オーベルシュレージエン突撃戦車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 14:28 UTC 版)
概要
第一次世界大戦も終わりに向かい、ドイツの戦車開発は、鈍重な重戦車から機動力の高い軽量な突撃戦車に、急進的に移行した。ドイツ軍の高速作戦には、ドイツのA7Vやイギリスのマーク IV 戦車などの重戦車タイプでは、この目的に完全に不適当であったため、新型戦車は、敵の前線を突破できるだけでなく、この突破の機会を生かす高速追撃性能が必要だった。また、乗員や砲や機関銃の数を減らすなど、無駄を省いた合理的な設計により、大量生産を可能にする必要があった(A7Vは艦船のように一輌ごとに手作りだった)。
この「シュトゥルムパンツァーヴァグン」の開発製造に計13社が申請し、1918年中頃、チーフエンジニア(開発主査)の「W.A.Th.ミュラー(Wilhelm Adolph Theodor Müller)」(Kヴァーゲンの設計者)によって、デザインが選定された。
ベルリン=マリーエンフェルデ(※マリーエンフェルデはベルリンの行政区の一つ)の「リーベ(Riebe)・クーゲルラガー・ウント・ヴェルクツォイク・ファブリク有限責任会社(GmbH)」(リーベ・ボールベアリング工場)の子会社である、グライヴィッツの「オーベルシュレージシェン・ヒュッテンヴェルケ」(上シレジア製鉄所)は、その年の10月に、2つのプロトタイプの開発製造を委託された。プロジェクトには、コードネーム「オーベルシュレージエン(上シレジア)」が与えられた。
※クーゲルラガー=ドイツ語でボールベアリングのこと。
実車は終戦前に完成しなかったが、2つのモックアップ(木製模型)が製作された。
1918年8月23日、リーベは一番目のモックアップを発表した。戦車全体の減量・軽量化と低全高化が要求された。最大 15 t と 2.30 mの高さ、そして、対空機関銃が要求された。しかし、車体中央の機関銃座の高さを減らしても、ようやく2.70 mの高さに達しただけだった。
(全高を低くできなかったのは機関銃の配置のせいだと考えられる。また車体が長いのも機関銃の配置のせいである。ゆえに後方機関銃を無くし、前方機関銃を操縦手の横に配置すれば、全高・全長を短縮し、軽量化が可能となる。)[独自研究?]
1918年10月12日、司令部はオリオンドライブ(Orion-Laufwerk。履帯の前端が半円。オーベルシュレージエン I)を備えた2輌のプロトタイプの製造を提案した。オリオンドライブの信頼性が疑われたので、A7Vドライブ(A7V-Laufwerk。履帯の前端が傾斜。オーベルシュレージエン II)を備えた2輌のプロトタイプが発注された。
1918年11月2日、2番目のモックアップが発表された。
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