Blood WARRIORS認定オープン・ザ・ブレイブゲート王座
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第20代王者であったPACが2011年6月12日の神戸サンボーホール大会後にイギリスに帰国することを理由に谷嵜なおきがPACから強奪してメタル・ウォリアーをコミッショナーとした王座。 谷嵜が強奪後に7月24日のKBSホール大会でリッチ・スワンが挑むも敗北。続いてGammaが8月25日の後楽園ホール大会で挑戦するも事前に谷嵜から突き付けられた「王者(谷嵜)のみ2カウントで勝ちになる特別ルール」の影響で敗北。 その後、谷嵜は真の王者であるPACともGamma戦と同じく王者のみ2カウント勝利となる特別ルールで戦うと宣言して9月16日の後楽園ホール大会でタイトルマッチが組まれた。しかし、王者のPACは2カウントルールに負けず谷嵜を破り、王座を自分の手に戻した。
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