ジェリー・ベイカー (1938年4月生のサッカー選手)とは? わかりやすく解説

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ジェリー・ベイカー (1938年4月生のサッカー選手)

(Gerry Baker から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/30 20:36 UTC 版)

ジェリー・ベイカー
名前
本名 ジェラード・オースティン・ベイカー
ラテン文字 Gerry Baker
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
イングランド
スコットランド
生年月日 (1938-04-11) 1938年4月11日
出身地 ニューヨーク州ニューロシェル
没年月日 (2013-08-24) 2013年8月24日(75歳没)
身長 170cm
選手情報
ポジション FW(CF)
ユース
クレイグヌーク
1949-1955 チェルシー
1955 ラークホール・シッスル(loan)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1955-1956 チェルシー 0 (0)
1956-1958 マザーウェル 11 (4)
1958-1960 セント・ミレン 63 (42)
1960-1961 マンチェスター・シティ 37 (14)
1961-1963 ハイバーニアン 59 (27)
1963-1967 イプスウィッチ・タウン 135 (58)
1967-1970 コヴェントリー・シティ 31 (5)
1969 ブレントフォード(loan) 8 (2)
1970-1971 マーゲート 40 (10)
1971-1973 ナニートン・バラ 45 (15)
1973-1974 ベッドワース・ユナイテッド
1974-1975 ウスター・シティ 7 (2)
代表歴
1968-1969  アメリカ合衆国 7 (2)
監督歴
1970-1971 マーゲート(選手兼任)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジェラード・オースティン・ベイカー英語: Gerard Austin Baker1938年4月11日 - 2013年8月24日)は、アメリカ合衆国イングランドスコットランドの元サッカー選手、元サッカー指導者。元アメリカ合衆国代表。選手時代のポジションはFW

クラブ歴

1949年5月にチェルシーFCに加入した。ユースからサードチーム、セカンドチームでプレーして1956年9月26日にサザン・フラッドライト・カップでトップチーム初出場を記録したが、同年にホームシックでスコットランドに戻った[1]

同年12月にマザーウェルFCに加入し、左ウイングを務めた。しかしイアン・セント・ジョンとパット・クインに押し出され、セント・ミレンFCに移籍した[2][1]

セント・ミレンではマザーウェルFC戦で移籍後初出場初得点を記録し、2-1の勝利に貢献した。なおこの時の相手チームには弟が在籍していた。1959年4月25日のスコティッシュカップ決勝では決勝点を決め、タイトル獲得に貢献した[3]。なおこのシーズンのスコティッシュカップの彼は全ラウンドで得点を記録しており、合計8得点であった。1960年1月30日のグラスゴー・ユニヴァーシティFC戦では10得点を記録し15-0の歴史的記録を創りだした[3]

この頃にはイングランドでも知られるようになり、1960年11月にマンチェスター・シティFCに1万7000ポンドで完全移籍した[1]。彼と入れ替わる形でジョン・マクタヴィッシュが人的補償として移籍している[4]。しかし在籍は1年に止まり、翌年11月にハイバーニアンFCが1万8000ポンドで獲得した[1]

1963年12月にイプスウィッチ・タウンFCが2万5000ポンドで彼を獲得し、151試合66得点の結果を残した。

1967年11月にコヴェントリー・シティFCに移籍した。1969年10月にブレントフォードFCに期限付き移籍し、シーズン末に放出された。

その後はマーゲートFCで選手兼任監督を務めたが、1970年8月に肩を脱臼、同年11月には肋骨を骨折と怪我に見舞われた。それでも1971年9月30日に退団するまでに48試合16得点の記録を残した。その後、ナニートン・バラFC、ベッドワース・ユナイテッドFC、ウスター・シティFCに在籍し引退した[3]

代表歴

1968年10月17日に行われた1970 FIFAワールドカップ・予選カナダ代表戦で代表初出場を記録した。翌月2日のバミューダ諸島代表戦では2得点を記録、この2ヶ月で6試合の出場を記録した。

代表最後の出場は1969年5月11日に行われたハイチ代表戦であった[5]

指導歴

1970年に加入したマーゲートでは選手兼任監督として監督も務めた。

引退後

引退後はジャガーの工場に勤務した[3][2]

2007年5月にセント・ミレンの殿堂入りを果たした。2013年8月に75歳で歿した[6]

私生活

父はイングランド人で母はスコットランド人[7]。1歳の時にリヴァプール近郊に引っ越したが、第二次世界大戦の戦火から逃れるためにすぐにマザーウェルに転居した。

弟のジョー・ベイカーイングランド代表のサッカー選手。娘のロレーヌ・ベイカー=ストレインはイングランドの中距離陸上選手、孫のライアン・ストレインオーストラリア代表のサッカー選手である[8]

参考文献

  1. ^ a b c d Gerry Baker”. Hibs Programmes. 2012年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月25日閲覧。
  2. ^ a b Where Are They Now?”. Hibernian F.C. match programme. Hibernian F.C. (1987年12月26日). 2011年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月25日閲覧。
  3. ^ a b c d Obituary: Gerard Austin Baker, footballer”. The Scotsman (2013年8月27日). 2018年11月2日閲覧。
  4. ^ The Fabulous Baker Boys, Tom Maxwell, 2013, ISBN 9780857906571
  5. ^ Line ups and results of U.S. 1960 matches
  6. ^ Gerry Baker”. hibernianfc.co.uk (2013年8月25日). 2013年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月25日閲覧。
  7. ^ Gerry Baker profile Archived 28 September 2007 at the Wayback Machine.
  8. ^ [https://www.ireland-live.ie/news/football/842088/ryan-strain-follows-in-footsteps-of-grandfather-gerry-baker-by-joining-st-mirren.html Ireland live, June 21 2022

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