鈴木桂二とは? わかりやすく解説

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鈴木桂二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 06:46 UTC 版)

鈴木 桂二(すずき けいじ、1911年6月20日 - 2003年2月2日[1])は、日本の研究者。工学博士(東京大学、1955年)[2]。専門はテレビジョン工学[3]。映画監督の木下惠介はおじの孫にあたる[4]

人物

1911年、静岡県浜松市生まれ。1932年、浜松高等工業学校(現:静岡大学工学部)電気学科を卒業。同年4月、日本放送協会名古屋放送局に採用され、同局技術部に勤務する。1937年から1967年の停年まで、放送技術研究所に所属した[1][2]

1951年、東名阪マイクロTV中継回線建設プロジェクトを指導した[1]。1960年、ローマオリンピックにおいて、初のTV国際中継を実現した[1]。1964年、東京オリンピックに際し、同年打ち上げられたシンコム3号を利用したアメリカ本土へのTV中継を実現し、NHK会長賞、郵政大臣賞、テレビジョン学会丹羽高柳賞功績賞、IEEEツボリキン賞、紫綬褒章を受ける[1][2]。このために開発された1.5型ヘッドVTR[1]はType C放送用VTRに採用された[3]。なお、テレビジョン学会(現:映像情報メディア学会)において、ツボリキン賞の受賞を記念して1967年に、年次大会・冬季大会の講演者となった若手の科学者・技術者に対して贈呈する鈴木記念賞(現:鈴木記念奨励賞)が創設されている[2]

超短波、VTRの分野における功績により、前島賞(1961年)[2]、第7回(1991年度)高柳記念賞を受賞した[3]

放送技術研究所研究主幹(1967年)、電子情報通信学会名誉会員(1986年)[1][2]IEEEフェロー(1969年)、テレビジョン学会名誉会員(1977年)[2]

NHK退職後、1968年ティアックに入社し、常務取締役。1975年、同社を退職した後は、愛知工業大学同大学院教授 (1975-1980年)、長岡技術科学大学教授 (1980-1984年)、広島工業大学教授 (1984-1986年) を歴任した[2]

脳梗塞で倒れてから10年以上もの間療養していたが、2003年2月2日、老衰により死去する[1]。91歳没。前日は日本のテレビ放送開始50周年の記念日であった[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 吉田順作、2003、「鈴木桂二さんを偲んで」、『電子情報通信学会誌』86巻4号(2003年4月号(通巻947号))、電子情報通信学会ISSN 0913-5693 p. 225
  2. ^ a b c d e f g h i 木村悦郎、2003、「名誉会員 鈴木桂二博士を偲ぶ」、『映像情報メディア学会誌』57巻4号(2003年4月号)、映像情報メディア学会ISSN 1342-6907 p. 436
  3. ^ a b c 高柳記念賞 鈴木 桂二 氏 「テレビジョン工学に関する研究業績」 (PDF)
  4. ^ 恵介の従兄 鈴木桂二|木下恵介をとりまく人々|映画監督木下惠介の足跡を継承し、映像文化を創造する木下惠介記念館”. 浜松市文化振興財団. 2016年10月30日閲覧。



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