Repninとは? わかりやすく解説

Repnin

名前 レプニン

レプニン家

(Repnin から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/08 14:38 UTC 版)

キエフチェルニゴフのエンブレムからなるレプニン家の盾の紋章

レプニン家(Репнин / Repnin)は、リューリク朝の流れをくむ由緒あるクニャージ)の家系。家名は一族の始祖イヴァン・ミハイロヴィチ・オボレンスキー公(1523年没)の、「まずいお粥」を意味する綽名「レプーニャ」に由来する。本家筋のオボレンスキー家と同じく、1246年にモンゴル帝国によって殺害されたキエフ大公ミハイル・チェルニゴフスキーの子孫である。

輩出した人物

同家に属する人物は全て「prince」に相当する「公(Князь / knyaz)」ないし「公女(княжна / knyaginya)」の称号を以て称されるが、ここでは略する。

  • エレナ・ミハイロヴナ・レプニナ…夫のヴァシーリー・シュイスキーが1606年にツァーリに選出されたため、皇妃(ツァリーツァ)となった。しかし翌1607年、夫は彼女と離婚して若い女性と再婚した。
  • ボリス・アレクサンドロヴィチ・レプニン…1639年以降、大貴族として多くの官房(プリカース)の長官を務めた。さらにアストラハン(1643年-1646年)とスモレンスク(1656年-1659年)で都市長官を務め、ツァーリの不在時には頻繁に貴族会議の議長役を代行していた。1670年5月17日にモスクワで没した。
  • アニキータ・イヴァノヴィチ・レプニン(1668年‐1726年)…ボリスの孫。大北方戦争に従軍した将軍で、陸軍元帥および*国防長官まで上りつめた。
  • ヴァシーリー・アニキートノヴィチ・レプニン(1696年‐1748年)…アニキータの子。ピョートル3世の傅育官で陸軍士官学校校長。オーストリア継承戦争の軍総司令官を務め、アーヘンの和約成立に尽力したが、その帰途で没した。
  • ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・レプニン(1734年‐1801年)…ヴァシーリーの子、おそらく一族中最も有名な人物。大使としてロシア帝国によるポーランドへの内政干渉を強化させ、対トルコ戦争でも活躍した。嫡出には3人の娘しかいなかったため、アレクサンドル1世の許しを得て孫のニコライ・ヴォルコンスキー公にレプニンの姓と紋章を相続させた。このため子孫はレプニン=ヴォルコンスキー公家を名乗っている。庶子に詩人イヴァン・プーニンがいる。

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