高鍋篤郎
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高鍋 篤郎(たかなべ とくろう、1856年4月25日(安政3年3月21日[1])- 1920年(大正9年)11月16日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
淡路国津名郡、のちの兵庫県[2]津名郡広石村(五色町を経て現洲本市)で生まれた[3]。漁業に従事する。兵庫県会議員、同常置委員となる[2]。
1912年の第11回衆議院議員総選挙において兵庫県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選[4]。衆議院議員を1期務めた。1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。大浦事件で1916年に懲役2か月、執行猶予3年、追徴金300円の判決を受けた[5]。これにより大礼記念章を褫奪された[6]。1920年死去。
脚注
参考文献
- 『兵庫県人物事典 下巻』のじぎく文庫、1968年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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