腆支王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/17 09:50 UTC 版)
腆支王(てんしおう、生年不詳 - 414年[1])は百済の第18代の王(在位:405年 - 414年[1])。
- ^ a b 『三国史記』では「420年」と記載。
- ^ 盧重国 (2005年). “5世紀の韓日関係史-『宋書』倭国伝の検討-” (PDF). 日韓歴史共同研究報告書(第1期) (日韓歴史共同研究): p. 263-264. オリジナルの2021年11月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ 洪性和 (2009年). “石上神宮 七支刀에 대한 一考察”. 한일관계사연구 no.34 (한일관계사학회). オリジナルの2022年6月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『日本書紀』においては腆支王が人質となって倭国へ赴いたのが応神天皇8年(277年→397年)、帰国については応神天皇16年(285年→405年)にそれぞれ対応する記事があり、日韓両国の史書が一致している。
- ^ 『三国史記』
- ^ 田中俊明 (2021年3月31日). “『日本書紀』朝鮮関係記事と百済三書”. 京都産業大学日本文化研究所紀要 26 (京都産業大学日本文化研究所)
- ^ 『日本書紀』においては応神天皇25年(294年→414年)に薨去したと記述されており、応神天皇39年(308年→428年)には、百済王(久爾辛王)が、直支王妹の新斉都媛と7人の女性を遣わしたという記事がある。
[続きの解説]
「腆支王」の続きの解説一覧
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