Manuaとは? わかりやすく解説

マヌア‐しょとう〔‐シヨタウ〕【マヌア諸島】


マヌア諸島

(Manua から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 04:33 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
オロセガ島北岸シリ村からオフ島を望む。中央の山はオフ島のツヌイタオ山で、狭いアサガ海峡を隔てて手前がオロセガ島

マヌア諸島(Manu'a)は、アメリカ領サモアの島。タウ島、オフ島、オロセガ島の3島からなる。アメリカ領サモア主島のトゥトゥイラ島から東に110kmの地点に浮かぶ。3島合わせた面積は57km2、人口2300人(1985年)[1] 。

マヌア諸島の人口は減少を続けている。1930年代にはアメリカ領サモアの20%の人口が住んでいたが、1980年代には6%まで減少していた。理由としては、就業機会の少なさなどのため、若者たちがトゥトゥイラ島に移住していることがあげられる。

マヌア諸島の伝統的な都はタウ島にあるタウ村である。そこにすむツイ・マヌアと呼ばれるマヌア王がこの諸島を支配してきたが、1904年7月16日にツイ・マヌアからアメリカへと主権が譲渡され、この島々はアメリカ領となった。この譲渡は、1899年に開かれたベルリン会議において、マヌア諸島を含むサモア東部の支配権をアメリカに、西部の支配権をドイツに認めたことを受けてのものだった。

マヌア諸島はポリネシアの文化揺籃の地のひとつとして知られ、タウに都を置くツイ・マヌアはサモアやトケラウ諸島など近隣諸島をも支配下に収めていた。トンガ大首長国がサモアを支配した時代にも、マヌアは独立を保ち続けた。最後のツイ・マヌアであったツイマヌア・エリサラが1909年7月2日に死去した後、ツイ・マヌアの称号は空位となり、マヌア諸島の最高位はアメリカから派遣される知事へと移った。しかし、ツイマヌアの称号の権利はツイマヌアを輩出し続けたアノアロ・クランが未だに保持している。

脚注

  1. ^ 「オセアニアを知る事典」平凡社 p280 1990年8月21日初版第1刷


英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Manua」の関連用語

1
マヌア諸島 デジタル大辞泉
56% |||||


3
4% |||||

4
4% |||||


Manuaのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Manuaのページの著作権

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマヌア諸島 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS