コケジン
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コケジン・ハトゥン(モンゴル語: Kökeǰin)は、フレグ・ウルスの第8代君主ガザン・ハンに嫁いだ后妃の一人。モンゴル高原のバヤウト部族出身でありながら海路によって遥か遠方のイラン高原まで嫁いでおり、この旅路にマルコ・ポーロ一家が同乗したことで知られる。
- ^ a b Francis Woodman Cleaves (1976). “A Chinese Source Bearing on Marco Polo's Departure from China and a Persian Source on his Arrival in Persia”. Harvard Journal of Asiatic Studies 36: 181–203. doi:10.2307/2718743. JSTOR 2718743.
- ^ a b Pelliot 1959,392頁
- ^ a b c 宮2018,803頁
- ^ a b 愛宕1970,28頁
- ^ 『東方見聞録』にはこの時の年次が記されていないが、ちょうど至元25年10月よりカイドゥの大侵攻が始まったことが元史の本紀に散見され、コケジンらはこの頃イランへの旅を中途で諦めたと見られる(愛宕1970,30頁)
- ^ 『東方見聞録』第6章には1288年にマルコ・ポーロは現ベトナム中部のチャンパ王国に滞在していたと記されており、マルコ一家の帰還はこの翌年か翌翌年とみられる(愛宕1970,30頁)
- ^ 愛宕1970,29頁
- ^ a b c 愛宕1970,31頁
- ^ a b 愛宕1970,32頁
- ^ 杉山2014A,16-17頁
- ^ 書き下し文は宮2018,733頁より引用
- ^ 杉山2014A,17-18頁
- ^ 杉山2014B,140-141頁
- ^ 愛宕1970,32-33頁
- ^ Pelliot 1959,394頁
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