テムル・ベク
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テムル・ベク(Temür beg、? - 1378年)は、ジョチ・ウルスのハン(1377年 - 1378年)。ペルシア語/チャガタイ語史料では、テムル・ハン(تيمور خان/Tīmūr Khān)、テムル・ベク(تيمور بيك/Tīmūr Bīk)、テムル・マリク・オグラン(تيمور ملك اوغلان/Tīmūr Malik Ūghlān)と様々な表記がなされるが、ロシア語史料では「テミル・ベクブラン(Temir Bekbulan)=テムル・ベク・オグラン(Temür beg ulan)の転訛」と表記されることから、「テムル・ベク」が正しい名前と考えられている[1]。
- ^ 赤坂2016,246-247頁
- ^ ノムガンの子テムル・クトルクの子として、『高貴系譜』にはテムル・ハン تيمور خان Tīmūr Khān、『勝利の書なる選ばれたる諸史』(Tawārīkh-i Guzīda-yi Nus.rat Nāma)ではテムル・ベク تيمور بيك Tīmūr Bīk と記されている(赤坂『ジュチ裔諸政権史の研究』p.469)。赤坂『ジュチ裔諸政権史の研究』収録の系譜p.47(ジュチ裔系図 トカ=テムル裔 ノムカン裔), p.76(同 トカ=テムル裔 オロス裔) 赤坂恒明はこのテムル・メリクをオロスの息子のひとりとする資料は誤っており、『高貴系譜』などに書かれているキンテムル家アバイ裔とする情報の方が正しいとしている。
- ^ 川口「キプチャク草原とロシア」『岩波講座 世界歴史11―中央ユーラシアの統合』、291頁。シャラフッディーン・アリー・ヤズディーの『勝利の書』(Ẓafar Nāma)序章において「キプチャク草原を統治したハンたち」が初代のジョチから「第三十二、ムハンマド・ハン」(カザン・ハン国の初代ウルグ・ムハンマド)まで列挙されているが、そのうち、「第二十、オロス・ハン」「第二十一、トクタキヤ。オロス・ハンの子息」に続いて「第二十二、テムル・メリク。オロス・ハンの子息」と書かれている。(赤坂『ジュチ裔諸政権史の研究』 p.294)
- ^ a b c S.G.クシャルトゥルヌイ、T.I.スミルノフ「カザフスタン中世史より」『アイハヌム2003』、72頁
- 1 テムル・ベクとは
- 2 テムル・ベクの概要
- 3 参考文献
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