Kanō Sanrakuとは? わかりやすく解説

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狩野山楽

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 10:08 UTC 版)

狩野 山楽(かのう さんらく、永禄2年(1559年) - 寛永12年8月19日1635年9月30日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野山雪の養父。


注釈

  1. ^ 東福寺法堂天井画は明治14年(1881年)の火災で焼失したが、縮図の『山楽筆蟠龍図縮図』は京狩野に伝わり現存している。この絵と永徳が使っていたとされる藁筆、『本朝画史』は京狩野にとって貴重品であり、山楽が永徳の正統な後継者であることを証明する、いわば三種の神器として扱われていた[8][9]
  2. ^ 『本朝画史』『狩野永納家伝画軸序』は後述する大坂城落城後の慶長20年(元和元年・1615年)に駿府の家康へ拝謁後、京都に戻り剃髪して山楽を号したと書いているが、『土佐家文書』の中に久翌こと土佐光吉へ宛てた山楽名義の書状があること、光吉の没年が慶長18年(1613年)であることから、それ以前から山楽を号したこと、山楽は法号ではなく画号であること、『本朝画史』『狩野永納家伝画軸序』の記述が間違っていることが指摘されている[18][19][20]
  3. ^ 車争図屏風の内容は源氏物語第9帖「」に書かれた光源氏の正妻葵の上の一行と六条御息所の一行が牛車の場所を巡り争いを起こす、六条御息所の生霊に苦しんだ葵の上が死ぬという、一見新婚夫婦に相応しくない屏風に見える。しかし源氏物語第9帖全体で考えると、前半は不幸な話でも後半は葵の上を亡くした光源氏が紫の上と新手枕を交わす場面を、両者と年齢が近い幸家と完子に見立てたのではないかとされている。なお、御殿は内裏拡張のため慶長10年に移転を命じられた[28]
  4. ^ 『御用留(四)』は九条家が京狩野に与えた恩を子孫に伝える内容で、1つ目は九条家より京狩野が士族身分を許されたこと、2つ目は山楽の助命、3つ目は山雪の助命が書いてある。幸家が幕府に働きかけた時期は禁中並公家諸法度を吟味していた慶長20年5月から7月とされるが、『本朝画史』が幸家の助命嘆願について書いていない点は、大坂の陣の残党狩りの記憶が残る時期に刊行すれば、九条家に迷惑をかけると判断した永納の隠蔽が疑われている[30][31]
  5. ^ 五十嵐は山楽が絵筆が取れない状態と推測した理由について、寛永7年の山楽署名の作品『西湖図屏風』(サントリー美術館蔵)と『金山西湖図屏風』(メトロポリタン美術館蔵)に山雪作とされる描写があること(署名は山楽でも作者は山雪)、寛永10年(1633年9月9日に山雪が山楽の代理として九条幸家の長男二条康道の屋敷へ訪れたことを挙げている[54]
  6. ^ 狩野一渓『丹青若木集』の狩野氏系図に山楽の子として21歳で没した修理という人物が記され(生没年不詳)、修理と光教は同一人物とされる。『当麻寺縁起絵巻』制作に参加した山楽の子光孝も光教とされ、寛永4年頃まで存命と推定されている。『新東鑑』という資料に山楽の子・木村右京が慶長20年の大坂の陣で死去したという記録もあるが、五十嵐は右京や光孝が光教と同一人物なのか疑問視している[57]。また光教の死で山雪が家業を継いだ時期は二条城障壁画制作の寛永3年から山楽死去の寛永12年までの9年間と推測されているが、何時の頃なのかはっきりしない[58]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 日並彩乃「京狩野のやまと絵について」『文化交渉 : Journal of the Graduate School of East Asian Cultures : 東アジア文化研究科院生論集』第2巻、関西大学大学院東アジア文化研究科、2013年12月、81-105頁。 
  2. ^ 五十嵐公一 2012, p. 76,79-80.
  3. ^ a b 土居次義 1980, p. 21.
  4. ^ 山下善也 2022, p. 40.
  5. ^ 五十嵐公一 2012, p. 77.
  6. ^ 脇坂淳 2010, p. 3.
  7. ^ 五十嵐公一 2012, p. 82,84-85.
  8. ^ 五十嵐公一 2012, p. 87.
  9. ^ 成澤勝嗣 2012, p. 75.
  10. ^ a b c 脇坂淳 2010, p. 4.
  11. ^ 五十嵐公一 2012, p. 81,84,87.
  12. ^ 脇坂淳 2010, p. 19-24.
  13. ^ 成澤勝嗣 2012, p. 43.
  14. ^ 五十嵐公一 2012, p. 85-87.
  15. ^ 脇坂淳 2010, p. 6.
  16. ^ 五十嵐公一 2012, p. 87-89.
  17. ^ 五十嵐公一 2012, p. 89-90.
  18. ^ 土居次義 1980, p. 23.
  19. ^ a b 脇坂淳 2010, p. 5.
  20. ^ 五十嵐公一 2012, p. 80-81.
  21. ^ 五十嵐公一 2012, p. 90-92.
  22. ^ 脇坂淳 2010, p. 5-6,48-49.
  23. ^ 五十嵐公一 2012, p. 92,95.
  24. ^ 五十嵐公一 2012, p. 94.
  25. ^ 土居次義 1980, p. 24.
  26. ^ 脇坂淳 2010, p. 31.
  27. ^ 五十嵐公一 2012, p. 125-128.
  28. ^ 五十嵐公一 2012, p. 98-104.
  29. ^ 五十嵐公一 2012, p. 93-98,123-127.
  30. ^ 脇坂淳 2010, p. 4-5.
  31. ^ 五十嵐公一 2012, p. 106-111.
  32. ^ 五十嵐公一 2012, p. 69,104-111.
  33. ^ 山下善也 2022, p. 42-43.
  34. ^ 脇坂淳 2010, p. i.
  35. ^ 辻惟雄 2014, p. 136-137.
  36. ^ a b 成澤勝嗣 2012, p. 70.
  37. ^ 五十嵐公一 2021, p. 123,126.
  38. ^ 脇坂淳 2010, p. 11.
  39. ^ 五十嵐公一 2012, p. 111-114,121-122.
  40. ^ 脇坂淳 2010, p. 5-6.
  41. ^ 五十嵐公一 2012, p. 78,114-119.
  42. ^ 五十嵐公一 2012, p. 119-120.
  43. ^ 成澤勝嗣 2012, p. 3.
  44. ^ 五十嵐公一 2012, p. 115.
  45. ^ 山下善也 2022, p. 19,44-45.
  46. ^ 五十嵐公一 2012, p. 129-130.
  47. ^ 土居次義 1980, p. 27-39.
  48. ^ 五十嵐公一 2012, p. 120.
  49. ^ 五十嵐公一 2012, p. 120-121.
  50. ^ 土居次義 1980, p. 1,18,28-29,46,51-53.
  51. ^ 山下善也 2022, p. 43,45.
  52. ^ 辻惟雄 2014, p. 165-167.
  53. ^ 山下善也 2022, p. 49-50.
  54. ^ 五十嵐公一 2021, p. 129-132.
  55. ^ 五十嵐公一 2012, p. 140-149.
  56. ^ 五十嵐公一 2021, p. 128-129.
  57. ^ 五十嵐公一 2012, p. 128-131.
  58. ^ 山下善也 2022, p. 48,76.
  59. ^ 土居次義 1980, p. 27.
  60. ^ 脇坂淳 2010, p. 16.
  61. ^ 成澤勝嗣 2012, p. 74.
  62. ^ 脇坂淳 2010, p. 74-76.
  63. ^ 成澤勝嗣 2012, p. 84-89.
  64. ^ Rice Farming in the Four Seasons, Winter [left, Kano Sanraku _ Mia]
  65. ^ C0042820 黄石公張良虎渓三笑図屏風 - 東京国立博物館 画像検索
  66. ^ C0006280 黄石公張良虎渓三笑図屏風 - 東京国立博物館 画像検索
  67. ^ C0028554 帝鑑図押絵貼屏風 - 東京国立博物館 画像検索
  68. ^ Emperor Xuanzong Bringing Forth the Drum to Cause the Flowers to Bloom _ Museum of Fine Arts, Boston
  69. ^ The Twenty-four Paragons of Filial Piety _ Museum of Fine Arts, Boston
  70. ^ (財)冷泉家時雨亭文庫・NHK編集 『京の雅・和歌(うた)のこころ 冷泉家の至宝展』 NHK NHKプロモーション、1997年、第216図。
  71. ^ 脇坂淳 2010, p. 31,51.
  72. ^ 五十嵐公一 2012, p. 128,220.
  73. ^ 五十嵐公一 2021, p. 109-111,114-117.
  74. ^ 山下善也 2022, p. 76-79.
  75. ^ 成澤勝嗣 2012, p. 73.
  76. ^ 辻惟雄 2014, p. 57.


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