龍泉寺_(下呂市)とは? わかりやすく解説

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龍泉寺 (下呂市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/25 01:23 UTC 版)

龍泉寺
所在地 岐阜県下呂市萩原町上呂1457
位置 北緯35度53分56.3秒 東経137度12分32.3秒 / 北緯35.898972度 東経137.208972度 / 35.898972; 137.208972座標: 北緯35度53分56.3秒 東経137度12分32.3秒 / 北緯35.898972度 東経137.208972度 / 35.898972; 137.208972
山号 閑水山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 聖観世音菩薩
創建年 永徳年間
開基 奥田氏
中興年 天文年間
中興 仁谷智腆
札所等 益田西国三十三霊場30番
法人番号 1200005010659
龍泉寺
龍泉寺 (岐阜県)
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龍泉寺(りゅうせんじ)は岐阜県下呂市萩原町上呂にある聖観世音菩薩本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は閑水山。益田西国三十三観音霊場30番。

永徳年間に宮田村の奥田氏が檀越となり、毘沙門天を本尊とした数珠輪山毘沙門寺として寺洞山寺屋敷に建立される。その後、寺運が傾くが、天文年間に益田郡を支配した三木良頼禅昌寺3世仁谷智腆を中興開山として再興。本尊を聖観音に変えて現在地に移される。その後、三木氏の没落に伴い衰退したため、禅昌寺6世玉雲宗麟が再度の再興している。

運慶作と伝わる旧本尊の毘沙門天と毘沙門寺時代から伝来する吉祥天善財童子像は現在でも祀られている。また、ほかに平安時代末の作とみられる地蔵菩薩像や僧形八幡菩薩像も奉祭されている。このうち僧形八幡菩薩像は境内の八相堂にあり、益田三十三観音霊場の本尊とされる。なお、八相堂の名はもと八相の地にあったものを移築したことから名づけられている。

参考文献

  • 岐阜県益田郡 『岐阜県益田郡誌』 p668-669 1937年
  • 萩原町 『萩原町誌』 p1063-1068 1963年



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