クロエ (ブランド) 沿革

クロエ (ブランド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 00:56 UTC 版)

沿革

初期
  • 1952年 - エジプト系パリジャンのギャビー・アギョンによってクロエが立ち上げられる。パートナーのジャック・ルノワールと共に、オートクチュールとプレタポルテの厳しい要求を統合したコレクションに対する需要が高まっていることに最初に気付いた。
  • 1956年 - 彼らのお気に入りでもあり、パリのアーティストが集う場所でもあったカフェ・ド・フロールにて、初コレクションが披露される。
    • コレクションのデザインはギャビー・アギョンが行い、製作はルロンでの最初のアシスタントが担当。ギャビー・アギョンとジャック・ルノワールは、クリスチアナ・バイィ、ミシェル・ロジエ、マキシム・ドゥ・ラ・ファレーズ、グラツィエラ・フォンタナ、タン・ジュディセリ、ギ・ポラン、カルロス・ロドリゲスなどの若いデザイナーを起用した。
1960年代
1970年代
1980年代
引き続き、後に有名となる有望なアートディレクターと積極的に作品を展開。
  • 1985年 - 買収によりリシュモングループ傘下となる。
  • 1988年 - マルティーヌ・シットボンをキャラクターに起用。
1990年代
  • 1992年 - カール・ラガーフェルドを起用。
  • 1997年 - ステラ・マッカートニーが、フェミニンでロマンティックでありながら生意気な雰囲気へと新たな方向性へとブランドを転換させる。
2000年以降
  • 2001年 - フィービー・フィロが、パーソナルでセンシュアルな雰囲気を加える。顧客リストには、キルスティン・ダンストナタリー・ポートマンルー・ドワイヨンが加わる。姉妹ライン「シーバイクロエ」の展開もスタートした。
  • 2002年 - バッグ、スモールレザーグッズ、シューズのラインを発表。「パディントン」バッグが「イット」バッグとなる。
  • 2006年 - パウロ・メリム・アンダーソンによって、エッジーでモダンなスタイルに変化していく。
  • 2008年 - フレグランス発売のためのコラボレーションを行った後にその名を知られることとなったハンナ・マクギボンがアートディレクターに就任。2009年春夏ファッションショーにて初のコレクションを展開。
  • 2011年 - ハンナ・マクギボンがアートディレクターを退任。後任にはクレア・ワイト・ケラーが選ばれた。
  • 2013年 - 「シーバイクロエ」にフレグランスがデビュー。なお、日本から発売が開始された。

  1. ^ Who Is Natacha Ramsay-Levi? Meet Chloé’s New Creative Director - Vogue
  2. ^ chloe”. Vogue Japan. 2024年2月1日閲覧。





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