金子廻漕店とは? わかりやすく解説

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金子廻漕店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/06 14:24 UTC 版)

有限会社金子廻漕店
本社(浦ノ崎)
種類 有限会社
本社所在地 日本
849-4261
佐賀県伊万里市山代町立岩2774-1[1]
設立 1977年8月11日[2]
業種 海運業
法人番号 1300002007672
事業内容 一般旅客定期航路
代表者 代表取締役 金子正二郎[2]
資本金 500万円[2]
発行済株式総数 5,000株[2]
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有限会社金子廻漕店(かねこかいそうてん)は、佐賀県伊万里市に本社のある海運会社である。九州本土・伊万里市の浦ノ崎桟橋と長崎県松浦市福島・福島港釜桟橋を連絡する定期航路を運航している。

本項では同社の運航する航路を中心として、福島と九州本土を連絡する航路全般について概説する。

概要

福島と九州本土を連絡する航路は、明治期以来、伊万里港を中心として、福島を経て的山大島鷹島に至る、個人事業による沿岸航路が運航されていたが、太平洋戦争後の1952年(昭和27年)頃には、高校進学率の向上などから航路利用者が増加し、これら従来の航路では定員をオーバーするようになっていた。そのため同年、特に利用の多い釜 - 浦ノ崎に、新たに福島汽船有限会社と個人事業の正幸丸(金子正一郎)が参入し、運航を開始した[3]

1967年(昭和42年)に福島大橋が開通し、福島が九州本土と陸路で連絡されると、伊万里に発着していた沿岸航路はすべて廃止されるが、同一県内の松浦平戸方面への短絡ルートである釜 - 浦ノ崎航路はなお利用が多いことから、福島汽船は福島町に事業を譲渡し福島町営船として、正幸丸は個人事業のまま、それぞれ運航を継続した。その後も一時は増便を行ったほどであるが、福島炭鉱の閉山などから利用者は急減し、赤字を計上するようになった町営船は船舶の小型化や減便といった合理化を行うものの、1976年(昭和51年)には事業を廃止し、航路は個人事業の正幸丸に一元化された[3]

正幸丸は翌1977年(昭和52年)に有限会社金子廻漕店として法人化され[2]、2025年(令和7年)現在は福島と九州本土を連絡する唯一の航路として、通学利用を中心とした旅客輸送を行っている。

航路

浦ノ崎 - 福島[4]
5km、所要時間15分。一日8往復。運航時間6時 - 19時。
かつては福島炭鉱→福崎桟橋に寄港していたが、2025年現在は直航となっている。

船舶

航路としての連続性に鑑み、個人事業時代及び福島汽船→福島町営船の船舶についても記述する。

つばき2(2024年)

運航中の船舶

つばき2[5]
1995年1月30日竣工、同年2月11日就航、江藤造船所建造。
19総トン、全長16.6m、型幅4.1m、型深さ1.3m、軽合金製、ディーゼル1基、航海速力15.2ノット、旅客定員70名。

過去の船舶

福島丸[6]
運航者 - 福島汽船→福島町
1952年3月進水。1968年6月廃船[3]
17.56→19.97総トン、木造、焼玉機関→ディーゼル1基、機関出力25→60ps、航海速力6.0ノット、旅客定員44名。
第二正幸丸→正幸丸[7]
運航者 - 金子正一郎
1955年8月進水。
14.77総トン、木造、ディーゼル1基、機関出力45ps、航海速力8ノット、旅客定員22名。
第三正幸丸[3]
運航者 - 金子正一郎
1961年5月進水。
12.0総トン、木造、ディーゼル1基、機関出力30ps、航海速力8ノット、旅客定員35名。
第十五鎮西丸[8]
運航者 - 福島町
1959年7月進水、佐々木造船所建造。もと伊万里湾の沿岸航路船(個人船主)、1968年2月就航、同年10月売船。
47.40総トン、登録長19.46m、型幅4.02m、型深さ1.58m、焼玉機関、機関出力55ps、最大速力10ノット、旅客定員54名。
第六豊浦丸→第二福島丸[8]
運航者 - 福島町
1960年9月進水、常石造船建造。もと笠岡 - 笠岡諸島航路船(個人船主)、1968年10月買船、就航、1969年7月改名、1975年4月売船。
78.45総トン、登録長21.44m、型幅4.79m、型深さ1.89m、ディーゼル1基、機関出力140ps、最大速力9.8ノット、旅客定員130名。
船舶整備公団共有。
第五正幸丸[7]
運航者 - 金子正一郎→金子廻漕店
1961年進水。
16.85総トン、木造、ディーゼル1基、機関出力39ps、航海速力7.5ノット、旅客定員29名。
あまざき[8]
運航者 - 福島町→金子正一郎→金子廻漕店
1963年12月進水、もと甘崎海運の因島 - 大三島航路船(個人船主所有)。1975年4月買船、就航。1976年4月1日、金子正一郎に航路とも譲渡(当初は貸船)。
41.47総トン、垂線間長17.9m、型幅4.2m、型深さ1.7m、ディーゼル1基、機関出力80ps、航海速力9.5ノット、旅客定員97名[3]
第六正幸丸[9]
運航者 - 金子廻漕店
1978年6月進水、船舶整備公団共有。
19.63総トン、ディーゼル1基、機関出力100ps、航海速力8.50ノット、旅客定員46名。
つばき[10]
運航者 - 金子廻漕店
1985年竣工。
15総トン、FRP製、航海速力17ノット、旅客定員90名。

脚注

  1. ^ 有限会社金子廻漕店”. 九州旅客船協会連合会. 2025年10月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e 登記簿による。
  3. ^ a b c d e 福島町郷土誌編纂委員会 編『福島町郷土誌』,福島町,1980.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9773385 (参照 2025-10-14)
  4. ^ 浦の崎、福島間 航路時刻表・運賃”. 松浦市. 2025年10月14日閲覧。
  5. ^ 世界の艦船 1995年7月号 P.124(海人社)
  6. ^ 『国内旅客船船名録』昭和34年度,日本旅客船協会事務局,1959. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2490636 (参照 2025-10-14)
  7. ^ a b 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和48年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1974]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13290533 (参照 2025-10-15)
  8. ^ a b c 『日本旅客船船名録』昭和39年版,日本旅客船協会,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2504820 (参照 2025-10-15)
  9. ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和57年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1982]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12121864 (参照 2025-10-15)
  10. ^ 全国フェリー・旅客船ガイド1987年上期号 P.573 (日刊海事通信社 1986)

関連項目

  • 鷹島汽船 - 松浦市内の鷹島と九州本土を連絡する航路を運営する同業他社。
  • 松尾フェリー - かつて鷹島と九州本土を連絡する航路を運営した同業他社。旅客船時代には浦ノ崎 - 福島(釜)にも寄港していた。
  • 西肥自動車 - 福島と九州本土を連絡するバス路線を運営する事業者。

外部リンク

2025年現在、公式サイトは存在せず、時刻等については松浦市のサイトで案内されている。




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