アムール級機雷敷設艦 (1898)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 17:27 UTC 版)
アムール級機雷敷設艦は、初めから敷設艦として建造された外洋航行可能な艦として世界初であった[1]。これらの敷設艦はどれも1890年代後半にロシア帝国海軍のために建造された。1904年から1905年の日露戦争中、これらの艦は太平洋艦隊に配属された。「エニセイ」は戦争開始の2日後、機雷原の構築作業中に、自らが敷設した機雷の一つに触雷して沈没した。「アムール」が敷設した機雷原のうち、一つは日本の前弩級戦艦「初瀬」と「八島」を沈めた。1904年12月、日本軍は旅順港周辺の高地を奪取し、「アムール」は日本軍の榴弾砲により撃沈された。この艦は後に日本により浮揚解体された。
- ^ a b c Russian Minelayers Amur and Yenisei, p. 205
- ^ Gardiner, p. 204
- ^ a b c d Watts, p. 172
- ^ “Russian 75 mm/50 (2.95") Pattern 1892 --- French 7.5 cm/50 (2.95") Canet Model 1891”. Navweps.com (2007年7月17日). 2010年11月12日閲覧。
- ^ “Russia 47 mm/5 (1.85") Hotchkiss gun 47 mm/1 (1.85") Hotchkiss gun [3-pdr (1.4 kg) Hotchkiss guns]” (2006年12月1日). 2010年11月12日閲覧。
- ^ a b Russian Minelayers Amur and Yenisei, pp. 205-06
- ^ Forczyk, p. 46
- ^ 明治38年8月10日付 海軍大臣官房発行 官房第3040号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C06091630000 で閲覧可能。
- ^ Russian Minelayers Amur and Yenisei, p. 206
- 1 アムール級機雷敷設艦 (1898)とは
- 2 アムール級機雷敷設艦 (1898)の概要
- 3 参考文献
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