フランチェスコ・ブリッツィオとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フランチェスコ・ブリッツィオの意味・解説 

フランチェスコ・ブリッツィオ

(Francesco Brizio から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/06 00:03 UTC 版)

フランチェスコ・ブリッツィオ
Francesco Brizio
マルヴァジーアの著書の肖像画
生誕 1574年
ボローニャ
死没 1623年
ボローニャ

フランチェスコ・ブリッツィオ(Francesco Brizio、姓はブリッツィ(Brizzi)とも、1574年 - 1623年[1])はイタリアの画家、版画家である。ボローニャで働いた[2].。

略歴

ボローニャで生まれた。バルトロメオ・パッサロッティ(Bartolomeo Passarotti: 1529–1592)の弟子になり、その後アゴスティーノ・カラッチ(1557-1602)やルドヴィコ・カラッチ(1555-1619) のもとでも修行した。

ブリッツィオについては、1678年に『ボローニャ画家列伝(Felsina pittrice, vite de’ pittori bolognesi)』を出版した歴史家のチェザーレ・マルヴァジーア(Carlo Cesare Malvasia: 1616-1693)の記述には、別の画家、ジョヴァンニ・フランチェスコ・ベッツィ(Giovanni Francesco Bezzi: c.1500-1571、別名: il Nosadella )との混同があるとされる。

ルーチォ・マッサーリ(Lucio Massari: 1569-1633) やリオネッロ・スパーダ(1576-1622)の助手として働き、ベンティヴォーリオ宮殿(Palazzo Bentivoglio)の装飾画を描いた。モデナの貴族、ボスケッティ伯爵(Boschetti)の邸やピエーヴェ・ディ・チェントの礼拝堂(Oratorio della SS Trinità)の天井画も描き、ボローニャの教会(Basilica di San Petronio)の聖母像を描いた。

版画もアゴスティーノ・カラッチに学び、カラッチ兄弟や、パルミジャニーノコレッジョといった有名な画家の作品を版画にした。

1623年にボローニャで没した。息子のフィリッポ・ブリッツィオ(Filippo Brizzi or Briccio or Brizio: 1603–1675)も画家になった。弟子にはドメニコ・アンブロージ(Domenico Ambrogi: c.1600-after 1678)がいる。

作品

脚注

参考文献

  • Marchese Antonio Bolognini Amorini (1843). Vite de Pittori ed Artifici Bolognesi. Tipografia Governativa alla Volpe, Bologna. pp. 91–96.
  • Bryan, Michael (1886). Robert Edmund Graves (ed.). Dictionary of Painters and Engravers, Biographical and Critical. Vol. I: A-K. London: George Bell and Sons. p. 185.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  フランチェスコ・ブリッツィオのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランチェスコ・ブリッツィオ」の関連用語

フランチェスコ・ブリッツィオのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランチェスコ・ブリッツィオのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランチェスコ・ブリッツィオ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS