長野電鉄デハ350形電車とは? わかりやすく解説

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長野電鉄デハ350形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/27 01:07 UTC 版)

長野電鉄デハ350形電車(ながのでんてつデハ350がたでんしゃ)は、長野電鉄に在籍した電車制御電動車)である。




注釈

  1. ^ メーカー側での製造実績両数表では製修2513として5両が生産されたことになっており、売り上げ月は1927年(昭和2年)10月で一括の扱いとなっている[4]。このため、2両ずつの新製はメーカー側キャパシティの都合による分割納品の結果であった可能性があり、また少なくともデハ353・デハ354は納入後最短でも2ヶ月間に渡って監督官庁である鉄道省へ竣工届が出されなかったことになる。なお、この製造実績両数表と実際の製作数の間には1両分の両数差が存在するが、この相違の原因は明らかとなっていない。ただし、後年になって川崎造船所兵庫工場の後身である川崎重工業車両事業本部が刊行した書籍では、長野電鉄向け製造実績は4両とされており[5]単なる誤記あるいは転記ミスであった可能性がある[要出典]
  2. ^ メーカー側記録では発注者は河東鉄道と明記されており[4]、実際にも発注は前身の河東鉄道時代に実施されている[7]
  3. ^ 西武鉄道モハ550形の初回落成分の竣功は西武鉄道側資料において1927年(昭和2年)1月とされており、これが正しいと仮定すると鉄道車両の製造に要する期間を考慮した場合信憑性に疑問が残る。ただし、メーカー側製造実績両数表では西武鉄道モハ550形は製修2384として1926年(大正15年)11月に10両が売り上げられたと記録されており、実際の納品はこれ以前に実施されたことになる[4]
  4. ^ これらはメーカー側製造実績両数表では製修2448として豊川鉄道から一括受注した形を採っている[4]
  5. ^ 車体長は16,304mm(阪神急行600)・16,307mm(長電デハ350、豊川・鳳来寺モハ20)・16,310mm(目蒲デハ200・デハ300、西武550)、台車中心間距離は10,970mm(阪神急行、目蒲、西武)・10,973mm(長電、豊川・鳳来寺)と、同一値あるいは近似値であることが判る[1]
  6. ^ ただし、全形式が全鋼製車体であったわけではなく、目黒蒲田電鉄200形と東京横浜電鉄300形は内装を木造とした半鋼製車体であった[4]
  7. ^ 元々アメリカ本国では蓄電池を電源としたモデルにこの型番が与えられていたため、Battery voltage、つまり「バッテリー電圧」という名称が与えられている。もっとも、日本向けでは最初期に輸入された南海鉄道電2形でバッテリー動作のモデルが採用されたがバッテリーの不具合に起因するトラブルが続出、それ以降に輸入されたHB制御器はことごとく電動発電機からの給電で動作する設計となっている。南海鉄道電2形も結局はバッテリーの保守に手を焼いた末に短期間で制御器を放棄し、制御車の電附8形に改造されている[11]
  8. ^ 帝國車輛工業製の台車についてはUD-16と記載する文献も存在する[15]
  9. ^ 帝國車輛工業UD-26は関西急行鉄道が1942年(昭和17年)と1944年(昭和19年)に合計10両を製造したモ6311形に同じ形式の台車が装着されたことが知られており[16]、これら10両分のUD-26は1959年(昭和34年)の伊勢湾台風とそれに伴う近鉄名古屋線の改軌工事スケジュールの前倒しで全数が改軌改造工事を施工されることなく新製の近畿車輛KD-32Bに交換され、同様に台車交換で余剰となった日本車輌製造D16・D16B・D18といった狭軌用釣り合い梁式台車各種とともに、幾つかの私鉄へ売却されたとされる[17]このため、台車交換時期や同時期の他社での同系台車の保有状況を考慮すると、これらは近鉄名古屋線改軌で不要となり、放出された台車である可能性が高い。[要出典]
  10. ^ クハ271が長野電鉄に返却された1988年(昭和63年)当時、上田交通塗装のクハ271が長野電鉄屋代駅に留置され、長野電鉄塗装のモハ611が上田交通上田原電車区跡に留置される「ねじれ現象」が発生していた[要出典]

出典

  1. ^ a b c d e f g 「いとこ同士 - 同形車を訪ねて - (上)」 pp.22 - 23
  2. ^ a b c d e f g 「私鉄車両めぐり(49) 長野電鉄」 p.167
  3. ^ a b c d e f g h i j 『RM LIBRARY86 長野電鉄 マルーン時代』 p.32
  4. ^ a b c d e 『鉄道史料』第62号 p.59
  5. ^ a b 『蒸気機関車から超高速車両まで』 p.152
  6. ^ 「私鉄車両めぐり(49) 長野電鉄」 p.166
  7. ^ a b c 『蒸気機関車から超高速車両まで』 p.181
  8. ^ 『蒸気機関車から超高速車両まで』 p.205
  9. ^ a b c d e f g h i j 『RM LIBRARY86 長野電鉄 マルーン時代』 p.39
  10. ^ a b 『RM LIBRARY86 長野電鉄 マルーン時代』 p.36
  11. ^ 『車両発達史シリーズ5』 p.87
  12. ^ a b c d e f 『RM LIBRARY86 長野電鉄 マルーン時代』 pp.46 - 47
  13. ^ a b c d 『上田交通別所線 さようなら丸窓電車』 pp.64 - 69
  14. ^ 『世界の鉄道'76』 p.159
  15. ^ 『世界の鉄道'76』 pp.158 - 159
  16. ^ 『近鉄旧型電車形式図集』 p.177
  17. ^ 『車両発達史シリーズ2』 p.97
  18. ^ a b c 『RM LIBRARY74 上田丸子電鉄(下)』 pp.54 - 55
  19. ^ a b 「現有私鉄概説 長野電鉄」(1998) p.173
  20. ^ ながでん電車の広場”. 長野電鉄. 2016年6月18日閲覧。
  21. ^ モハとデハニ”. いわさきちひろ記念事業団. 2016年6月18日閲覧。
  22. ^ まるまどくんが行く!まるまどくんについて - モハ5250 丸窓電車 - 上田丸子電鉄の軌跡 -”. 上田市マルチメディア情報センター. 2013年1月22日閲覧。


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