アクセル・ヴィツェル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 08:03 UTC 版)
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ベルギー代表でのヴィツェル(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
アクセル・トマ・ヴィツェル Axel Thomas Witsel | |||||
ラテン文字 | Axel Witsel | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ベルギー マルティニーク | |||||
生年月日 | 1989年1月12日(35歳) | |||||
出身地 | リエージュ | |||||
身長 | 186cm[1] | |||||
体重 | 81kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アトレティコ・マドリード | |||||
ポジション | MF / DF | |||||
背番号 | 20 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2004-2006 | スタンダール・リエージュ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2011 | スタンダール・リエージュ | 148 | (34) | |||
2011-2012 | SLベンフィカ | 32 | (1) | |||
2012-2017 | ゼニト | 106 | (15) | |||
2017-2018 | 天津権健 | 36 | (5) | |||
2018-2022 | ボルシア・ドルトムント | 105 | (10) | |||
2022- | アトレティコ・マドリード | 33 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2004 | ベルギー U-15 | 1 | (0) | |||
2005 | ベルギー U-16 | 2 | (0) | |||
2005-2006 | ベルギー U-17 | 19 | (0) | |||
2006-2007 | ベルギー U-18 | 5 | (0) | |||
2006 | ベルギー U-19 | 3 | (0) | |||
2007-2009 | ベルギー U-21 | 10 | (0) | |||
2008-2022 | ベルギー | 130 | (12) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月11日現在。 2. 2022年11月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クラブ経歴
スタンダール・リエージュの下部組織出身であり、2006年9月17日、FCブリュッセル戦の89分にMFスティーヴン・ドフールとの途中交代で出場してトップチームデビューを果たした。2007-08シーズンはMFマルアン・フェライニやドフールなどとともに平均年齢の若い中盤を形成し、18歳ながら中心選手としてジュピラーリーグ優勝に貢献した。2007-08シーズンのリーグ最優秀若手選手賞を受賞し、2008年夏にはベルギー・スーパーカップを制している。2008-09シーズンにはジュピラーリーグ2連覇を達成し、優勝プレーオフではPKで決勝点を決めている。
2009年8月30日、RSCアンデルレヒトとの試合中にマルチン・ヴァシレフスキに対してタックルを仕掛けたが、タックルが遅れたために足首に当たり、ヴァシレフスキは骨折して全治8ヶ月の重傷を負った[3][4]。主審に対して故意ではなかったと主張したが、ヴィツェルにはレッドカードが提示され、一発退場処分となった。すぐにヴァシレフスキに謝罪したが、RSCアンデルレヒトやポーランド代表のファンの怒りを買い、数多くの脅迫を受けたほか、メディアによる批判の対象となった[5]。11月23日までの出場停止処分が言い渡されたが[6]、後に8試合の出場停止処分に軽減された[7]。
2011年7月に、SLベンフィカに5年契約で移籍。
2012年9月3日、FCゼニト・サンクトペテルブルクに完全移籍[8]。
2017年1月3日、ゼニトはヴィツェルが天津権健に移籍することでクラブ間合意に至ったと発表した[9]。
ドルトムント
2018年8月6日、ボルシア・ドルトムントに4年契約で完全移籍[10]。天津権建に支払った契約解除金は2,000万ユーロにのぼると見られており、ヴィツェルへの給与もチーム内最高額となる年間1,000万ユーロとなった。加入1シーズン目は、負傷により欠場した1試合を除くリーグ戦全33試合に出場し、4得点1アシストという記録を残した[11]。2019年8月3日、DFLスーパーカップのFCバイエルン・ミュンヘン戦に先発フル出場し、2-0でバイエルン・ミュンヘンを破ってドルトムント加入後の初タイトルを獲得した[12]。2020-21シーズンのブンデスリーガ第15節RBライプツィヒ戦にて、前半30分に左足のアキレス腱を断裂し、長期離脱を余儀なくされた[13]。直後の診断では復帰に8ヶ月弱要すると見られていたが、懸命なリハビリなどが功を奏しておよそ5ヶ月後にはピッチに戻り、2020-21シーズン終了後に開催されたUEFA EURO 2020にも問題なく出場した[14]。
アトレティコ・マドリード
2022年7月6日、アトレティコ・マドリードと1年契約を結んだ[15][16]。チーム加入後はディエゴ・シメオネ監督によってそれまでほとんど未経験であった3バック中央のセンターバックを務めていたが[17][18]、中盤戦にフォーメーションが4バックへと変更されると出場機会が激減した。しかし、シーズン後半戦以降はステファン・サヴィッチの負傷離脱により出場機会が増加し、最終的にリーグ戦33試合に出場した[19]。
代表経歴
2006年、U-17ベルギー代表としてルクセンブルクで開催されたUEFA U-17欧州選手権に出場した。2007年にはU-21ベルギー代表としてUEFA U-21欧州選手権に出場し、ベスト4に入った。
2008年3月26日、モロッコ代表戦でベルギーA代表デビューし、その試合で初得点も記録した。2011年3月24日、UEFA EURO 2012予選・オーストリア戦では2得点を決め、直接のライバル相手の勝利に貢献した。6分にドフールのハイクロスを相手GKユルゲン・マッホに競り勝ってゴールに沈めると、後半開始早々にはローラン・シマンのクロスを胸で巧みにトラップして2点目を決めている[20]。2014 FIFAワールドカップからは、背番号6を着用して全てのメジャー大会に出場しており、いずれの大会でもレギュラーとしてプレーしている。
2023年5月12日、15年間プレーしてきたベルギー代表からの引退を表明した[21]。2008年3月のデビュー以降5度のメジャー大会に出場し、通算130キャップはヤン・フェルトンゲンに次ぐ同国歴代2番目のキャップ数となった。
- ^ a b “Axel Witsel”. Borussia Dortmund. 2018年5月18日閲覧。
- ^ “Stats Centre: Axel Witsel Facts”. Guardian. 2012年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月29日閲覧。
- ^ “Witsel breekt been van Wasilewski in tackle”. Sporza. 2009年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月31日閲覧。
- ^ “Anderlecht-Standard faute d'Axel Witsel sur Wasilewski”. YouTube. 2009年8月31日閲覧。
- ^ Standard Liege Stars Defour & Witsel Receive Death Threats Goal.com、2009年9月1日
- ^ “ビツェル、8試合の出場停止に”. UEFA.com (2009年9月4日). 2009年9月6日閲覧。
- ^ Witsel given lengthy ban Mirror Football
- ^ “ゼニトがヴィツェルも獲得”. Goal.com. 2012年9月4日閲覧。
- ^ “ユーヴェへの移籍が消滅 ベルギー代表MFヴィツェル、爆買いの標的となり中国リーグ参戦へ”. theWORLD. 2017年1月5日閲覧。
- ^ “Axel Witsel im BVB-Trainingslager angekommen”. Borussia Dortmund. 2018年8月7日閲覧。
- ^ “Axel Witsel Detailed Stats 2018-19”. Transfermarkt. 2023年1月14日閲覧。
- ^ “'Borussia Dortmund en Axel Witsel verrassen landskampioen Bayern München in Duitse Supercup'”. 2023年1月14日閲覧。
- ^ “ドルトムントに痛手…MFヴィツェルがアキレス腱断裂で数カ月間の離脱へ”. サッカーキング (2021年1月11日). 2023年1月14日閲覧。
- ^ “'Axel Witsel al geopereerd aan gescheurde achillespees'”. 2023年1月14日閲覧。
- ^ “Witsel is now a Red & White player” (英語). Club Atlético de Madrid (2022年7月6日). 2022年7月7日閲覧。
- ^ “アトレティコ、ドルトムント退団のMFヴィツェルを獲得”. 超ワールドサッカー (2022年7月6日). 2022年7月7日閲覧。
- ^ “Club Atlético de Madrid - Ya conocemos las alineaciones titulares para el Getafe-Atleti”. 2023年1月14日閲覧。
- ^ “Club Atlético de Madrid - Ya conocemos las alineaciones titulares para el Atleti-Villarreal”. 2023年1月14日閲覧。
- ^ “Atlético, renovación en la Unidad B” (スペイン語). Marca (2023年5月19日). 2023年6月11日閲覧。
- ^ ビツェルの2得点でベルギーが勝利 UEFA.com、2011年3月25日
- ^ “Witsel deja la selección belga” (スペイン語). Marca (2023年5月12日). 2023年6月11日閲覧。
- ^ “Axel Witsel en très charmante compagnie” (フランス語). La Dernière Heure. (2012年10月23日). オリジナルの2017年8月31日時点におけるアーカイブ。 2014年4月23日閲覧。
- ^ “Axel & Rafaella Witsel éblouissants lors de leur mariage religieux” (フランス語). Sudinfo.be. (2015年6月13日). オリジナルの2016年6月25日時点におけるアーカイブ。 2017年8月31日閲覧。
- ^ “Mondial 2018 - France Belgique: Axel Witsel, l'autre Antillais endiablé”. franceinfo. franceinfo. (2018年7月10日) 2018年7月11日閲覧。
- ^ Dalmat, Syanie (2018年7月10日). “Axel Witsel, le Belge qui aurait pu jouer pour la France”. L'Equipe 2018年7月11日閲覧。
- ^ “Win55” (2024年2月14日). 2024年3月22日閲覧。
- ^ “Boyhood Arsenal fan Axel Witsel: "I have always liked Manchester United since I was young"” (英語). Eurosport UK (2015年5月7日). 2022年2月28日閲覧。
- ^ Potter, Steffen (2011年10月11日). “Germany stamp out Belgium's fire”. uefa.com (Union of European Football Associations) 2018年1月24日閲覧。
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