黃玉郎とは? わかりやすく解説

黄玉郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 07:01 UTC 版)

黄 玉郎
本名 黄 雅朕(2018年、振隆より改名)
生誕 1950年
中国広東省潮州
国籍 中国 香港
活動期間 1963年 -
ジャンル 伝奇武俠、SFアクション
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黄 玉郎(ウォン・ヨクロン、またはトニー・ウォン、Tony Wong、トニー・ウォン・チュン=ロン、Tony Wong Chun-loong、本名:黄 雅朕、1950年 - )は香港漫画家。「香港漫画王」「香港漫画の父」と呼ばれる。伝奇もの・武俠ものからSFアクションまで作品は多種多様。中華漫画スタンダードの体現者。絵柄は昔ながらの熱血劇画調。

プロフィール

  • 潮州生まれ。7歳のときに香港に移住。13歳で学校を中退し漫画のアシスタントとなる。黄玉郎のペンネームで『超人之子(ウルトラマンの息子)』という作品を初めて出版する。
  • 15歳のとき、共同で漫画の日刊新聞と出版社を創設するも、いずれも失敗に終わる。
  • それでも努力を続け、1969年18歳のときに『小流氓』(『龍虎門英語版』)を初版7000部で出版し、一躍有名人になる。
  • 1979年、玉郎国際集団有限公司(現・文化伝信集団有限公司中国語版)を設立。
  • 1980年、若手漫画家の馬栄成(マー・ウィンシン)が『中華英雄中国語版』を連載開始。黄玉郎が所有する出版社「玉郎機構」からコミックスを発売。20万部の空前のヒットとなる。その他、邱福龍李志清など優秀な漫画家が続々と入社する。
  • 1983年、『酔拳中国語版』『如来神掌』『李小龍』『漫画帝国』『玉郎漫画』『寿星仔』など多くのコミックを出版する。
  • 1986年、玉郎国際集団有限公司、香港証券取引所に上場。資産が20倍の20億香港ドルに達したといわれる。
  • 1987年、絶頂期を迎え、香港コミックの8割以上を手がける。しかしこの後、有力漫画家らが次々と「玉郎」から独立。劉定堅、馮志明が「自由人出版」を設立。
  • 1989年、馬栄成も独立し「天下出版」を設立。
  • 米国株大暴落「ブラック・マンデー」(1987年)以降、香港市場も悪化し、玉郎国際集団有限公司も行き詰る。資金繰りの悪化に悩んだ末不祥事に手を染め、逮捕。懲役4年の実刑判決。
  • 1991年、入獄。黄玉郎の不在時に、香港コミック界に多様性が生まれる。
  • 1992年、玉郎国際集団有限公司が文化伝信集団有限公司中国語版(カルチャーコム社)に改称し、黄玉郎とは異なる経営路線を歩み始める。
  • 1993年、釈放。捲土重来を期して新会社「玉皇朝」を設立。『天子傳奇』『神兵玄奇』、金庸原作の武俠作品『天龍八部』などを当て、復帰を果たす。

作品一覧

香港文化博物館の金庸展廳館
金庸原作の武俠コミック
  • 天龍八部
  • 射鵰英雄伝
  • 鹿鼎記
  • 神鵰俠侶
  • 俠客行
その他

他、多数

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