二子(長男)として生まれた。第一子(長女)エリーザ (Eliza) は生まれてひと月で亡くなっている。1798年6月8日、彼が5歳の時、ミシシッピ川の40マイル西(現在のミズーリ州)にある鉛鉱山の町に家族とともに引っ越す。ここで彼の父親はスペイン人知事であるゼノン・トルドーの許可を得て、「ブルターニュ鉱山 (Mine a Breton)」 を買い取る。さらに1813年には議会に働きかけを行いこの地に新しい郡(ワシントン郡)を設立し、郡庁所在地を置くことに成功する(現在のミズーリ州ワシントン郡ポトシ)。町の名前である「ポトシ」はボリビアにある世界最大(当時)の銀鉱山を有する町であるポトシ (Potosi) に因んで付けられた。スティーブンが10歳になったとき、コネチカット州のベーコン・アカデミーに進学し、さらにケンタッキー州レキシントンのトランシルヴァニア大学へ進み1810年に卒業する。

ケンタッキーからポトシに戻った直後、スティーブンは家族が経営する雑貨店に勤めたが、最終的には父から家族の鉱山事業の大部分の管理を引継いだ。1813年5月24日にはミズーリ民兵旗手に任命され、9月後半にはアレキサンダー・マクネア大佐の率いる第一連隊の新兵として入隊した。1813年10月21日には補給係将校副官として除隊。1815年にはミシシッピ川西岸では初めてのロッジであるミズーリ州セント・ジェヌビエーブにあるルイジアナ第109ロッジでフリーメイソンになった。その後セントルイス第111ロッジにメンバーシップを移した。1815年から1819年にかけてミズーリ地方の代議員を務め、セントルイス銀行の危機救済に際してはその影響力を行使した。

ミズーリにおけるファミリー会社の失敗の後、1820年にオースティンは新たなチャンスを求めてアーカンソー州に移り、商品取引や土地投機に係わった。既に1818年に南西アーカンソーのレッド川 (Red River) 沿いの ロングプレーリーと呼ばれる地域の土地を入手していた。アーカンソーでは知事から第一管区の巡回判事に任命されたが、仕事をしたのは1820年7月から8月にかけての僅かな期間で、すぐにルイジアナに移ってしまった。11月にはニューオーリンズの法律家であり元ケンタッキー州議会議員のジョセフ・ホーキンスの下で法律の勉強を始めた。

テキサスへ

スティーブンがニューオーリンズに滞在している頃、彼の父モーゼはサンアントニオを訪れ、当時スペイン領であったテキサス内の土地の入植認可を受けた。彼はアメリカ人カトリック教徒300世帯をここに入植させることを意図していた。スティーブンはこの父親の冒険的事業を一緒に行うことには気が進まなかったが、ジョセフ・ホーキンスは父親を支持・援助せよと迫り、結果的にはこのことが彼の人生の転機となった。父モーゼ・オースティンは1821年6月10日に死亡したが、スティーブンは蒸気船ビーバー号に乗り、エラズモ・セグイン率いるスペイン政府関係者に会うためにニューオーリンズを出発した後だった。父の死を知ったのは一ヵ月後の7月10日、ルイジアナのナケテシュ (Natchitoches) においてであった。「知らせにショックを受けた。世界で一番愛情と情に厚い父親の一人でした。His faults I now say, and always have, were not of the heart. 」。彼らの一行は、スティーブンの父親の受けた入植の再認可を求め3週間をかけて300マイル先のサンアントニオに8月12日、到着した。知事アントニオ・マルティネスは再認可を出し、サンアントニオとブラゾス川の間のメキシコ湾岸地帯において開拓・殖民に適した場所の探すための調査許可を与えた。探検調査にはマニュエル・ベセラ及び3人のアラナマ・インディアンがガイドとして同行した。スティーブンはブラゾスとコロラド両川に沿った土地が利用可能であるとの調査結果を公表し、ニューオーリンズで広告宣伝を行った。「夫婦及び二人の子供を持つ家族では、1エーカー当たり12.5セントで1280エーカーの土地を得ることができる」。1821年12月、アメリカ人初の入植者が海や川を渡り現在のテキサス州フォートベンド郡に到着した。


  1. ^ 松岡正剛. “反米大陸”. 松岡正剛の千夜一夜・遊蕩篇. 2012年4月7日閲覧。


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