サビル人
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サビル人(Sabir people、別名: Savirs, Suars, Sawar, Sawirk、ギリシア語: Σάβιροι)は、おそらく西方シベリア起源で5世紀後半から7世紀にかけて、北コーカサス地域(現在のロシア南部、クバン地方、黒海東岸)に住んだテュルク系民族。
語源
5世紀頃にコーカサス北部のカスピ海南西部(ストラボンのサウロマタイ地域に到達。フン族の分裂後、西方に移動したグループの一つと考えられています 名前「Sabir」はテュルク語の根源sap-(さまよう、放浪する)から来ており、遊牧民を意味します。シベリアの名前の由来とも関連付けられることがあります。[1]
歴史
• 主要な出来事 • 461年 アヴァール人(Avars)の攻撃を受け、サラグール(Saragur)、ウログ(Urog)、オノグル(Onogur)族を北へ追いやった。515年 コーカサス南部を大規模に侵攻し、東ローマ帝国帝国とサーサーン朝ペルシアの両方を攻撃。ペルシアと同盟を結んだ。520年代 女王ボアレクス(Boareks)が東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世と同盟し、フン族指導者たちを撃破。10万人を統治し、2万人の軍勢を率いた。 552年 アヴァール人の脅威に対し、東ローマ側に寝返りコーカサスを侵攻。 7世紀頃には衰退して行き、残存グループはハザール・カガン国やブルガール人に同化。東ローマの記録では、ハンガリー人(Magyars)が自分たちを「sabartoi asphaloi」(堅固なサビル人)と呼んでいたとされ、一部がハンガリー人の祖先と関連付けられる理論がある。[1][2]
族長
- バラク(テュルク語のバラク、「子供、少年」「動物の若者」)
- ボア/ボアレス/ボアレクス - サビル女王、バラクの未亡人
- バルマク/バルマク(テュルク語バルマク、「指」)
- イリガー(テュルク語の「王子」)
- クティツィス(テュルク語の「天の幸運」-「陛下」)[3]
遺産
サビル人の一部はハンガリー人の祖先(マジャール人)と見なされ、東ローマ文書で「Tourkoi(ハンガリー人)がサビル人と呼ばれていた」と記されていますまた、ロシアの歴史家Lev Gumilevは、スラブ系セヴェリヤン族(Severians)の名がサビルに由来すると主張。[4]
構成部族
シリア語史料(555年)の「13部族」リスト(一部のみ判明)
Pseudo-Zacharias Rhetor(『教会史』)に記載されたサビル連合の13部族のうち、名前が判明しているのは以下の通り:
1. サビル (Sabir)
2. ベルガル (Bergar)
3. サラグル (Saragur) ← サビル連合に一時加入(元は独立)
4. オノグル (Onogur)
5. クルトゥルグル (Kurturgur)
6. アバルグ (Abarghur)
7. ハザール (Khazar) ← 初期段階で加入(後に独立しカガン国へ)
8. ディルミ (Dirmi)
9. バガス (Bagas)
10. プルガル (Pulgar)
11. アバス (Abas)
12. カスパル (Kaspar)
13. タミル (Tamil)
関連項目
脚注
出典
- ^ a b 金原保夫「第2篇東欧民族の移動期 第3章ブルガール族の国家「大ブルガリア」について」
- ^ 村上正二「モンゴル帝國成立以前における遊牧民諸部族について : ラシィード・ウッ・ディーンの「部族篇」をめぐって」
- ^ Golden, Peter Benjamin(1990). "The peoples of the south Russian steppes". The Cambridge History of Early Inner Asia. Cambridge University Press.
- ^ Peter B. Golden (1992). An Introduction to the History of the Turkic People. O. Harrassowitz.
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