アラウィー朝 王権

アラウィー朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/17 13:40 UTC 版)

王権

かつてはアラウィー朝の君主は軍事指導者の称号である「スルターン」、イスラーム教徒の指導者の称号である「アミール・アル=ムウミニーン(カリフ)」、政治的指導者の称号である「マリク」などの複数の称号を有していた[33]。かつてのアラウィー朝は預言者ムハンマドに連なる血統を根拠として、スルターンを自称していた[36]。1956年の独立後、スルターン・ムハンマド・イブン・ユースフはスルターンの称号を「国王」に変える[31]

再独立後もなお、アラウィー朝の君主は「アミール・アル=ムウミニーン」の称号を保持している[37]。シャリーフ(預言者ムハンマドの子孫)を称するアラウィー朝の君主はモロッコ内のシャリーフたちの指導者となり、シャリーフの血統の認定という手段によって彼らを統制した[38]。アラウィー朝統治下のモロッコではシャリーフ血統が政治的に、あるいは象徴として重要な意味合いを強く帯び、シャリーフ崇拝が顕著な地域となる[39]。また、各地の宗教勢力を抑制するため、イスマーイールの時代にスーフィー教団やマラブーのザーウィヤ(修道所)の本部がフェズに集められた[1]

ハサン2世はアミール・アル=ムウミニーンの称号を積極的に前面に押し出し、宗教的権威を強化した[40]。国教であるイスラム教の守護者、秩序と安全の保護と引き換えに国民から支配者としての権威を認められるバイアの関係からなる中世的なカリフの概念が国王の権威と結合し、国王の権力と権威をより高めている[41]。ハサン2世以降のアラウィー朝の君主は外的には近代的な国王として、モロッコ国内では信徒の長として振舞っている[40]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 長谷部、私市「オスマン帝国治下のアラブ地域」『西アジア史』1、391-394頁
  2. ^ a b c 斎藤「アラウィー朝」『岩波イスラーム辞典』、71-72頁
  3. ^ a b c d 那谷『紀行 モロッコ史』、249頁
  4. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、230,249頁
  5. ^ a b 那谷『紀行 モロッコ史』、251頁
  6. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、234頁
  7. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、234,241-242頁
  8. ^ a b c d 加藤「近代のアラブ社会」『西アジア史』1、448-451頁
  9. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、254-255頁
  10. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、255頁
  11. ^ 宮治『アフリカ現代史』5、54頁
  12. ^ 宮治『アフリカ現代史』5、48頁
  13. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、259-260頁
  14. ^ a b c 那谷『紀行 モロッコ史』、260頁
  15. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、53頁
  16. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、53-54頁
  17. ^ a b 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、72頁
  18. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、72-73頁
  19. ^ a b 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、73頁
  20. ^ a b 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、74頁
  21. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、262頁
  22. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、263頁
  23. ^ 宮治『アフリカ現代史』5、71頁
  24. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、55頁
  25. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、55-56頁
  26. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、266頁
  27. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、56-57頁
  28. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、56頁
  29. ^ a b c d 宮治『アフリカ現代史』5、143頁
  30. ^ a b c 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、58頁
  31. ^ a b 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、59頁
  32. ^ 宮治『アフリカ現代史』5、149頁
  33. ^ a b c 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、197頁
  34. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、239頁
  35. ^ 那谷『紀行 モロッコ史』、254頁
  36. ^ 宮治『アフリカ現代史』5、35頁
  37. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、200頁
  38. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、161-162頁
  39. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、162頁
  40. ^ a b 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、198頁
  41. ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、267頁
  42. ^ ジョン.E.モービー『世界歴代王朝・王名ハンドブック』(堀田郷弘訳, 柊風舎, 2014年5月)、314-315頁





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