コケジンとは? わかりやすく解説

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コケジン

(Kököchin から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 00:57 UTC 版)

コケジン・ハトゥンモンゴル語: Kökeǰin)は、フレグ・ウルスの第8代君主ガザン・ハンに嫁いだ后妃の一人。モンゴル高原バヤウト部族出身でありながら海路によって遥か遠方のイラン高原まで嫁いでおり、この旅路にマルコ・ポーロ一家が同乗したことで知られる。


  1. ^ a b Francis Woodman Cleaves (1976). “A Chinese Source Bearing on Marco Polo's Departure from China and a Persian Source on his Arrival in Persia”. Harvard Journal of Asiatic Studies 36: 181–203. doi:10.2307/2718743. JSTOR 2718743. 
  2. ^ a b Pelliot 1959,392頁
  3. ^ a b c 宮2018,803頁
  4. ^ a b 愛宕1970,28頁
  5. ^ 『東方見聞録』にはこの時の年次が記されていないが、ちょうど至元25年10月よりカイドゥの大侵攻が始まったことが元史の本紀に散見され、コケジンらはこの頃イランへの旅を中途で諦めたと見られる(愛宕1970,30頁)
  6. ^ 『東方見聞録』第6章には1288年にマルコ・ポーロは現ベトナム中部のチャンパ王国に滞在していたと記されており、マルコ一家の帰還はこの翌年か翌翌年とみられる(愛宕1970,30頁)
  7. ^ 愛宕1970,29頁
  8. ^ a b c 愛宕1970,31頁
  9. ^ a b 愛宕1970,32頁
  10. ^ 杉山2014A,16-17頁
  11. ^ 書き下し文は宮2018,733頁より引用
  12. ^ 杉山2014A,17-18頁
  13. ^ 杉山2014B,140-141頁
  14. ^ 愛宕1970,32-33頁
  15. ^ Pelliot 1959,394頁


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