カルロス・ロア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 05:30 UTC 版)
経歴
1988年にラシン・クラブでキャリアをスタートさせ、1994年にはCAラヌースに移籍した。1996年にはコパCONMEBOLを制覇した。1997年にスペインのRCDマヨルカに移籍した。
アルゼンチン代表としては1997年のコパ・アメリカ、1998年のフランスW杯に出場した。決勝トーナメント1回戦ではPK戦の末イングランド代表に勝利し、ヒーローになった。
1998-99シーズン、35試合に出場、29失点に抑えクラブの3位に貢献し、サモラ賞を受賞する。
1999年夏にはマンチェスター・ユナイテッドへの移籍話が合意間近となっていたが、セブンスデー・アドベンチスト教会のハルマゲドンを信じ、移籍を拒絶した。結果としてロアは宗教上の理由により、現役引退を表明。資産をほぼ手放し、コルドバの山村で家族とともに最後の時を待っていた。[1]
9ヵ月後の2000年4月に復帰するも、レオ・フランコがレギュラーポジションに君臨していた。
2002年夏にアルバセテに移籍するが、2004年に精巣がんを患っていることが明らかになり、引退を表明。治療後母国のクラブオリンポに加入、2006年に引退した。
2011年にはマティアス・アルメイダに誘われる形でリーベル・プレートのコーチとなった。現在はアルメイダとともにメキシコのCDグアダラハラで指導者を続けている。[1]
エピソード
- ニックネームの"Lechuga"はレタスという意味で、これは彼が厳格なベジタリアンであることから名付けられた。
- セブンスデー・アドベンチスト教会の信者[2]。
タイトル
- CAラヌース
- コパCONMEBOL : 1996
- RCDマヨルカ
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1998
出典
- ^ a b “「“アルマゲドン”を理由にビッグクラブ移籍を拒否…日本が98年W杯で戦ったGKの苦難とは」”. 2017年10月30日閲覧。
- ^ “「宗教を理由に引退したサッカー選手」” (2017年2月12日). 2017年7月15日閲覧。
固有名詞の分類
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